47、富山県に行こう、路面電車のある街 平成十七年


8月12日
昨夏は新潟県の村上から糸魚川親不知までを旅行した。今夏はその続きで富山県を訪れた。
そして安宅の関で有名な石川県の小松まで足を伸ばした。足を伸ばすだけの価値はある史跡である。
富山県と小松市の途中に金沢がある。ここは小中学生英語特区の集会なるものを予定しているので、通過することにした。我々観光客の使った金が市の税収となり、このようなくだらぬ集会に使われたのではたまらない。
富山県の優れたところを紹介し、併せて金沢の小学生英語特区の集会がいかに欺瞞に満ちたものであるかも論じていきたい。


8月13日
富山市には富山地方鉄道の路面電車が走っている。モータリゼーションの影響で経営は大変だががんばっている。
もう一つ富山市に路面電車ができることになった。JRの富山港線の路面電車(ライトレール)化である。
路面電車の在る街は住民に優しい。
富山駅前には4000円台のビジネスホテルが多数ある。まだ今夏の旅行計画を立てていない人は、富山県に行こう。


8月14日
高岡市から新湊市までも路面電車が走っている。
富山地方鉄道の関連会社が運営していたが、赤字のため廃止が計画された。
高岡、新湊の市役所や市民団体が何回も話し合い第三セクターの万葉線株式会社により運営されている。お年寄りにも考慮した低床式の新車も走っている。
高岡市には日本三大大仏の一つ、高岡大仏もある。


8月15日
富山駅前の地下道で、何グループかの若者がギターを弾いたりして自主演奏会を開いている。
夕方、三味線の音が聞こえてきた。さっそく行って話を聞くと津軽三味線だそうだ。
次は、富山の民謡にも挑戦してほしい。
日本人には日本の楽器が合っている。合うように長年かけて楽器も人間も進化してきた。
なぜ、わざわざ西洋の楽器を小学校で教え、人心を惑わすのか。

街作りは伝統からスタートすべきである。地方の特区は、その地方の伝統を申請すべきである。


8月16日
その地方の特徴とは無関係のものは特区ではない。例えば東京が突然、どぶろく特区を始めたら奇妙である。
各地の特区が徒党を組んでも変である。例えば、九州の焼酎特区と秋田の日本酒特区と千葉県の工業用アルコール特区が集会を持ったら珍妙である。

金沢市の英語特区集会は怪しい。5年ほど前に英語公用語化に失敗した英語ファシストどもが、手を変え品を変え新たな画策を始めたと考えるべきである。



8月17日
私が英語を始めたのは30歳台半ばになってからである。当時コンピュータ専門学校の教師をしていた。派手な車内吊り広告で急膨張し学校間では大手と見られていたが、内情はひどかった。
このままでは将来危ないと英語を始めた。学校は5年ほどで倒産し、専門学校の倒産として新聞でも大きく報道された。

私が短期間で習得できたのは将来危ないという危機感があったからである。 そのような危機感を持たない小学生に英語を教えても、アメリカ崇拝しか身につかない。
英語は何歳で初めても本気でやれば習得できる。
当時は英語を使う人が少なかった。今ではあり余っている。
足りないときに始めるのは賢明だが、余っているときに他を犠牲にしてまで行うのは無駄である。
小学生には他に学ぶことが沢山あるはずである。

東京都産業労働局労働部発行の資料には次のように書かれている。
つい最近まで語学留学は一種のブームのようになっていましたので、「留学したからといって、決して高い評価が得られるわけではない」ということを、まずは肝に銘じておいてください。応募先によっては「ただ遊んでいただけではないか」などと厳しい見方をされることも多いのです。


8月18日
5年前に若い技術者を連れてドイツに数ヶ月出張した。この技術者はまったく英語が話せなかったが、我々が英語で仕事の打合せをしたり英語で雑談をするのに刺激を受け、帰国後1年間勉強してアメリカに留学した。
勉強期間中に本人の自宅に連絡したら、休職して勉強しようと思ったが手続きが判らないので退職しました、何百点だかを取らないと留学できないが点数が足りないので必死に勉強していますと語っていた。この技術者は他と比べ特に優秀だった訳ではない。高専卒なので普通の高校大学より英語の授業数は大幅に少ない。それでも試験に合格し留学した。

私は2つアドバイスした。1つは、語彙力が勝負だが、毎日の暗記で脳が疲れているから逆をやり、歩いたり電車に乗りながら見たもの思ったことを英語にし、家に着いてから判らなかった単語を和英と英和で調べる。2つ目は、初めて歩いた道でも一度では覚えられないから、単語連語は何回辞書で調べてもいい、そのうち覚える、というものである。
この技術者が試験に合格できたのは、私のアドバイスが効いたのだろうか。いや一番大きいのは本人のやる気である。

英語は1年でできるようになる。ただしそこが出発点である。自動車の運転免許を取ったときに、首都高速の合流やら狭い道を走ったりできる訳ではなく、東京や大阪から北陸自動車道に行くにはどうしたらいいか判る訳でもない。
運転技術や道を覚えるのは免許を取ってからである。

日本で働く中国人技術者は多い。中国で1年間日本語を勉強してから来日し日本の学校に入るが、最初は日本語がまったく聞き取れないという。
どの言語も同じである。1年間勉強し出発点に立ってからが勝負である。


8月19日
金沢駅に午後1時半に着いた。本来はここで昼食を取るべきだが、今回は金沢市で金銭を消費しないことになっているのでそのまま高岡まで行った。そして富山名物ますのすし(650円)を食べた。
お土産には海産物を買った。お土産はその土地の名物がいい。地方文化育成にもなる。
とかく観光名所の名が入ったお菓子を購入しがちだが、あれは複数の観光地のものを県外の同じ製菓工場で作っているそうである。
適切なものがなかったら2回に1度の割でもいい。その土地の名物をお土産に買おう。

言葉も大切である。東京弁なんか使う必要はない。先祖伝来の言葉を伝えるべきである。更に悪いのは、小学生に英語だとかを言い出す英語ファシストどもである。


8月20日
都市が肥大化すると、路面電車が衰退し高速鉄道が増える。ここで一つの案がある。高速鉄道は市内に入ったら無停車にすれば、双方の住み分けができる。
東京の地下鉄千代田線を例に取れば北千住の次は西日暮里、大手町という具合に。
亀有や松戸に住む人も都内に住む人も同じ時間で都心に出られる。30年前のように庶民がごく普通に都内に住めば昔の街並みも保てる。

しかし最上策は、高速鉄道の駅を制限するより都市を肥大化させないことである。
昔は山手線の内側が市街地だった。日暮里駅近辺にはキツネが生息していたそうである。私が子供のころはそれよりは広がり都内17区くらいが市街地で、足立区や世田谷区は農村地帯だった。
肥大化した都市の住民は多かれ少なかれ精神病である。精神病は言い過ぎだと思う人もいよう。しかし同じことを西部氏も述べている。
東京のような現代都市で生まれ育った子供たちは、重かれ軽かれ精神疾患にかからないほうが不思議といってよい。その種の中央都市に倣うことを常としている地方都市においても、子供たちは健全でおれないのが普通である。(「発言者」45号)

東京の真似はよくない。小学生に英語とかでアメリカ崇拝アメリカ真似人間を育成するのはもっとよくない。
今後の人口減少期を迎え、東京の人口を減らし地方の人口は現状を維持すべきである。
東京の市街地は山手線の内側くらいでちょうどよい。


8月21日
今は英語が出来る人が街に溢れている。昨年私の職場に英語が堪能という元外資系、前ジェトロ出向専門員の人が契約社員で入社したが、もう解雇された。辞めさせるにあたりもめたらしいが。
数年前に一ツ橋大学卒という石原東京都知事vs田中長野県知事に割って入ってもよさそうな人で英文科卒、修士修了というピカ一の人がいたがやはり辞めさせられた。
ピカ一と言えば以前、東北大学修士卒で英語が堪能な人もいたが辞めた。この人は社内で英語が使えるのは俺だけだとしょっちゅう海外に電話をかけて得意げに英語で話していたのだが、仕切り率を下げてほしいだとか大した内容ではなかった。私が同じ部に配属になったら急に電話をかけなくなったという笑い話もある。
国際電話と言えば、或る会社で社長も部長も海外駐在経験のほうが国内より長いという大ベテランなのに、社長が英語でくだらない電話を30分もかけていたと部長が怒り皆に悪口をいって回ったことがある。

今は英語が出来る人が街に溢れている。そしてその内容たるやこの程度なのである。英語を話せる人が不足しているというのであれば、対策が必要である。余っているのに小学生に英語だと騒ぐ人たちは選挙目当てのポピュリズム、海外旅行に行った人相手に騒ぐ英語素人、英語をこれ以上重視したらどうなるかを考えない英語ファシストである。



8月22日
インドが独立するまでの長い間、少数のイギリス人が多数のインド人を支配できた理由は公用語である。
英語を必死に覚えたエリートインド人の言語能力は、うだつの上がらないイギリス人より劣る。
皆が英語にエネルギーを注げば、インド独立の主張やら他の学問はそっちのけになる。

日本は外貨を貯め過ぎてしまった。日本弱体化のため始まった英語公用語騒ぎであり、小学生に英語騒ぎではあるが、日本がすべきは小学生の英語は断固拒否すると同時に、外貨を貯めない国にする必要がある。
国の独立と国際協調は共に必要である。


8月23日
世界は平衡で成り立っている。というよりはすべての現象は収束と発散で成り立っている。
英語に特権の地位をこれ以上与えてはならない。どこかで収束させるべきである。
日本語を話せるドイツ人がいて、ドイツ国内の大韓航空に英語で電話を掛けていたが、韓国人の職員が英語より日本語が得意だと判ると途中で急に日本語に切り替えた。
この場合、日本語が共通語である。このドイツ人は我々には英語で話すため理由を聞いたところ、英語のほうが脳の負荷が少ないという。ドイツ語と英語は同じゲルマン系である。
英語に共通語の地位を与えると非英語圏の人間に不公平である。そればかりかアメリカ が英語圏の国々と共謀し無線を盗聴し自国の商談を有利にしていた事実が5年ほど前に暴露された。
国連が幹部職員に2カ国語を義務化したように世界は英語の抑制に向っている。英語を使う機会が多いのは、ドイツ人と韓国人の共通語が日本語だったように、たまたま英語を皆が知っているからである。

英語は共通語だ、とか、英語は世界語だ、とわめく日本人がたまにいるが国際感覚と平衡感覚が欠乏している。ご本人たちだけ国際派のつもりでいる。世界からは軽蔑されている。


8月24日
日本が解消すべきは円高と人口の偏りである。
円高は資源浪費社会を作った。自動車は社会を破壊し資源を浪費する。資源は子孫に残そう。国民が食うための輸出が、今では食えなくするための輸出になってしまった。

大都市集中は先祖から受け継いだ文化を破壊する。毎年多数の新卒者が東京に移住するが、先祖からの文化を跡取りのいない実家に置き忘れてくる。たとえ持ってきても大都会の人の波に巻き込まれ破壊してしまう。
公共事業に頼らず地方に就職先を作る。政府の責任である。

富山県の路面電車に限らず、地方の公共交通は経営が苦しい。そのことと起きては消える英語騒ぎは根源が同じである。
円高-->自動車増大-->公共交通の衰退
円高-->海外旅行-->安直な英語ブーム
人口の都市集中-->地方の公共交通の衰退
人口の都市集中-->伝統文化の破壊-->安直な英語ブーム



8月25日
プラザ合意前の1980年ころ、初めてアメリカに行って帰って来た人が、トイレはどっち向きに座ればいいか判らなかった、風呂はお湯が浅いので排水口を足で押さえてお湯が出て行かないようにした、と話していた。それを聞いた私も、へえアメリカは不便なところだね、と思ったものだった。

円高ののち或るアメリカ人が日本のラジオで、海外旅行に行く若者が増えているので日本人の価値観は大きく変わるだろう、と発言していた。そのようなことは絶対に起こらない、逆にそうなればいいね、と思ったくらいだった。
それがわずか20年で、日本人の生活は限度を超えて大きく変わってしまった。
日本人は国内をもっと旅行しよう。地方の活性化にもなり、有給休暇の取得が貿易黒字の解消にも役立つ。


8月26日
数日前に宮城県北部で中学生が駐在所で警察官を刺すという事件が起きた。
東京近郊の農村地帯を走るローカル線車内で、高校生の男女がいちゃいちゃしていたことがあった。
農村は東京の真似をするうちに、東京より悪くなったのかも知れない。
それより、農業は自分の世代で終わりだと、子供に文化を伝承しないのが原因ではないだろうか。

永続可能な農漁村を回復させることは我世代の務めである。


8月28日
3日前の産経新聞に、京都大学教授佐伯啓思氏のインタビューが載った。
国には2つの側面があります、政治的な統治機構としての国、もう一つは共通の歴史・文化を持った統一体としての国です、と語っていた。

政治機構の一部に過ぎない地方自治体のトップが、自分の地位を守るためにポピュリズムで小学生の英語を主張する。その結果、アメリカかぶれ児童を育成し、共通の歴史・文化を持った統一体の国を破壊する。
統一体の国を守るために統治機構の国がある。そのために我々は税金を払っているのである。これでは逆である。


8月29日
オリンピックで日本が得意とする競技、例えばバレーボールが予想外の結果だったとしよう。その場合は、上位層の選手に対し対策を立てるべきである。
まちがっても、小学生にバレーボール、だとか、バレーボールを第2国技に、とわめいたりはしないはずである。

今の日本は英語を使える人が10年前に比べ飛躍的に増えている。英語で心配する必要はないのに、英語英語と騒ぐポピュリストは国を滅ぼす。


8月30日
人類の歴史は、貧困の歴史であった。
我々が豊かに生活できるのは、子孫に引き渡すべき資源を使い尽くす悪魔の世代だからである。
豊かさの一環でたまたま海外旅行に行き、英語かぶれになった人目当てにポピュリズム政治で次の市長選挙を有利にしよう。そういう連中が今度、金沢市に集まるのである。


8月31日
教育の目的は、文化の子孫への継承と、社会人の育成にある。
小学生の英語は、アメリカかぶれの育成以外何の役にも立たない。
小学生の英語は、税金の無駄使いである。

昭和30年以降、各県の特徴が急速に薄れ、東京化が進んだ。
路面電車は時代遅れだ、という議論が出だしたのは昭和31年、東京都電に耐用年数12年の8000型が現れたのも昭和31年であった。
富山市内線と万葉線を走る7000型は都電8000型の類似車と言われるが(例、鉄道ピクトリアル誌94年7月増刊号)、似ているのは外観だけで今でも元気に走っている。

高度経済成長以前の日本に、まず心だけでも戻ろう。いずれ経済も心に見合った水準に落ち着き、一方で国民の満足度は今より高まるであろう。



メニューのページへ 前へ 次へ
路面電車のページへ