46、アジアは一つ
平成十七年
7月26日
地球温暖化防止と、資源を子孫に残すために、アジアで連帯することが必要である。
中国で製造した玩具をアメリカで販売することや、日本で製造した自動車をヨーロッパで販売することは資源の無駄使いである。
中国が嫌いだとか、日米安保条約を守るため国民をアメリカかぶれに洗脳しようとか言っている場合ではない。
地球を滅亡させないために、アジアは連帯すべきである。
7月29日
日本がアジアの一員であることはまぎれもない事実である。
このことを誤魔化すには、2つの方法がある。
1つ目は、日本は太平洋地域だというのである。
「日本はアジアとではなく月と同盟を結ぶべきだ、アジアは日本から見えないが月は見える」と主張する人がいたら、噴飯ものである。
日本はアジアではなく太平洋地域だ、という主張も同じくらい噴飯ものである。
7月31日
2つ目は、日本は独自だという方法である。
アメリカのネオコン学者ハンチントンのやり方である。日本文明は他のアジア文明とは別だという主張には、真面目に研究しようという姿勢が見られない。こじつけである。
京都大学教授の中西輝政がこの説をうのみにしている。中西はイギリスかぶれだと思っていたがアメリカかぶれのようである。というよりは、その時点でもっとも強大な国に従う主義のようである。
ハンチントンのとんちんかんな説を信じてはいけない。
サミュエルハンチントンのさまよえる説にだまされてはならない。
8月2日
インド中北部はインドヨーロッパ語族に属するからアジアではないと思う人もいよう。
インドはイギリスの植民地だった事実を忘れてはならない。
イギリス映画を見ると、多数のインド人を蔑んだ眼差しで見下す賢しらイギリス人がしばしば登場する。
欧米文明が人類と地球を滅亡に追いやろうとしている今こそ、アジアは非欧米という共通点で連帯すべきである。
8月4日
明治政府と徳川幕府は別の国であり前政権の対外義務を引き継いだだけである。殺し合いで幕府を倒したのである。反幕府政策は当然である。
大日本帝国と日本国も別の国である。しかし双方が殺し合いをしたわけではなく、関係が曖昧になった。
同じ国でいたほうが文化の連続を保てると考えた人もいたかも知れない。
しかし戦後60年を振り返れば国の連続は文化の連続に役立たなかった。
逆に、文化の破壊こそ正義だという風潮さえ生んだ。
大日本帝国と日本国は別の国であり、しかし文化は継承すべきである、と今から改めたらどうか。戦後この問題を先送りにして亡国寸前に至ったのだから。
東条英機は前政府関係者だから無視すべきである。明治政府が井伊大老の命日に寺社に参拝する訳がない。靖国神社は明治政府関係者を祭ったものだから日本国とは無関係である。
国は不連続、文化は継続。これが人心を安定させる方法である。
その一方で、靖国神社や国の連続について別の考えの人もいよう。この問題でわざわざ国内で無駄な議論を繰り返せば、それこそ属国主義者の思う壺である。
国の連続は子孫に委ね、子孫が正しい判断をできるよう文化を継続することこそ我々の世代の務めである。
8月6日
先の戦争はファシストとファシストの戦いである。
イギリスを先頭に世界中を植民地にした国々と、植民地を持たざる国々との戦争であった。
あの戦争は決してファシスト対民主主義の戦いではない。
イギリスは植民地を獲得するときにはナチスと同程度の残酷なことをしたが、一旦植民地にしてしまえば残酷さはある程度弱まる。
ある程度弱まった国がこれから植民地を獲得しようとする国をファシスト呼ばわりするのは誤りである。
もし日本がファシストならば、ソ連はファシストと中立条約を結んだことになる。日本が戦った中国国民党は戦後も長い間、蒋親子の独裁王国であった。どちらが民主主義か判らなくなる。
どの国も人心を安定させる義務がある。戦勝国が民主主義とファシストの戦いだったと主張するのは当然である。
日本が同じ主張をすれば国内は安定しない。だからといって先の戦争を美化してもならない。
あの戦争は列強間ではファシストとファシストの戦いだったし、侵略された国々から見れば民主主義とファシストの戦いだった。これが正解である。
日本が反省すべきは日本独自のものにではなく欧米の猿真似をしたことに対してである。
英語公用語だとかアメリカかぶれを批判する理由もここにある。アジアに欧米文化をばらまこうとする連中は現代のファシストである。
8月8日
靖国神社は戦後の日本国と無関係だと断言してよいのだろうか。
それによって国民の戦没者への敬意が薄れるのであれば避けるべきである。
しかしもはや戦没者は完全に忘れられている。残念だがこれが現実である。若者たちが悪い訳ではない。
アメリカ軍の国内駐留、アメリカ賛美のマスコミ、英語公用語だ小学生に英語だとわめきたてる英語ファシストたち。
このような環境で育てば「アメリカと戦争して死んだんだって。バーカじゃないの。アメリカと英語ってカッコいいじゃーん」と思ってしまうのが普通である。戦争犠牲者に敬意を持たない民族は滅びるが、若者にそこまで気付けというのは無理である。
8月9日
新聞の勧誘員が「いやぁ、お宅のお子さんは優秀ですね」と心にもないお世辞を言ったとしよう。それは購読の契約がほしいからである。
「うちは何々新聞は購読しません」と張り紙をしておけば、そのようなお世辞は絶対にいわない。
外交も同じで交渉次第で親中にもなれば親韓にもなるというのであれば、中国や韓国も日本にお世辞の一つも言おう。日本には何を言ってもアメリカの属国だから誰もお世辞を言わないのである。
ここで注意すべきは、アメリカはこの手法を用いていることである。
ときどき日本の肩を持つようなことを言う。アメリカ駐在従米記者が書くことを見込んでの芝居である。
個人に対しても同じ手法を使っている。英語を公用語にすれば、小学校に英語を導入すれば、あなたが将来総理大臣やその他の大臣になることを支持しますよ、ハーバード大学教授の椅子が用意されますよ、と空手形を乱発しているのではないか。
過去にアメリカの選挙資金が流れ込んだ事実があるだけに勘ぐりたくなる。
属国であることは、青少年に多大な悪影響を与えるだけではない。国内に大きな歪みを生じさせている。
8月10日
このままでは、近い将来人類は滅びる。
先進国とは何ぞ。滅亡行為の先進に過ぎない。
先進国は資源浪費を中止すべきである。循環型社会にしか人類が永続する道はない。
日本はアジア唯一の先進国だから他のアジアとは別格だというのは思い上がりも甚だしい。
先進国は昭和40年代の経済規模に戻るべきである。
8月11日
欧州は伝統を大切にする地域である。
京都議定書もその流れで発効することができた。
アジアは欧州と共同で伝統社会を取り戻し、他方でアジア独自の文化、即ち人類を滅亡に導く欧米文明に替わりうる文明を世界に提示すべきである。
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