102-2、作家X2(クラムボンの世界からキリストへの道)
平成ニ十一年
四月二十八日(火)「最も優れた作家Xに関する著作」
これまで読んだ作家Xに関する著作のなかで最も優れているものは、一昨日図書館で見つけた木村百代さんの「クラムボンの世界からキリストへの道」である。キリスト新聞社から1994年に出版され、木村さん自身は略歴に「主婦」と記している。
変に大学准教授と名乗る連中が偏向した駄本ばかりを出版するのと比べて、この本は極めて優れている。
四月二十九日(水)「序文」
まず「序文」では、作家Xが遺言として母に語った
- この童話は、ありがたいほとけさんの教えを、いっしょけんめいに書いたものだんすじゃ。だからいつかは、きっと、みんなでよろこんで読むようになるんすじゃ
を引用して作家Xの童話を「信仰の書」と呼んでいる。こののち
- 人を知る最も優れた教科書が聖書である。
- 旧約聖書は、歴史上に起った事件(争い)と争いの当事者の姿を繰返し描くことで、歴史書になると同時に類型的な人間の姿を描き出している。
- 新約聖書はもっとはっきりした形をとっている。
イエスは人びとを完全な観客の中に置いて眺め、対話する相手の心にある思い、悪意を見抜き(以下略)
と述べているが、XX教徒以外でも素直に納得できるのは、欧米かぶれではなく我々の視線で読み、我々の立場で語っているためである。
四月三十日(木)「長い歴史と気候風土」
欧米の猿真似の悪い理由は、東洋の長い歴史と気候風土に合っていないことにある。当ホームページはこれまで仏教に肩入れしてきたが、その理由は仏教が長く日本に根付いているためである。日本に合った方法で布教し信仰するのであればXX教も大歓迎である。
木村さんは次のように書いている。
- 「児童文学」という一つの分野が確立され活動が盛んになったのは、西洋の童話が日本に入って来た大正から昭和にかけてであるが、特に戦後の歩みはアメリカの影響を強く受け個性的、躍動的な子供をそのまま伸しながら成長させる物語を書くためにはどうしたらよいか、そのための思考錯誤の歴史だったと言っても過言ではない。
- しかしこれは簡単に解決できる問題ではない。長い歴史の中で培われ、心に深く浸透しているXX教の思想や、気候風土から生まれた宗教体系が母体になっている西洋の童話の構成面だけを真似ても、子供たちに深い感動を与えるような作品にはならない。
五月一日(金)「先の戦争について反省」
木村さんは先の戦争について反省する立場からこの著書のあちこちで言及している。しかし丸山真男や朝日新聞のように、欧米列強のすることは何でも正しく日本のすることはすべて間違っているという立場は取っていないため、誰もが素直に賛成できる。
- 最近、過去に起った悲惨な戦争や、残虐な事件の裏に隠された真実を伝える番組がたびたびテレビに登場するようになったが、その陰に必ず為政者や権力者たちの、醜く、悲しいまでにおろかな姿がある。
- だれもが同じ立場に立たされたとき加害者にならないと言いきることはできない。
- 人間がどんなに弱いものであるか、どんなに利己的な生き物であるかを知らなければならない。
朝日新聞や毎日新聞のような「私たちだけが平和主義者なんです」「欧米だけが正しいんです」という偽善とは大違いである。
五月二日(土)「偽善を見抜く目」
- 偽善を見抜く目はどこから育つのか、すでに子供の頃から持っている。しかし思考型の子供や正義漢は秩序を保つ上で邪魔になる。日本の社会では嫌われる存在である。
次に木村さんは作家Xを引用している。
- みんながこんな状況のなかにありながら
大へん元気に見えるのは
ごく古くから戒められた
東洋風の倫理から
解き放たれたいためではないかと
思われまする
ところがどこも
その結末がひどいのです
結論として
- 敗戦後今日まで日本が歩んできた道も、共産圏が崩壊し、現在歩んでいる道も同じ道である。弾圧の時代が終れば次に待っているのは自由主義経済の嵐である。
- 甘味は精神的にもゆとりを与えてくれる。問題は限度である。聖書は、余分に集めたものは虫がわいて腐ったと記している。
- 一方のエジプトファラオの民はどうか。ファラオの民が独裁者から開放されたら平和が来るだろうか。決してそうではない。やはり次に待っているのは自由主義経済の嵐である。
- 自由主義経済は個人の欲望を煽り、権力者と庶民の対立であったものが個人と個人の対立にまで発展し、日本もやがてピストルでわが身を守る次代が来ないとは言いきれない。
現在の日本は、思考型の子供や正義漢を邪魔にする守旧型人間と、それを超えて自由だ民主主義だと西洋の猿真似を叫ぶ人間で占められている。しかしその結末はひどいものである。これらを超え第三段階として作家Xや木村さんのような主張が望まれる。
五月五日(火)「風の又三郎」
「クラムボンの世界からキリストへの道」が書かれた1994年当時日本は
- 今、国際社会の中で、経済政策、国際貢献のあり方などさまざまな問題で外国から批判を受けている。たしかに考えていかなければならない問題は山積みしている。しかし日本人の行動様式ははたしてマイナス面だけかどうか。短所も、見方を変え、生き方を変えてみると長所になることが多い。
そこで風の又三郎について
- 日本人の姿を客観的に見直すための最良のテキストになっている。
- 三郎の心を知りそれを労るように「又三郎びっくりしたべあ」と声をかける一郎の心遣いは、多くの日本人が持っていた繊細さだったはずである。現代のように世界諸国と付き合わなければならない時代に、責任の所在を明確にすることは重要である。しかし戦後から今日まで、物質面の豊かさだけを求め続け個人主義と利己主義を取違い、いつのまにか日本人が失ってしまった心遣いである。
五月六日(水)「東洋と西洋」
木村さんは東洋と西洋について次のように述べている。
- イエスは、その東洋と西洋の接点に生まれたのである。
- XX教が自我意識の強い民族である西洋に入り、西洋科学と結びつき選民意識を高め、支配欲を高め、西洋科学と共に問うように入って来たために日本では宗教として広く根付かせることはできなかった。
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