九百五十八 昼休みに動労東京のデモ隊を見た
平成二十九丁酉年
四月四日(火)
先週金曜の昼休みに、新宿中央公園の反対側の歩道を散歩したところ、動労東京などのデモ隊が道路の公園側を行進するのに出会った。ビラを受け取ったところでデモは終了した。信号を渡り公園入口に行くとここが解散場所で再度ビラを差し出されたので、既に受け取ったことを伝へると、一枚入ってゐない、余ったからと、ビラの中から一枚抜いて中核派の機関紙を頂いた。中核派はなかなか感心だ。
動労千葉から水戸が派生したことは知ってゐたが、東京にも派生したことを今回初めて知った。私と中核派では思想に大きな隔たりがあるが、それにも拘らず感心したのは、通行人に自分たちの思想を伝へようとしたことと、企業の枠を超えた労働運動にある。

四月六日(木)
五十歳以上の年代は中核派に悪い印象しか持たない。革マルとの内ゲバで大量の死傷者を出した。これは互いに攻撃し合ったから、一方だけを批判することはできないが、三里塚反対闘争では共闘する他の団体を一方的に攻撃し、重傷者を出した。私が以前所属してゐた労組の専従役員はこのとき攻撃される側で反対闘争に参加してゐたから、当時の仲間たちが集まると中核派の批判が飛び出したりもした。
このころ私はこれらの運動には加はらなかったが「労働情報」と云ふ雑誌を購読してゐた。この雑誌は信州大学教授清水慎三さんが発行人、総評元議長の市川誠さんが編集人だった。環境保護の宇井純さんもときどき投稿するので、労働活動家だけではなく環境保護運動者も購読した。私が購読したのも労働運動より環境保護の立場が強かった。中核派が一方的に他の団体に重傷を負はせたときは、内ゲバを止めるやう紙面で多くの人が声明を出し、宇井さんも名を載せた。
だから当時の中核派には悪い印象しか持たないが、その後は内ゲバを止め、動労千葉はかつての総評時代を思ひ起こす労働運動をしてゐる。だから7割くらいは賛同できる。

四月九日(日)
頂いた中核派の機関紙には「万国の労働者団結せよ」「反スターリン主義」が書かれてゐる。これらには私も全面賛成だ。強いて違ひを探せば、前者については「万国の労働者団結せよ」だけでは不十分で「万国の宗教団結せよ」「万国の民族主義者団結せよ」も加へて共闘しないと少数派に留まる。
後者について、まづ私はトロツキーに全面賛成だ。トロツキーを評価する理由は五年前に書いた。その一方で、なぜトロツキーは少数派になったのかを考へると、レーニンが政権を獲得した後のロシアにとって、党幹部、軍上層部、政府高官には、世界革命より国内既得権維持が主要課題になった。そして書記長のスターリンは次々と政敵を処刑した。中国の文化大革命や北朝鮮の叔父軍幹部政府高官処刑も同じだ。
これらを防ぐ手段として弁証法的唯物論と労働価値説がある。前者は単純唯物論と云ふ悪魔の思想への対抗だし、後者は権力争ひと出世競争を防ぐ手段となる。しかしソ連のスターリン主義や中国の文化大革命失敗を見たとき、弁証法的唯物論を実施するにはソ連や中国の真似をしては駄目だ。もし参考になるとすればベトナムとキューバだ。後者については西洋野蛮人どもの地球破壊を止めないと真価が判らない。
中核派がかつての総評時代の労働運動を再現するためには、以上の二つを踏まえる必要がある。

四月十日(月)
中核派が革マル派との内ゲバで大量の死傷者を出した原因として、あの当時はベトナム戦争の最中で中国では文化大革命が起きた。共産主義が世界を席巻する勢ひの中で、暴力を肯定する雰囲気になってしまった。ポルポトはまさに文化大革命のカンボジア版だ。毛沢東はスターリン系だから、スターリン主義の悪風が世界に広まったと云へる。
フルシチョフがスターリン批判を行ったときに、毛沢東はスターリン側に立った。毛沢東は自身が独裁だから、スターリンを批判されると困るのだらう。中核派は暴力の根源をスターリン主義に帰することで、過去の弊害を乗り越えることができる。
スターリンや毛沢東が出現した理由は、弁証法的唯物論と労働価値説を実行しなかった。弁証法的唯物論は単純唯物論に反対するためのもので、労働価値説は権力闘争を廃止するためのものだ。ところが彼らは反対すべき単純唯物論になって、生命を軽視どころか無視するとともに、文化破壊を行った。
中核派が単純唯物論に反対して弁証法的唯物論と労働価値説に立つとき、国民から受け入れられる余地はある。

四月十三日(木)
トロツキーはその世界同時革命論から極左、過激派と思はれてゐる。しかしソ連が一国で共産主義になっても失敗すると云ふもので、それはソ連崩壊で証明された。冷戦時代にはソ連が悪くなったのはスターリンの時代と思はれてゐたが、ソ連が崩壊した後はレーニンに問題があったと云ふのが一般の解釈になった。レーニンは一貫してボリシェヴィキだったが、トロツキーはメンシェビキに所属したこともあった。トロツキーのほうが柔軟だった。
柔軟な思想のトロツキーを再評価することで、中核派は過去の汚名を返上できる。(完)

追記四月十四日(金)
せっかく頂いた機関紙が見当たらず、記憶で以上を書いたが、今朝になって機関紙が見つかったので追記することにした。「万国の労働者団結せよ」「反スターリン主義」のほかに「反帝国主義」が書かれてゐる。これはよいことだ。
米ソ冷戦時代の平和運動は、帝国主義に反対するものだった。つまり米ソ日英独仏蘭伊のすべての帝国主義に反対するものだから、多くの国民に受け入れられた。ところが冷戦終結ののちは、米英仏蘭は正しく、日本は間違ってゐると云ふ奇妙な平和運動になった。背後に社会破壊拝西洋新自由主義駄文見本市反日パンフレットの工作もあった。そもそも九条だの護憲だのを叫ぶ連中は、公務員組合など不要なところにある組合だから、何か活動してゐるふりをしなくてはならず、利害の対立しない九条だの護憲を叫ぶだけだ。
だから平和運動は「反帝国主義」でなくてはいけない。

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