九百七十二 NHK批判、100分de名著 陳寿「三国志」
平成二十九丁酉年
五月四日(木)
昨日は、一昨年にも参加した新しい憲法をつくる国民大会に出席するかどうか最後まで迷った。結局は参加しなかったが、それは正午からNHK教育テレビで100分de名著、陳寿「三国志」を放送するからだった。
暫くテレビを見て、こんな番組は見なければよかったと後悔した。早稲田大学教授の解説に司会の男女がペコちゃん人形みたいに首を縦に振るだけだ。しかし解説者の話は良かったし、話が進むうちに、司会の男は最初わざと何も知らない演技をしただけだと評価するやうになった。女は相変はらずキンキンと声を張り上げるだけでペコちゃん人形以上の役割はできなかったが。
終了後に司会の二人について調べると、男はお笑いタレント、ラジオパーソナリティ。なるほどと納得が行った。女はアナウンサー崩れ(NHKでは今でもアナウンサーとして扱ってゐるが、ペコちゃん人形の真似しかやらない人は現役アナウンサーとは云へない)。
解説者の話の内容は
正史三国志は陳寿の作。蜀の役人だったが国が滅んだ後は、晋の役人になった。演義三国志は7割は史実で3割が創作。董卓は政治能力に欠けるので名士を募集したが粗暴なので集まらなかった。まもなく反董卓軍に敗北。袁紹は自ら名士だが他の名士の意見をよく聴き反董卓軍で頭角を表した。その弟の袁術は嫡子意識が強く兄に嫉妬し後に皇帝にならうとして滅んだ。袁紹は他の名士の異なった意見に決断できず優柔不断で、皇帝擁立を曹操にやられてしまった。
以上のお話があった。

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五月十日(水)
本日は三国志の二回目で曹操の特集だった。それまで儒教の政治で緩やかだったが、曹操は法治の政治。漢のために戦ふから、儒教を学んだ人は支持。三つのビジョンがあった。
1.兵力の獲得 公金の乱の青州兵、住民を思想ごと受け入れた
2.屯田制 普通の屯田制は兵士だが、一般の人を屯田。後の世の均田制になり、日本の租庸調につながる。 3.徐州の虐殺で名士が離れ始めたので挽回のため、献帝を擁立。

官渡の戦ひは名士の荀彧に相談。その一部の烏巣の戦ひは敵の計略ではと云ふ意見もあったが決断力、判断力。
儒教の影響を弱めるために文学。作詞を科挙の試験科目に。
曹操の才こそリーダーの中核、孫権の信 周瑜を信頼、劉備の情。

以上のお話があった。孫権の信と劉備の情は私自身は疑問だ。信と情の差は才と比べたらほとんどない。つまり三人は三角形にならない。

五月十八日(木)
昨日は朝五時半から二十五分間、第三回孫権を見た。
父親の孫堅は反董卓軍で頭角を表した。歴代皇帝の墓を修復し名士の信を集めた。漢室匡輔。戦死し兄の孫策が跡を継いだ。占領地の名士を滅ぼし恨まれ死去。
跡を継いだ孫権は若く武芸は孫策に劣るので名士を重視。袁術が皇帝を名乗ったので、袁術に兵、食糧を依存してゐたが独立。
天下三分の計は三国志演技では孔明が考案したことになってゐるが、正史では魯粛と公明が別の案を考へた。孔明案は三分していずれ曹操を倒して漢室を復活。魯粛案は漢室は復興できず曹操は除けないから鼎立。名士たちは漢室復興だから魯粛の案を斥けたがそのとおりになった。孔明は三分の計を手段、魯粛は目的で民を安定。混乱した時代は官儒教を飛びぬけた意見も出て来る。
曹操が孫権に降伏勧告。隣国は降伏して高官になってゐた。周瑜と魯粛が反対。赤壁の戦ひは、三国志演技では孔明が主役だが、正史では黄蓋が主役。曹操は降伏政策だったが、孫権の信の厚さ。正史でも周瑜は美男子だった。
以上のお話があった。この番組は名士が勝敗を左右するが、解説が早稲田大学教授なので、名士=学者と云ふことで同業の働きを高く評価するのかと思った。これが唯一の疑問点で、あとは判り易い解説でよかった。信と情の違ひが半分解決した印象だった。

五月二十七日(土)
今週は、劉備の情、孔明の智だった。
劉備はわらじ売りだった。兵を集めて反董卓軍に参加。頭角を顕して曹操の部下になった。しかし失敗した曹操暗殺計画に参加し、孫権の下へ移った。関羽、張飛とは兄弟のやうな関係。孔明を得てグランドデザインと人脈を得た。三顧の礼は劉備のパフォーマンス。傭兵集団から名士の集団へ。孔明は共通語の雅言を話せた。劉備とは微妙な緊張関係。孔明は経済が不得手なので劉巴を強く推した。孫権が提案した関羽の娘を孫権の息子の嫁にする話を関羽は拒否し戦死。関羽の仇討ちに孔明は反対しなかった。乱命(臣下が従へない命令を君主が出すこと。ここでは劉備の子に才がなければ代はりに君主になれと云ふ遺言)は、本当に孔明を信頼するなら云はなかった。関羽、張飛には120%の信頼、孔明には80%。出師の表は孔明の智と情(先帝への追慕)。
以上のお話があった。ここでまた信と情の違ひが判らなくなった。或いは情とは昔からの仲間を重視する情実のことなのかと判った。劉備の情実を孔明の智で補ったと云へる。或いは国内に情の関羽と張飛、智の孔明と二つの勢力を持ちその均衡が国力を安定させたと云へる。ここは情ではなく均衡がよかった。

三国志演技から、私は二十年くらい前にある結論を得てゐた。それは英雄が皇帝になると国力が弱まる。曹操が皇帝になったため、孫権や劉備の離反を招いた。劉備が皇帝になったため、関羽の仇討ちを行った。皇帝になると臣下たちとの意志の疎通が不十分になるのではないか。(完)

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