97、新聞ファシスト

平成ニ十年
十ニ月十ニ日(金)(新聞は現代のファシストだ)
日本を大東亜戦争に引きずり込んだのは誰か。丸山真男でさえ認めているようにそれは新聞である。そして戦後は、新聞が日本をアメリカの属国にし、人心をアメリカかぶれにし、社会を不安定にしている。
新聞は現代のファシストである。

十二月十四日(日)から一月八日(木)
「97-2、井出英策氏の問題点」として独立させました。

一月十二日(月)(小型朝日新聞)
朝日新聞はとかく批判が多い。その陰に隠れて目立たないが毎日新聞も欧米かぶれである。1月1日の朝刊1面トップは次の見出しが載った。
米政府、異例の謝意
三菱UFJのモルガン出資決断
90億ドル(当時約9000億円)出資は「100年に一度」の金融危機で、日米両政府の緊密な関与があった、という内容であった。三菱UFJが出資するのは商売であり日米安保条約とは何の関係もない。もし公共心があるとすればそれは世界恐慌を避けるという目的であり、日米同盟という狭い目的とは考えられない。経営者にそのようなことを考える余裕はないし、もし日米政府から圧力があったとすれば国会で追求すべきである。
この記事には次の文章が続く。
1966年の日米安保改定から間もなく半世紀。軍事、経済、社会、文化まで、同盟は広範に深化してきた。
まず、湾岸戦争のときに日本は多額の資金を提供したのにアメリカが発表した協力国の一覧に日本は入っていなかった。日本政府はあわててアメリカにお伺いを立て、一覧表に追加してもらった。アメリカにとり日本は名前が入っていてもいなくても気がつかない程度の国なのである。アメリカから見て日本は同盟国ではない。従属地域である。

一月十三日(火)(文化破壊条約)
従属地域の日本が社会、文化まで同盟を深化させればどうなるか。国は滅び弱者は切り捨てられる。昨年末からの派遣切り騒動はまさに社会、文化のアメリカ従属が起こした人災である。
軍事の同盟はかまわない。社会、文化の従属は阻止しなくてはならない。

一月十五日(木)(グローバリゼーションの推進者)
一面トップ記事の左は、これもかなりのスペースを使って 人に優しい社会をという主筆菊池某の署名入り記事が載った。「多極化という古い分類ではなく、各国平等な真の意味でのグローバリゼーションが大きく前進しているのではないでしょうか」と述べている。
まずグローバリゼーションという言葉はアメリカが世界各国の文化を破壊しアメリカ文化に統合しようとした企みであり、既に失敗している。そんな言葉をなぜ持ち出すのか。国際交流、国際友好とグローバリゼーションは正反対である。
グローバリゼーションはアメリカ流の弱者切捨てを世界に広める企てでもある。昨年来の派遣切りを見よ。そして戦後築き上げたうつ病多発社会、引きこもり多発社会を見よ。駄作記事を書いていれば事足りる大手新聞社に所属するから、このような愚論を書くのだ。
元日の1面にこのような記事が2つも載るとは呆れる。新聞社で署名記事を書く記者はフリーにしたらどうか。大組織にあぐらをかくことは許されない。

一月十八日(日)(発信箱)
毎日新聞に「発信箱」という連載欄がある。元日の偏向記事に合わせるように、元日前後だけが偏向した内容だった。
まず12月28日は平和を叫ぶ偽善記事であった。平和を築くには、ヒトラーやブッシュのような異常者を除きすべての人々は平和主義者である、と信じるところから始めなければならない。ところがこの記事は「この記者を含む少数の人だけが平和主義なんです」という前提で書いている。記事の半分以上を「平和」「平和」と叫んだあげく、後半でまず湯川秀樹博士を忘れてはならない。核兵器を「絶対悪」と決めつけ、核のない世界平和を訴え続けた、と主張する。まったく同感である。核兵器は絶対悪である。絶対悪を使った唯一の国がアメリカであり、今でも使用をほのめかしている。なぜそのことを批判しないのか。記事は次のように続く。
自分の国だけを愛して何になる、世界の人類を愛せよ。
アメリカに向かい、イスラエルに向かってそう主張するなら立派である。しかしこの記事は日本向けに書いている。日本で国を愛そうという流れは、アメリカのグローバリズムと新自由主義に反対するものである。決して外国を攻めろというものではない。
この記者は平和を主張するふりをしてグローバリズムに賛成している。

一月十九日(月)(ブリュッセル支局)
翌12月29日はブリュッセル支局の記者が書いた「イラク人からの手紙」である。「今、米国留学を目指している。ジャーナリズムを学ぶためだ。」「普通の米国人に会い、開かれた米社会を学び、イラクを地域のモデル国家にしたい」
ジャーナリズムは学ぶものではない。不正を暴き、不公平を正し、人心を幸せにし、社会を安定させる。アメリカに学ぶことは何もない。参考としてアメリカの新聞を購読してもよい。しかし自国に適合できることはそれほど多くないはずである。
日本は明治以降欧米の真似をして、植民地獲得競争に参入した。そしてひどい目にあった。イラクはアメリカの反イランの戦略に巻き込まれ、アメリカはフセインを支援した。そして後にフセインを見捨て、イラクは今でも大変な目にあっている。
ブリュッセル支局の記者にはそのことが分からないらしい。

一月二十一日(水)(雪のあるホワイトクリスマスと滅びる生物とどちらが大切か)
このブリュッセル支局の記者は12月22日にも次の記事を書いている。
サルコジ大統領に最近、「恥を知れ」とかみついたのが環境保護NGOだ。(中略)今、必要なのは「環境か産業か」の二者択一でなく、「環境も産業も」の社会の実現を目指して知恵を絞ることだ。いつまでも、雪のあるホワイトクリスマスを楽しむために。
環境を犠牲に一部の人間が贅沢をしてきたために、多くの生物が滅びる寸前にある。「環境も産業も」などと欺瞞を言っている場合ではない。しかもその目的が雪のあるホワイトクリスマスを楽しむためとは呆れる。
環境を守るにはまず贅沢をやめることだ。新聞社の海外支局はいらない。現地の新聞社と提携すればいい。平成4年にアメリカ留学生の服部君がハロウィンで射殺され犯人は無罪となった。ハロウィンのお菓子に毒が入っていたという事件もあった。たぶん毎日新聞だと思うが、ハロウィンが楽しめないなんて悲しいじゃありませんか、という駄文記事が全国紙に載った。人の命とハロウィンを楽しむこととどちらが大切なのか、アメリカかぶれもいい加減にしろ、と16年前に思った。海外支局は欧米かぶれ記者養成機関と化している。廃止したほうがいい。

一月二十二日(木)(欧米かぶれの究極)
1月3日には「大アジアという夢想」と題して外信部の記者が書いている。
世界不況、日中印三極、思想なき国家主義。21世紀の今日も図式は驚くほど変わらない。
日本が戦前に軍国主義と国家主義の道を歩んだのはなぜか。日本にそんな主義を創造する力はない。すべて欧米の猿真似だった。
現在、欧米文明は多くの生物を滅ぼし地球をも滅ぼそうとしている。化石燃料の使用を停止すれば世界各国は先祖からの文化に一旦帰ることになる。日本は長きに亘って朝鮮半島清国天竺東南アジアと交流をしてきた。今後も連携するのは当然ではないか。

一月二十三日(金)(偏向が酷い産経新聞)
産経新聞は別の意味で偏向している。そう世間からは見られている。しかし我が家では産経新聞を購読してきた。夕刊がなく値段が安いという理由もあるが、この新聞には日本の伝統を守ろうとする姿勢が見られる。
しかし拝米反中韓がひどすぎる。もはや新聞とはいえない。あまりにひどいので我が家でも昨年購読を打ち切った。

一月二十六日(月)(産経新聞の元旦)
産経新聞の1月1日の十一面に「価値観共有の日印」という表題がある。さすが産経新聞、文化面では捨てがたい、と記事を読んだ。
1949年、戦争で多くの動物を失った東京・上野動物園に、独立後間もないインドから大きな贈り物が届いた。像の「インディラ」である。
インドは多くの犠牲者を出しイギリスから独立した。ところが記事の後半には次のように書かれている。
日本としても、法治や民主主義といった価値観を共有するインドの安定は重要だ。
喜びはぬか喜びに終わった。

一月二十七日(火)(民主的と民主主義は違う)
民主的な態度は必要である。他の意見はよく聞き尊重する。老若貴賤の差別なく人格を尊重する。そのような態度が必要だ。ところがここ20年ほど民主主義という単語は正反対の意味を持つようになった。一つには欧米が非欧米地域の文化を破壊するときに用いる。二つには少数者を排斥するときに用いる。三つには民主的な態度に欠けた人間ほどこの単語を好む。
日本とインドの共通点は一つには仏教、二つには神道とヒンズー教の類似、三つには非欧米文化である。インドの音楽を聴いていると、あるいはインド文化圏に属するスリランカの僧侶の唱えるパーリ語のお経を聞いていると、欧米とは異なる文化の共通を感じることができる。
産経新聞の記者はなぜこの共通点を感じないのか。白人崇拝やアメリカ崇拝はいいかげんに止めたほうがいい。KKK新聞(サンケー新聞)と呼ばれかねない。

一月三十一日(土)(読売新聞)
読売新聞には、従米、経済界寄り、という印象を持っていた。しかし1月1日から10日までを読んでみてそのようなことはなかった。毎日新聞のように偏向した記者の主張が載らないところがいい。記事もバランスが保たれている。文化的には産経新聞と同じ保守だが雲泥の差がある。しかし読売新聞もぬか喜びに終わった。オバマの演説を英文付きで載せた。

二月一日(日)(日本はアメリカの属領か)
朝日新聞はオバマの演説の要旨(21日朝刊)、本文(21日夕刊)、本文(22日朝刊)と3回載せた。毎日新聞も本文を2回載せ、しかも2回目は英文まで載せた。
これでは日本の国民がアメリカかぶれになるのも無理はない。本当だったらオバマの演説の概要を1回載せるだけでいい。それよりオバマの演説には日本人、いやアジアの人々にとって許しがたい問題点がある。

二月二日(月)(オバマの宗教意識)
オバマは次のように演説した。
私たちの国は、XX教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、無宗教者からなる国家だ。
アジア人にとり許しがたいのは仏教を無視している。日本人は何よりもそのことに気が付かなくてはならない。
アメリカ国勢調査局によると 2001年のアメリカ成人人口は2億798万。このうちXX教が1億5951万、ユダヤ教が283万、イスラム教が110万、仏教が108万、ヒンドゥー教が77万、ユニタリアン(プロテスタントの一派)が63万、先住民が10万人。無宗教合計は2948万で内訳は無宗教2749万、無神論90万、不可知論99万、人道主義5万、世俗主義5万。回答拒否が1125万である。
4番目に人数の多い仏教をなぜ無視するのか。昨年ミャンマーとチベット問題でアメリカはさかんに反政府僧侶を支持した。当然アメリカの仏教への関心は高いはずだった。しかしこの演説であれが欺瞞だったことがはっきりした。仏教だけではない。アメリカの本当の主人公である先住民が無視された。

二月三日(火)(先祖から引き継いだ文化を子孫に)
日本の新聞ならまずこのことに気付くべきだ。日本の全国紙の上層部は本当に欧米かぶれの無能な連中だということがはっきりした。
アジアはヒンドゥー教、イスラム教、仏教、XX教、儒教道教神道などで構成されている。すべてのアジアの人々はこの共存した宗教をそのままの形で後世に伝えるべきだ。化石燃料の使用を停止すれば、先祖から引き継いだ文化が重要となる。
日本の新聞は世代を超えた視点で記事を書く必要がある。

二月五日(木)(記事が採用されるには欧米かぶれが一番)
記者も自分の書いた原稿が何回も差し戻されては嫌だから、当たり障りのない書き方になる。一番楽な方法は欧米のやり方を賞賛することである。
その結果、読売、産経、朝日、すべての全国紙が少なくともここ20年間は日本の読者を欧米かぶれへと誘導し洗脳してきた。そして戦前は、これも欧米のやり方である軍国主義へと導いた。

二月七日(土)(政府は記者に特権を与えるな)
政府の方針は国会で議論し、各党の機関紙が論評し、有権者へのビラで批判する。そして各党は平等に国民の質問を受け付ける。これがあるべき姿である。
首相や大臣に記者が付きまとうのは禁止したほうがいい。全国紙の上層部はこれまで見てきたように欧米かぶれだ。このような連中が質問を繰り返すと首相や大臣まで影響を受ける。
質問は広く国民から各政党の広報が受け付け、内容はインターネットで公開する。記者はそれを呼んで記事を書く。これがインターネット時代には正しい。相撲協会やスポーツ団体もそのようにすべきだ。

二月十二日(木)(新聞は事実だけを報道しろ)
農民運動も労働運動も消費者運動も、その必要のあるものがやむを得ず行う。これがあるべき姿だ。論評も同じである。
新聞記者という売文業の人たちがその必要もないのに文章を書く。欧米の猿真似をするのが一番楽である。その結果、戦前は日本を軍国主義に引きずり込み、戦後は日本をアメリカかぶれに巻き込んだ。
新聞は事実を報道すればよい。あとは国民が考える。


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