98、横浜中華街

平成ニ十一年
ニ月八日(日)(春節)
今日は横浜中華街の春節を見に行った。山下町公園で10時半から獅子舞、竜舞、京劇、舞踊があるので、まず山下公園に行った。広大な山下公園を隅から隅まで歩いたが、それらしいものは見当たらない。自由の森学園という一団が「日本の踊り、中国舞踊」の準備をしていた。先生らしい人に話を聞くと「昨日は中華街で行っていました。自由の森学園は飯能の私立中高一貫校で12時半から日本や中国の踊りを行うのでぜひ見に来てください」とのことだった。

中華街に行くと、山下公園とは別に山下町公園という小さな公園があった。「こらあ、横浜に住んでいて山下公園と山下町公園の区別も付かないのか」と怒られそうだが、中華街の春節を見に行くのも初めてである。「こらあ、ホームページでアジア重視とか言っておきながら一回も行ったことがないのか」とこれも怒られそうである。

テレビ神奈川で三国志を放送している。中国のテレビ局が製作したものを日本語に吹き替えてある。先週は関羽が殺され劉備が出陣し、関羽の息子が敵将を追って道に迷い泊まった家に関羽の絵が飾られていた、という場面だった。よし、関帝廟にお参りして春節も見よう。そう思い立った。

ニ月十日(火)(兵庫商業高校龍獅團と東京歌舞団)
特筆すべきは龍舞・獅子舞の神戸市立兵庫商業高校、京劇の東京歌舞団である。

兵庫商業は公立高校で唯一、龍舞獅子舞を行う龍獅團というクラブがある。ちょうど媽祖廟にお参りしていたら龍を持って現れ龍舞を奉納した。龍舞・獅子舞は庶民の娯楽であるとともに神聖な行事である。
東京歌舞団は、在日中国音楽家が「音楽を通じて日中文化交流、友好親善の架け橋になりたい」という思いで結成し、中国の音楽大学や舞踊学院を卒業し、各地の民族楽団や歌舞団に所属し中国音楽界の第一線で活躍していた演奏家・歌手・舞踊家で、いずれも中国および日本でも高い評価を得ているという紹介とともに現れた。そして第一線の京劇を披露してくれた。

日本の教育界は龍獅團のようなアジア文化の活動を目指し、放送局や劇場は東京歌舞団の活用を考えるべきだ。

ニ月十四日(土)(媽祖廟)
媽祖廟という関帝廟に匹敵する大きなお堂がある。建立したのは二年前である。
五年前にマンション建設の計画が持ち上がった。街の雰囲気が激変することを心配した中華街が土地を買い取り各店舗から寄付を集め媽祖廟を建設した。
あの統一された雰囲気の街並みは多くの人たちの努力で守られている。

ニ月十五日(日)(父と中華街)
私の父は戦中は大東亜省の留学生として北京にいた。戦後は外務省に吸収された。父以外の同僚は全員外務省に移り大使になった人もいる。父は外務省には行かなかったが「事情は分かりました。残念ですね。」という当時の外務省担当官の手紙を見たことがある。その留学生仲間が20年以上前に中華街で同窓会を開いた。埼玉県から横浜はずいぶん遠いように思えた。
帰ってきてから、店の人と中国語で話し、元大使の人が外務省顧問の名刺を渡したら、店の人がたいそう喜んでいた、と話していた。その父もなくなって七年が経つ。


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