百二十、十勝川温泉中小労組交流集会レポート

平成二十二年
三月十四日(日)「分裂騒ぎ」
私の所属する労働組合では今、分裂騒ぎが起きている。私はどちらとも関係が良好なので双方仲良くやってほしいが、別の見方もできる。この労働組合はもともと全労協で生まれその後、連合に移動した。
どんな組織も年月を経ると堕落する。この組合にも問題が累積している。この際、現状組と全労協復帰組の二つに分かれれば、互いに相手の悪い点が見えてくる。どちらも発展するから双方に利点がある。

昨年十月に北海道の十勝川温泉で中小労組の交流集会が開かれた。昨年が最後の参加となるかまた参加の機会があるのかまったく不明である。取りあえずここで昨年の集会をレポートしておこう。

三月十五日(月)「小林議員は反撃せよ」
交流集会の参加者は340人。この中には社民党の福島瑞穂党首、民主党の石川ともひろ衆議院議員と工藤仁美衆議院議員の三名も含まれている。北教組の選挙資金問題で新聞を賑わした小林千代美衆議院議員は来なかったが、同じ北海道の民主党ということで、ここは小林議員を応援すべきであろう。
まず私は大労組というのが好きではない。大労組が選挙資金を投入することや応援することも好きではない。しかし自民党も今まで大企業や経済団体から大量のカネを集め利権団体を使ってさんざん選挙運動をやってきたではないか。まず民主党はそこを攻撃すべきだ。

三月十八日(木)「男女別姓」
小林議員は辞職の方向で進んでいるという。確実な方法であり、それが一番いい選択であろう。もし反撃するとすれば辞職せず離党し、既に離党した石川ともひろ議員と会派を組み、官僚支配反対の先頭に立つ方法がある。検察がどのような経緯で捜査に着手したかを追及すべきだ。議員歳費のうち必要経費を除き返上する方法もある。違法な行為を検察がすべて捜査するわけではない。そこに政治的な要素が入る。北海道の民主党が二件というのは明らかにおかしい。

小林議員のホームページには「男女別姓」が載っていた。これには反対である。男女別姓は真の男女平等にはならない。子供の姓があるからだ。それに欧米の猿真似である。少子化に対応するために、姓はいくつもってもいいことにすればいい。姓には政府は干渉しない。これが日本の伝統である。アメリカあたりが安全管理に支障がある、と文句を付けるだろうがそんなものは蹴ればよい。
社会主義が堕落すると個人主義、唯物論になる。私は小沢氏のような旧自民党の人はどこか農村の香りがして好きだし、旧社会党左派と呼ばれていた人たちも好きである。両者の中間は個人主義、西洋かぶれで好きではない。小林議員は小沢氏と旧社会党左派から学ぶとよい。

三月十九日(金)「国民のための検察に」
検察を批判するときは、恨みで行うのではなく、国民のための検察になるように批判すべきである。
冤罪というものが過去に幾つもあった。真犯人を取り逃すこともあった。殺人犯などへの時効停止は最近やっと決まった。時効停止問題を戦後六十年以上放置してきた検察と、検察と一体の法務省の責任は重い。裁判所が慎重に検討して死刑判決を下したのにそれを実行しないのも法治国家ではあり得ない。
検察と法務省も批判しないと堕落する。

三月二十二日(月)「鳩山内閣支持率向上作戦」
鳩山内閣の支持率は一貫して同じ割合で低下している。これは鳩山首相や小沢幹事長のカネの問題が原因ではないことを示している。真の原因は各大臣がおとなしくなったことである。官僚にうまく丸め込まれたことを国民は見抜いたのである。

海兵隊問題は最大の山場である。この際、外務官僚や防衛官僚の言いなりにならずに、海兵隊は沖縄にはいらないとはっきり言おう。海兵隊は上陸強襲用の軍隊である。台湾上陸以外に存在目的はない。最近アメリカが台湾に兵器を輸出したために米中間が緊張した。台湾の存在理由は一つには中国への干渉、二つ目には緊張させて日本に恐怖心を与えアメリカ側に付かせることである。どちらも日本の防衛とは関係がない。
沖縄は県議会が全会一致で反対を決めた。沖縄以外の全ての都道府県も受け入れを拒否している。海兵隊が不要なことを国民は見抜いている。海兵隊を国外に移転させて鳩山内閣は再生すべきだ。

三月二十四日(水)「和風ホテル」
十勝川温泉は湯けむりばかりではない。昭和六十年代までの懐かしい雰囲気が漂っていた。それは和風ホテルが原因であった。最近の都会は洋風ホテルばかりである。しかし畳の部屋と大浴場が日本には合っている。そしてそれは北海道に残っていた。
福島党首は大会で挨拶されたあと、このホテルで記者会見も行った。翌日の新聞とテレビで報道されて知った。

三月二十七日(土)「昭和六十年代までの労組」
集会も昭和六十年代までの雰囲気が漂っていた。前回の集会は首都圏で開催され、連合加盟のある組合が非加盟の組合に加盟を呼びかける発言もあり、連合に加盟しない組合は遅れている、という雰囲気があった。私の所属する組合は連合に加盟しているが、もし今回も同じような雰囲気があれば、連合に所属しないことにも意義があることを言わなくてはならないと思っていた。しかしその必要はなかった。集会の雰囲気は一変していた。
国労帯広支部や全国一般東京東部労組のように全労協の組合も参加した。連合本部や自治労のような連合主流組合も参加した。集会二日目の昼食時にホテルの裏の十勝川に面した庭で開いた閉幕パーティーでは、一部のグループが丸くなって労働歌を数曲合唱し出し、最後にインターナショナルを歌った。まるで昭和六十年代までの総評のメーデーのような雰囲気が漂った。

四月一日(木)「毛沢東の聖地」
東部労組は数年前に毛沢東の聖地訪問を行ったという話を聞いたことがある。同労組の参加者に聞いてみたところ、あれは前任者のときの話だそうである。
マルクスの思想は欧米列強(及びその真似をした日本)が世界中を植民地にした時代にあっては一つの解決策として有効であった。毛沢東の思想は中国国内に内戦が絶えない時代にあっては一つの解決策であった。
地球が温暖化で滅びようとしている今、その原因である資本主義を客観視するという意味と、困難な時代の毛沢東の忍耐に学ぶという意味では、毛沢東の聖地を訪ねることは意義がある。

四月三日(土)「昭和六十年代」
和風ホテルと総評時代の労組という二つの昭和六十年代が残っていた理由は、その後のバブルと円高を北海道は経験しなかったためである。バブルと円高で日本は変になった。特に大都市は変になった。大都市を元に戻し地方に活気を取り戻すには輸出規制しかない。輸出拡大こそ国策というのは昭和30年代までの話である。
北海道を元気にするいい方法がある。昭和時代の日本に帰ろう、と呼びかけることである。観光見込客にも経済産業省にも。

四月六日(火)「インターナショナルを歌うことと歌わないことの得失」
インターナショナルには「屍超ゆる我が旗、行く手を守る」と今の時代には合わない部分もある。しかし昭和六十年あたりまでは総評と中立労連では積極的に歌われていた。全国の革新首長誕生に危機感を持った自民党(及びアメリカCIA)による工作が本格化したのはこの時期である。
日本の労働運動はこの時期急速に劣化していた。そのようなときにインターナショナルを歌わなくなったらどうなるか。歌うことの弊害はまったくない。それは昭和六十年までの総評と中立労連が証明している。歌わなくなることの弊害はどうか。企業別労組の姿から予想できたはずである。
同盟、鉄鋼労連、全電通の反共路線は理解できる。しかし米ソの対立が終った後もアメリカCIAと国内の親米派は冷戦時と同じことを続けたために、それ以降の日本は失われた二十年となった。

四月九日(金)「国鉄争議団」
国鉄争議がやっと終ろうとしている。平均一人当たり二千二百万円である。二十三年間の利息を考えれば安い。
二十三年間収入のないなかで闘争を続けたことを考えれば、与党三党と公明党が合意した二千九百五十万円でも高くはない。それを二千四百万円に下げさせ、更に二千二百万円に値切るとはひどすぎる。私も結婚前はよく闘争団のハムやソーセージや日本酒を注文したものである。
二十三年間である。同じことを国土交通省の前原大臣や幹部連中や旧国鉄の幹部にできるか。日本の歴史に残る偉業にけちな値下げをしたら後世の恥さらしである。


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