千十九(その二) 二枚目の旅行先
平成二十九丁酉年
八月二十四日(水)
二枚目の青春十八切符で、1回目は常磐線の岩間、水戸線の結城、下館に行った。岩間は日本酒の看板が目に入った。これはよいことだ。日本酒は昔から続いたのだから、尊重しなくてはいけない。
暫くしてその理由が判った。ここは農村を中心とした街で、昔ながらの家並みだ。だから日本酒の看板が目についた。帰りに酒屋で1杯50mlの利き酒100円で別の種類2杯を飲んだ。金賞の酒は300円。これは高いので銀賞の100円にした。冷蔵ケースから二本出しどちらにしますかと云ふので、一本を指さした。いい味だ。せっかく出してくれたのだからもう一本も飲んだ。
向かひのスーパーで、ミニトマト、メンチカツパン、照り焼き卵パンの税込み313円を買った。往路より一本入った路地を歩くと、美容室の看板で電話xxxx、有xxxxと書かれたものがあった。局番や市外局番のない電話番号は珍しい。それより有線放送は更に珍しい。昭和40年代前半の光景を残す街だ。農協脇の自動販売機で飲み物を買った。組合員向けに安く設定してある。
電車の発車まで30分あるので、11時前だが駅前のベンチで昼食を食べた。前回秋田青森を旅行したときは、トマトをトイレの水道で洗って丸かじりしながら出た。今回はミニトマトなのでそのやうなことは無いと思ったが、党名のパックに入ったミニトマトを洗ったあと入れる容器がない。面倒だからトイレの中で食べた。トイレ横のベンチでパンを食べ飲み物を飲んだ。
結城ではまづ結城信金に行った。所持金が2500円しかないかめだった。ところがATMに信金ネットのシールがない。手数料の表を見ると土曜の2時までは当信金、他の金融機関の二つしかない。手数料を取られるといけないので卸さなかった。用事を終了させたあと駅前の観光施設でご飯の上に乗せる味噌を買った。塩辛いと云ふのが妻の感想だがそれは後の話だ。それより我が家で一番薄味の私でさへ伝統の味だから美味しいと感じるのだが。観光施設で結城紬が名産なことも知った。
下館では所用を終了の後、蒸気機関車を見るはずだった。順路では結城が最後なのに下館を最後に回したのはそのためだ。しかし到着まで一時間半あるので、そのまま帰宅した。
八月二十六日(土)
2回目は東海道線で沼津、西焼津に行った。沼津は御用邸記念公園の二つ先までバスで行った。御用邸までのバスを調べると土日のみ一日三本しかない。やむを得ず途中の沼津港までバスに乗り、あとは2kmを歩く予定だったが、所持金が200円しかない。悪いのは結城信金だ。しかしそこは手際よく、駅の反対側に沼津信金があることを調べておいたので、5000円を卸した。
しかし沼津港行きは間に合はない。バス乗り場で別のバス停の運転士が、あのバスが行くと教へてくれて、そのバスに乗った。伊豆箱根バスのホームページと御用邸記念公園のホームページは分かりにくい。江戸時代だったら御用になるところだ。バスは本数が多く乗客もかなりある。平日の昼間にこれだけ乗客がゐるのは街が栄えてゐるからだ。降りるとそこは住宅地と工場地帯の境だった。水産工場、食品倉庫、建材倉庫などが並ぶ。沼津の栄える理由はここにある。工場と水産業の両方がある。
このあと、西焼津に行った。駅前に商店がない。最近できた駅なのか。しかし改札横のトイレの作りから、どう見ても昭和に作られた駅だ(その理由はプラザ合意以降、欧米に旅行する人が増えて、トイレの作りも変はった)。駅から歩いて1000mのところで用事を済ませたあと、海産物店で「しめさばと大根にんじんの千切り酢漬け」150円、「もずく」180円、「伊藤園のお茶500ml」100円(以上税抜き)を買った。これだと炭水化物が不足するが家から菓子類3つを持ってきた。それより、しめさばが2切れしか入ってゐない。大根とにんじんがたくさん入り、これは酢の味で美味しいから150円なら高くはない。しかししめさばが少ない。4切れに増やして大根とにんじんを少量だとよかった。
途中、焼津信金があったので、信金ネットのマークを確認し5000円卸した。今回は卸す必要はないが、給料日に卸す小遣ひ分を前倒しした。
十月十一日(水)
3回目と4回目は上の子が使って、5回目で高崎に行った。大宮を過ぎた左側に立派な三階建てくらいの高さでドーム型の建物がある。その手前に古い車両が止めてあるので、大宮工場の車両解体場だと思った。そのときは完全にさう思ひ続けたが、帰路に再び見て鉄道博物館だと気付いた。私は鉄道博物館に一回も行ったことがない。昭和五十年代までは路面電車、それ以降は客車、客貨車の連携と少なくなるものを記録しようと思っただけで、別に鉄ヲタではない。例へば古城を調べることが好きな人がゐるとしよう。この人は別に建築物が好きな訳ではないのと同じだ。
電車は高崎に着いた。丁度、客車列車の東京寄りに連結したディーゼル機関車を切り離すところだった。前には蒸気機関車が連結してある。まもなく乗車を開始し、暫くして発車した。国鉄がJRになって大きく変化したが客車列車に限り、昔の国鉄の文化を引き継いでゐる。電車やディーゼル車はまったく引き継いでゐない。
今回高崎に行った目的は蒸気機関車ではない。たまたま停車してゐただけだ。駅前から循環バスに乗り石原町に行った。戻った後、信越線で北高崎まで行った。これで本日の用事は終了だが、時間があるので更に一駅乗って群馬八幡まで行った。できれば達磨寺に参拝しようと思ったが、駅前を観ただけで戻った。
達磨市は、達磨寺と出展業者が出展料を廻って分裂し、達磨市も駅前と達磨寺で別の日に分裂開催となった。本来高崎市ではない町が高崎市に合併し、高崎の達磨として有名になった。駅前で開催することは分家が本家を乗っ取るみたいで好きではない。来年の正月は達磨寺にだけ行くか、それとも比較のため両方行くか、どちらかにしたいものだ。(完)
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