千八十三 四年ぶりの積雪
平成三十戊戌
一月二十五日(木)
午後から雪が降ると予報された二十一日の昼休みも、いつもと同じやうに散歩に出かけた。わずかに粉雪が降ってゐた。向かひのビルの東側を歩いたら少し滑る。タイル張りなので靴の裏に付いた雪が原因だった。
ビル一階の裏に入ると弁当売り場はすごい列だ。このビルはスーパー及びレストランが半階下がった位置にある。半階上がるエスカレータは普段、並ぶ必要がないのにすごい列だった。外に買ひに行かず中で済ませるためだ。
普段は歩くと体が温かくなるのに全然ならない。いつもの昼休みと同じやうに外套を会社に置いてきたのが原因だった。

一月二十六日(金)
午後から本格的な雪になった。午後四時半ごろ帰宅指示が出た。ところが丸ノ内線の荻久保方面はホームに人が溢れてゐる。大手町方面は何とか乗れた。副都心線は前がつかへて何回も停車した。この時点では皆が帰宅を急ぐため混雑が原因だと思った。しかし東横線が原因だった。
中目黒を過ぎても速度規制でゆっくり走る。これでは渋谷と中目黒が混むのは当たり前だ。東横線もかつては雪のときに平常運転をした。元住吉駅で追突事故を起こした。それ以来、速度制限でゆっくり走る。関東地方でも東急だけだらう。

一月二十八日(日)
自由が丘辺りで窓の外は暗くなった。多摩川を過ぎると真っ暗で何も見えない。その前日に西部さんが入水自殺したのは、上流200mくらいだ。この辺りだらうかと考へる間も暗闇がずっと続き、まもなく新丸子駅に到着した。

一月二十八日(日)その二
二十一日の帰路はかなり前かがみで歩いた。さうしないと転倒の虞があるためだ。この歩き方は疲れるが転倒の虞が無い。周りを見るとこの歩き方の人はゐない。雪の歩き方に慣れてゐないためだらうと思ったが、よく考へると雨靴など底がぎざぎざだったりゴム製の靴を履くためだ。私は合皮製の革靴でしかも底のぎざぎざが半分摩耗した。この歩き方ではないと危ない。
私は革靴二足と普段履一側しかない。雨靴がないので翌朝は残雪を進むのが大変だった。かなり前かがみで歩いた。

三つくらいの新聞社が転倒しない歩き方を特集した。二社の内容は靴底全体で着地する、両足を歩幅で着地する。漢字の前かがみがない。最後の一社に前かがみの記事もあった。(完)

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