八百八十二 筑波大教授佐々木秀範氏「人は何を見ているのか(唯識思想入門)」

平成二十八年丙申
十月一日(土) 日本酒の話
九月二十三日は午後半休を取り、浅草寺仏教文化講座を聴きに行った。お目当ては第二講座だったが、第一講座を聴かないのは失礼だから拝聴した。第一講座は日本地酒協同組合専務理事上杉孝久氏による「日本史がおもしろくなる日本酒の話」だ。配布された資料は上杉氏系図なのでなぜだらうと思ったら、米沢藩の分家の新田藩主の子孫ださうだ。謙信から数へて十二代目。謙信の死後に後継争ひに勝利した景勝は謙信の甥だから、孝久氏と謙信の遺伝子共通性は1/8192。それより謙信を養子にした憲政は、謙信死後の後継争ひに巻き込まれて景勝軍に殺害された。景勝自身が殺害したのではなく、景勝軍にその意図がなかったとしても、祖父殺しの汚名は免れない。
とは云へ豊臣秀吉も徳川家康も上杉家を承認したのだから昔のことを蒸し返すのは止めよう。何より講演が面白かった。藤原鎌足から始まって十八代のちが上杉氏初代の重房。その三代前に手書きで1141年郷乃誉(茨城)とある。現存する地酒で一番古いのがこれださうだ。重房の二代あとが扇谷上杉と山の内上杉、そして足利尊氏の生母。ここから上杉氏の出世が始まる。山の内上杉の子は関東管領と四条上杉。関東管領の子に本家のほかに越後上杉と深谷上杉。本家を継いだ子の八代あとが謙信を養子にした憲政。憲政には手書きで1548年吉乃川(新潟)、その一代前には1504年剣菱(兵庫)、その一代前に1487年飛良泉(秋田)とある。
謙信の三代あとが急死しお家断絶の危機だった。甥の吉良上野介長男を藩主に迎へたが所領が半分の15万石に減らされた。その子が本家と米沢新田藩に分かれた。独立した支藩ではあったが領地と家臣団を持たなかった。そのやうな話があった。あと日本酒を飲むときは水も同量飲むと云ふ話があった。これは同感だ。ビールや水割りと同じ度数にすると健康に良い。

十月三日(月) 見ているとはどういうことか
第二講座は筑波大学教授佐久間秀範さんによる「人は何を見ているのか(唯識思想入門)」だった。第一節で「日本法相宗に伝わる歌として猿沢の池の短歌を説明された後に、第二節「見ているとはどういうことか」で
・見えている世界を三界という
・欲界:価値判断を伴って見ている世界
・色界:価値判断をぬぐい去って、ものだけを見ている世界
・無色界:見ているものをぬぐい去り、識だけが働いている世界
これらは我々が「見ている」世界は瞑想修行のレベルによって見え方が異なるということを言う。
と解説された。欲界は「欲を伴って見ている世界」とするのが普通だが、価値判断とされたところに特長がある。

十月九日(日) 第三節、第四節
第三節「唯識という漢訳語からの誤解」では
・「ただ識のみがあり、外界は存在しない」という誤解
・お釈迦様が悟ってブッダになっても、外界がなくなった形跡はない。
として、梵語の原義は「思い描き出したもの」に「~だけの量」を付けた「思い描きだされたに過ぎない」と訳すと判りやすいと説明された。

第四節『何が「思い描き出されたに過ぎない」のか。』では
・我々の認識している世界(三界)の見え方が「思い描き出されたに過ぎない」のである。
・我々はものそのものを見ているのではない。脳が処理したものを見ているに過ぎない。
・瑜伽行唯識思想では我々の見ているのは言語概念であって、ものそのものではないと言うことになる。
このあと梵語の訳からもこのやうな結論になることを話された。

十月十日(月) 第五節、第六節
第五節「言語概念の例」では
・お金や地位や名誉は概念の例として判りやすい。
・実態はないが、実効性を持っている。
(中略)
瑜伽行唯識思想では(中略)瞑想法として「唯識観法」を用意した。
・悩み苦しみをどのように乗り越えるのか!
・自分の見ている世界が概念に過ぎない事を実体験として体得することを繰り返し行って行く。
このやうな話があった。最後に第六節「いろは歌」で
・有為(梵語略)は「作り出されたもの」
・言語概念として「作り出されたもの」、たとえばお金や地位など、は常ではない。
・それなのに、お金や地位などを血眼になって追い求める。
・こうした迷いの世界「奥山」を超えて行こう。
以上のお話があった。(完)


固定思想(百二十三)次、固定思想(百二十五)

メニューへ戻る 前へ 次へ