八百八十三 一年ぶりのミャンマーのお寺参拝

平成二十八年丙申
十月二日(日)
板橋区にあるミャンマーのお寺に参詣するのは一年ふりだ。七月に雨安居入りの儀式と翌日の止観会が開催されたときは、参加人数が多いのでお寺から400m離れた区立の地域センターで開催された。今回気付いたのは中央の仏像の後ろに装飾板が付いた。ミャンマーの仏像はこれが付くことが多いさうだ。一番最初は仏像だけだった。次に黒い仏像が二体左右に置かれるやうになった。次に左右の仏像が金色になった。二年ごとに大きく進化する。在日ミャンマー人の信仰の篤さには頭が下がる。今回の変化で、前に安置されてゐた高僧の遺骨が右側に移動した。遺骨と云っても透明で小さなビンに入ってゐる。あと小さな仏像(止観会に安置されたものかも知れない)が右手前に安置された。
今回は、午前中に行はれた行事が長引いたので、一階の集会室で雑談して時間を過ごした。今回初めての人、Iさん、私の三名だった。集会室の道路側上部に大型ディスプレイが設置され、ミャンマー文字が次々に表示される。僧侶に食事を供養する当番ださうだ。初めての人が今までミャンマーの何系の瞑想をしてきたと話したあと、私が日本の座禅は足の痛さに神経を集中する瞑想だと話し、Iさんが足が痛くなりますかと聞くので、結跏趺坐は痛くなる、結跏趺坐をするうちに足が慣れるのは骨が少し曲がるためだが伝統だから健康に害はないと話すうちに本堂が空き、皆で移動した。

十月四日(火)
今まで経典学習会は経蔵の解説だったが、今月から論蔵になった。
パーリ語のティーラ、丈夫なもの、ブッダの時代から守られてきている。カルマを信じてゐる。原因->結果。第一段階としてカルマを信じる。前世、現世、来世。
人間界、神々の世界、動物の世界。
カルマは行ひ。体、口、意。カルマは意志。
カルマの結果はどう判るか。1.実際の体験、2.考慮、3.ブッダに訊く
現法受業、次世受業、後後受業(今から二つ後の世)、既有業(結果とならなかった)。以上4つはいつ現れるか
カルマの能力、令生業 カルマが結果、支持業 カルマに指示されて結果。防害業 功徳が悪いカルマを防ぐ或いは逆。殺害業 良いカルマが悪いカルマを殺す或いは逆。重業 まづ大きいカルマ死・禅定など。近業 今の世ではカルマ無いが死の前のことで結果が。久習業 いつも行ってゐるカルマ。
身業(生き物を殺す)、不与業(盗む)、邪欲業(邪淫)、語業(妄語、離間語{親しい仲を壊す、僧侶を離反させる}、粗悪語、〇{糸偏の奇妙}語)、意業(貪欲、瞋恚、邪見{カルマの効果を信じない})。これらを避けると良いカルマになる。以上の10を自分でやるほか人にやらせる、報酬でやらせる、相手がやることに同感も悪いカルマになる。良いことをする、人にさせる、人に説明しさせる、人の行為を褒めるのも功徳になる。
まとめ。上座部仏教はカルマを信じること。返ってくる。良いことをすること。
以上の説法があった。

十月九日(日)
中央の仏像の前にミャンマー語の説明があるので、休み時間に通訳さんに質問したところ、初転法輪を説く仏像でセーサク(聞き間違への惧れがあるが)セヤドーから寄進されたさうだ。質問の時間では、
瞑想で一番上まで行ける。
飢えた人は餓鬼界などは上座部仏教とは異なる。
(阿修羅の質問に)豊かで餓鬼あるいは逆など、時には神、次に逆。
神に願ふのは構はないが、天界に行くには修業が必要。

私は、止観(瞑想)は三学の一つといふ考へだが、普通の上座部僧のオバサセヤドーが「瞑想で一番上まで行ける」と回答したので、ミャンマーの上座部仏教は止観専門僧に限らず止観中心なのかと感じた。(完)


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