九百六十九 (その三)佐藤勝治さん「”冬のスケッチ”研究」(本文) 併せてNHKを批判
平成二十九丁酉年
五月十三日(土)
今回の(その一)(その二)は、宮澤賢治と大畠ヤスについて特集し一旦終了した。ところが佐藤勝治さんの「”冬のスケッチ”研究」の本文を読んだところ、これは名著なので紹介しなくてはいけないと思った。まづ佐藤さんが冬のスケッチを大正十一年とした。これだと「春と修羅」の直前になる。私はこの説に賛成だ。「冬のスケッチ」の後に「春と修羅」を読むと、そのわずかな時間がよく判る。
本文の第三篇第三部は小野隆祥さんへの批判で、それまで佐藤さんと小野さんは仲が良かったのにこのときから敵になってしまった。私は小野さんの書かれたものはまだ読んでゐないが(過去に宮沢賢治に関するものはひと通り読んだから、或いは読んだかも知れない。似た例として絵本作家の書いた本は役に立たないと(その一)で判断したが、その本自体は前に読んだことがあり、そのときも内容の低劣さに途中からページ読みになった)、私は佐藤さんの説が正しいと思ふ。それは
ここで私は小野との最初の意見のくいちがいを思いだした。それは

たまたまに
こぞりて人人購うと云へば
夜もねむらずたかぶれる
わがこゝろこそはかなけれ  (全集第六感四〇九頁)

この詩の「購う」というのを、小野は「女を買う」の意味だと主張してゆずらなかった。私は当時の賢治は石灰売りに苦労しており、たまたま『買ってやる』という客があれば、血がのぼるほどこおどりしてよろこんだ気持をうたったのだと説明しても、ぜったいに認めなかった。(中略)そのほか思いだせば、彼とのくいちがいはたいてい賢治のセックスの問題であった。(中略)なぜ一風変った賢治観に取りつかれているものであろうか。そしてその変則的賢治観からなぜいつまでも脱却できないのであろうか。もっとも彼の前著「宮沢賢治の思索てと宗教」は高度な秀れた著作であるのに、ことが賢治のセックスと女性問題になると、ある種の幻覚をいだいていてそれから離れ難いようである。
これだと正しいのは佐藤さんだ。と同時に(その一)で批判した絵本作家はこれらの影響下にあるのではないだらうのか。例へば絵本作家の本は
ここで無視できないのは、このころの賢治が、後輩の保阪嘉内に同性愛的な感情を抱いていた-とする説があることです。
とある。この絵本作家はよほど賢治を悪く書きたいらしく、これ以外にも「近所では変人として有名でした」「当時はまだ、遊郭がありました。」「だども、変わり者で有名な、宮澤先生も来るンだよ!」『「授業がまずい」というのは確かにそのとおりで、とくに謙遜して書いたわけではありませんでした』などあちこちに埋め込んである。尤も「はじめに」の最後の部分に
この本は、作者のイマジネーションを交え、読み物ふうにまとめています。これまでの研究を踏まえてはおりますが、研究書ではありません。
とある。つまり絵本作家の創作なのだ。それをあたかも研究者のやうに紹介するNHKが悪い。

--------------------ここまでマスコミの横暴を許すな78----------------------------------------
「マスコミの横暴を許すな77」「マスコミの横暴を許すな79」

五月十四日(日)
第三篇の第三部を先に紹介してしまったが、第一篇では「冬のスケッチ」の配列を復元された。従来の「冬のスケッチ」は配列の関係でほとんど無視される存在だったが、佐藤さんのご尽力で「春と修羅」の序章にまで昇格した。佐藤さんが並び替へた「冬のスケッチ」を読んだ後に「春と修羅」を読むと、その内容がよく頭に入る。
第二篇は「春と修羅」の成立過程で、私は「冬のスケッチ」と「春と修羅」を読み比べて、違ひはないと思ふ。半文語か口語かは、あの時代の流行に従ったもので、私には違ひは感じなかった。尤も佐藤さんの順番で「冬のスケッチ」を読んだのは今回が初めてなので、私の意見が変はることはあり得るが。

五月十七日(水)
Y子には信仰の話が出て来ない。一方トシは賢治と国柱会の信仰を共にした。ここにY子へは恋愛、トシには信愛と、別の次元での愛情だった。或いはこの時期、賢治は信仰より恋愛を優先させ、それがトシの病気悪化で信仰が新たな発展を示したとも云へる。新たな発展とは国柱会からの精神的独立だ。そして恋愛より信仰の優先だ。「有明」の最後の(波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶)がそれを示してゐる。(完)

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