97-2、井出英策氏の問題点

平成ニ十年
十ニ月十四日(日)(石水喜夫氏と井手英策氏)
昨日は労組の春闘セミナーに参加した。第一教程の講師は厚生労働省の労働経済調査官の石水喜夫氏であった。平成20年版労働経済白書について解説していただいた。ジニ係数から日本は平等だと主張する経済学者の問題点を厚生労働省が調べると大変なので学者がすべきだが経済学者はみな市場主義者なのかを私が質問したところ、主流以外の人は教授にはなれないし他人が研究しないニッチな分野を研究するため全体を見られる人がいない、皆さんがそのような学者を育ててください、という答をいただいた。石水氏は大東文化大学の非常勤講師もされている。
朝日新聞の記者も組合員として参加していた。朝日新聞は労働問題も書いているが、石水氏は朝日新聞の問題点も一言二言言及された。
第二教程は横浜国立大学准教授の井手英策氏であった。私は石水氏の主張には99%賛成、井出氏の主張には99%反対である。

十ニ月十五日(月)(丸山真男教信者)
井出英策氏(横浜国大准教授)はセミナーの冒頭から、他者を裏切ることへのペナルティの大きな社会が日本であり、その一つに、村落共同体(村八分)を挙げた。
村落共同体は日本の誇るべき美風ではないか。農村が共栄するための方法であった。しかし美風も20年すればカビが生えてくる。村の有力者に権力を持つものがときには現れるかもしれない。
戦後は村落共同体が不要となったがそれは石油の消費と引き換えである。石油を消費せず共栄する方法を探せば自然と村落共同体となる。日本のものは何でも悪く欧米は正しいとする典型的な丸山真男教である。欧米思想は石油を消費し後世の人間を含む動植物の生存権を犠牲にする悪魔の思想だという観点が抜けている。

十ニ月十六日(火)(欧米と比べる必要はない)
井出氏は、他者を裏切ることへのペナルティの大きな社会を基盤として、日本は先進国のなかでもきわめて小さな政府だと述べ、セミナーの後のほうでは高負担を主張する。
なぜ欧米と比較するのか。各国にはそれぞれこれまでの経緯がある。どうしても比較したければ韓国、台湾、香港、東南アジアと比べたらいいではないか。欧米はXX教や宗教改革などの長い歴史を経てペナルティを最適化してきた。井出氏は他者を裏切るペナルティの低い国がいいのか。井出氏の周りの人たちはどんどん井出氏を裏切ったほうがいい。

十ニ月十七日(水)(日本人が従順なのはペナルティのせいではない)
日本人はおとなしく従順な国民である。これは美風であり時として欠点になる。10年ほど前まではパソコンのパスワードを書いた紙をパソコンに貼り付けても誰も不当にログインなどしなかった。他人のパソコンにログインすると厳罰に処すというペナルティがあったためではない。
美風を美風と見ず、村八分という極端な例を挙げて攻撃する。村八分が葬式と火事を除くことについて井出氏は死体が腐ったり延焼するからだと述べたが、葬式をしなくとも農村では土葬すれば腐らないし火事のときも周りの落ち葉枯れ草樹木に注意すれば延焼は防げる。葬式と火事は除外せず生存権までは奪わない先人の知恵に着目すべきである。西洋思想だったら0か1かのデジタル思考で生存権まで奪っていたであろう。
農村では水の分配、農作業、共有地の管理、かやぶき屋根の葺き替えまで共同作業が重要である。自分勝手な人は皆が迷惑する。中には村八分を乱用する人もいたことであろう。それは西洋の宗教裁判や魔女狩り、フランス革命だって同様である。人間は過ちを犯す。
日本の過ちだけを強調する井出氏はやはり丸山真男教である。

十ニ月十八日(木)(北陸三県)
井出氏は、「北陸三県は全国で教育水準がもっとも高く、生活保護率がもっとも低い」とし、その理由として「三世代同居率が高く、子育てを老齢世代が担当」「女性の社会進出がすすみ、世帯所得高い」「子供の平均的教育水準の上昇。教育から排除される貧しい児童が少ない」を挙げた。
北陸三県でまず着目すべきは真宗である。他の宗派は僧侶妻帯という負い目があるから目立つ活動はできない。真宗は最大限に活動ができる。一方で近畿、尾張など真宗の強い他の地域には大都会がある。文化的背景を無視する井出氏の主張はこの時点で既に失格である。

十ニ月十九日(金)(世代の文化相続を)
井出氏の挙げた三つの理由のうち最初の理由の結果としてニ番目と三番目がある。つまり三つは並列には論じられない。
最初の「三世代同居率が高く子育てを老齢世代が担当」が重要である。世代間の文化相続ができる上に、親以外の子育て者がいることにより子供の視野が広がり両親の七癖の影響を少なくする。

十ニ月ニ十日(土)(欧米猿真似経済学者が国を滅ぼす)
井出氏は北陸三県と同じことを他の地域がするのは不可能だと言う。
・三世代同居率を高めるのはもはや困難
・女性の社会進出をすすめるために、福祉分野の拡大が不可欠

井出氏のいう福祉分野の拡大はよくない。保育園は日本の文化に合っていない。かつては保母といったが今は男女雇用均等で保育士という。これがまずよくない。更によくないのは保育士の試験に次のようなものが出題される。
・アダムスミスと関連があるものは、自由放任説、慈善事業法、新救貧法、人口論のうちどれか
・モンテッソーリがローマのスラム街に開設した施設は子どもの家、保育学校、幼児保護所、幼児学校、母親学校のうちどれか

保育士にこのような知識は必要ない。モンテッソーリが子供の家を作ろうと幼児学校を作ろうとどちらでもいいではないか。
女性を社会参加させるには三世代同居が一番いい。一番歴史のある方法である。それが不可能ならば次の二つが考えられる。
(1)地域のお年寄りを中心に保育園を開設する
(2)夫婦単位で仕事ができるよう社会を徐々に変革させる。

後者を実現するには一つ目には職住接近であり、二つ目には個人単位ではなく家族単位の雇用制度または個人事業である。この場合雇用主または発注主による搾取が発生しないよう制度の拡充が必要である。そのようなことを考えるのが経済学者の役目ではないか。欧米の猿真似学者は無駄である。いや無駄なだけではない。社会に有害である。

十ニ月ニ十一日(日)(日本の宗教を無視)
井出氏は日本の宗教を無視している。まず信頼をめぐるソーシャル・キャピタル理論と称して、ボランティア組織やNPOは海外では宗教で動いているが日本では政府が責任を果たすことが信頼を強化すると述べた。ここでまず日本の宗教は海外とは異なるということを暗示した。
そのためには条件さえそろえば誰もが享受できる「ユニバーサルデザイン」が重要だという。ユニバーサルデザインの典型例は定額給付金だがお布施返しみたいなもので公明党・XX会の発想だという。
公明党、XX会を論じるときは政策論争、教義論争、組織論であるべきである。日本でXX会を批判する論調の95%はあんなものを信じるやつは馬鹿だ、という意識があるがこれはよくない。XX教を含む国内の全宗教を馬鹿にしている。
共産党とXX会は社会の底辺を相手にして支持基盤が競合するから仲が悪い、といわれている。だったらなおのこと論争はいいが馬鹿にすべきではない。私が共産党やXX会を温かい目で見るのもこの理由による。だから真面目なXX教徒や真宗や他の団体も温かい目で見ている。

十ニ月ニ十ニ日(月)(ユニバーサルデザイン)
ユニバーサルデザインについて
・所得審査をともなうターゲット主義では、貧困層が疎外感を味わう。
・医療と福祉に関して、若年層⇔高齢者、低所得者⇔中間層・富裕層という受益・負担関係は、世代間、所得階層間の断絶を生む。
・ユニバーサルデザインである教育や図書館サービスなどは、啓発と触れ合いを通じて、貧困層、移民層の社会的疎外を阻止する。

井出氏は図書館が貧困層、移民層の社会的疎外を防ぐことをさかんに強調していた。しかしそれはアメリカの話で日本とは関係ない。アメリカの猿真似をするからこういう駄論が出てくる。日本では外国人に職を与えることと日本語が不十分な人には日本語教育を行うことが重要である。そのためには現地で日本語教育を受けた人や日本の学校を卒業した人を優先して受け入れる必要がある。ここに留学生を受け入れる意義もある。
貧困層については図書館より職を与えることが重要である。そしてどちらも町内会などの活用が必要である。

十ニ月ニ十三日(火)(官僚と学者の問題点)
控除や補助金は、例えば年収が一定額を超えると突然打ち切りになり、不公平感を生む。だから年収が増えるに従って勾配が負の直線で控除や補助金を減らせば不公平感はなくなる。数学でいう不連続点をなくせばいいのでは。と私が質問したところ井出氏はポリシーの違いだと答えられた。しかしユニバーサルデザインも漸減直線も同じではないか。どちらも所得が上がるにつれて受けるものより負担が多くなる。後者はその変化率が高いだけである。
井出氏のユニバーサルデザインの問題点は、日本の実情を考えれば分かることを自分では考えずに無理にアメリカ人の考えた学説に当てはめている。今はコンピュータが発達しているから漸減直線を計算するのは簡単である。そろばんで計算していた時代のやり方で不公平を放置する官僚と、欧米の学説を取り入れるだけの経済学者には困ったものである。

十ニ月ニ十四日(水)(中間層を分厚くせずピラミッド型社会を)
女性や若者がきちんと労働参加できる社会を作ることにより、歳出は増大するが、中間層が分厚くなり税収は飛躍的に増大、と井出氏は言う。
しかし中間層を分厚くすると事態はより悪化する。中間層というからにはその下に下層がある。そのような中だるみ型の社会は安定しない。下層が大多数のピラミッド型社会こそ安定する。そのためには派遣、偽装請負、下請け、非正規雇用を禁止すべきである。労働者は下層。だから労働組合が認められる。大多数だから精神的にも安定する。


十ニ月ニ十五日(木)(信頼社会を築くには)
井出氏は正規雇用化がすすめば→人びとの信頼が高まり増税も可能だという。しかし正規雇用化をすすめるには大企業が終身雇用をやめるしか方法はない。中小企業では正規雇用でも中途退職者が後を絶たない。倒産や解雇も多い。正社員とパートの差はあまりない。中小企業はもともと全員が正規雇用なのである。
ここに信頼感のまったくない日本と言う社会が作られた。企業別労組と日本経団連を解散しない限り、日本に信頼社会は築けない。

十ニ月ニ十六日(金)(格差製造機関)
井出氏は若年無業者:非求職型と非希望型があり、後者の8割は高卒以下⇒不十分な教育水準が就労拒否と結びつく傾向と主張している。しかしこれは完全に誤っている。
高卒と言えば立派な学力である。高校の教科書を9割理解していれば、どんな産業でも幹部として立派に活躍できる。日本の教育機関の多くは教育機関ではない。あれは格差製造機関である。ここ20年ほど高卒に基礎学力の劣った人が多かったのは事実である。しかしこれらの人たちは例え大学を卒業しても社会へ出れば同じである。この格差は本人達の責任ではない。戦後の欧米猿真似経済が作り出した。経済学者はまずすべての人が格差なく働ける経済構造を考え出せ。次にすべての国立大学は入試上位者と下位者を意図的に入学させよ。これは大学に格差製造を放棄させるとともに、国立大学に下位者の能力向上を図らせるという国家の重要事業を担わせることである。
井出氏が労組のセミナーに来て講演するのはその後でも遅くはない。

十ニ月ニ十七日(土)(醜い日本語)
井出氏は対策、政策という単語は分かりにくいから、メジャー、ポリシーと言ったほうがいいと言った。対策が分かりにくければ一時的な対策と言えばいいし、政策が分かりにくければ文脈に応じて長期政策能動政策と言えばいい。メジャーでは誰もが大リーグか巻尺を連想する。
欧米の学説を丸呑みするからこのような醜い日本語が出てくる。欧米崇拝が根底にあるからこのような醜い言葉を使っても気が付かない。

十ニ月ニ十八日(日)(米兵相手の施設)
井出氏はユニバーサルデザインの説明の中で突然、終戦直後に佐藤栄作が純血を守るために米兵相手の施設を作り、公園にいる女におにぎり2個を与えて連れて来て1日に10数人の相手をさせて気が狂ったという話をした。
佐藤栄作は終戦時には鉄道省だからお兄さんの岸信介の間違いかも知れないが、一番の問題は純血を守るためにの部分である。米兵相手の施設を作った理由は犯罪を防ぐためであり、純血を守るためではない。明治維新の会津では勝った官軍が住民への乱暴狼藉を行い、逃げる会津兵も途中で乱暴狼藉を行ったそうだが、これらは井出氏の説明だと純血には関係ないからいいことになる。
井出氏はユニバーサルデザインで突然この話を持ち出したが、だったらおにぎり2個で連れて来ずに一般の人が交代で施設に通ったほうがいいのか。それがユニバーサルデザインである。
戦争はこのように人間を狂気にするからやめよう、という主張なら賛成である。米兵の乱暴狼藉は米軍が悪い。それなのに日本は純血にこだわる心の狭い連中だという印象だけが残る。欧米は正しく日本は間違っているという印象を与える目的で、井出氏はこの話を突然持ち出している。

十ニ月ニ十九日(月)(非正規雇用問題とユニバーサルは無関係)
労働者は最下層だから労働組合が認められる。この大原則を忘れるとエゴ集団となる。総評の解体に合わせて作られた天下の大悪法、労働者派遣法はその典型である。あの法律はエゴ集団と化した大企業労組が作ったと言える。
井出氏はユニバーサルと反対の雇用形態が非正規雇用だと言及したが、ユニバーサルと非正規雇用は別問題である。雇用を同じにすることがユニバーサルなら賃金を同一にすることも共産主義もユニバーサルになる。
井出氏の講演の最大の欠陥は「市場原理主義を超えて」と題しながら、村八分や終戦直後の米兵相手の施設まで取り上げ、労働問題については、非正規雇用がユニバーサルに反すると、時間にして15秒、資料で1行載せただけであった。

一月三日(土)(大学の社会科学系学部は社会に貢献していない)
入試で偏差値別に並べられた受験生を入学させてそのままの序列で社会に送り出す。いったい大学は社会の役に立っているのか。理系学部は研究で社会に貢献しているが、経済、政治、法学部はまったく役に立っていない。その理由は欧米の猿真似だからである。東洋の文化、日本の文化に合った社会科学を教育し研究するべきである。
井出氏はなぜ場違いの講演に終始したのか。井出氏は二年前に一年間アメリカの大学に客員研究員として滞在した。これがよくない。東洋の文化、日本の文化に合った社会科学を教育し研究するにはアメリカに行く必要はない。偵察の意味でごく少数の人が行くだけでよい。それ以外の目的で行った人は大学の教員には原則として不適格である。

一月四日(日)(日本人は真の国際人になれ)
アメリカかぶれは国際人ではない。アメリカは世界の人口の5%を占めるに過ぎない。しかもアメリカは植民地時代に作られた人工国家であり歴史がない。分かり易く言えば「横浜のみなとみらい地区は日本文化の中心地だ」と叫ぶに等しい。みなとみらいは国鉄の貨物駅があったところにビルを建てたにすぎない。そもそも横浜は小さな漁村であった。
真の国際人とは各国の文化の多様性を認め、欧米文化の世界征服を防ぎ、欧米かぶれをやめ、その上で世界と仲良くすることである。

一月五日(月)(日本人は平衡感覚を身に付けよ)
あと日本人に欠けているいるものは平衡感覚である。これだけ欧米文化が流入すれば、社会が不安定になるのは目に見えている。
平衡感覚を身に付けるには長い歴史の目で現象を見ることである。日本の社会科学系学者の多くはそれができていない。歴史の目で見ようとしても欧米の歴史の目で見ている。

一月七日(水)(信頼社会を築くには)
日本の信頼社会は崩壊した。それは雇用の二重基準のためである。大企業と下請け、正社員と非正規雇用。これらは欧米の学説にはないから日本の学者は誰も対策を考えない。そして今回の図書館が移民層の社会的阻害を阻止するといったようなアメリカまたは欧米でしか通用しないことを言い続けて来た。
信頼社会を築くには欧米学説の猿真似はやめて、日本の現状を特に弱者の視点から見る必要がある。

一月八日(木)(弱者の視点から見る学者)
弱者の視点から見る学者はどのように育成したらいいだろうか。理系と文学系は別にして、社会系の大学教員は非常勤とすべきである。役所や企業から出向で来る人もいよう。自営や非正規雇用で来る人もいよう。それでこそ日本の社会を反映した学説が組み立てられる。欧米の猿真似ではない生きた学説が生み出される。


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