八百四十二(その二) 東京大学教授石川健治氏を批判(反日パンフレット批判、その三十一)

平成二十八年丙申
五月十日(火) 憲法を変へなくてはいけない理由
反日パンフレット五月三日の「オピニオン」のページには「9条 立憲主義のピース」と題して石川健治氏が寄稿した。
改憲を唱える人たちは、憲法を軽視するスタイルが身についている。加えて、本来まともだったはずの論者からも、いかにも「軽い」改憲発言が繰り出される傾向も目立つ。
石川氏はかつての保守、革新の二大勢力が日本にあつたといふ事実を無視した。保守とは、革新が社会主義を目指すことへの保守であつて、思想としての保守ではない。社会党は建前としては米ソ冷戦に対し中立だつたが、実態は親ソまたは親中だつた。
だからアメリカの命令で作られた警察予備隊とその発展した自衛隊を村山内閣が誕生するまで違憲とした。そして保守勢力が憲法を改正することで違憲状態を解消することを避けるため、憲法改正に反対した。そして戦後一回も改正はできなかつた。
かつて改憲反対にはこのような事情があつたのに、米ソ冷戦の終結、或いは社会党が自衛隊を認め、或いは社会党が消滅した後も、別の目標を掲げると内部の意見調整が困難なため(例、消費税増税反対、公務員給料削減、議員定数削減など)、改憲反対を唱へ続けた。
憲法は法律の上位に位置する。それだけのことだ。経典や聖書やコーランと違つて改正していけないことは全く無い。それを軽視する、軽いと批判するのは、それこそ憲法第96条への軽視だ。そもそも今の憲法は米軍占領時にGHQの命令と承認により作られたものだから軽視するのが世界標準であり、ありがたがる人のゐる日本が異常だ。

五月十日(火)その二 東京大学教授井上達夫氏
石川氏の発言は続き
実際には全く論点にもなっていない、9条削除論を提唱してかきまわしてみたりするのは、その一例である。日本で憲法論の空間を生きるのは、もっと容易ならぬことだったはずである。
具体的に誰の発言かと云ふと井上達夫氏で
護憲派にも二つあって、ひとつは原理主義的護憲派。こちらは「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という9条第二項を字義通り捉え、自衛隊と日米安保は存在自体が違憲だという立場です。
それに対して、修正主義的護憲派は、専守防衛であれば自衛隊も安保も合憲であるという立場で、基本的には歴代の内閣法制局の見解と同じです。
実は、護憲派学者の間では、これまでこの修正主義を表立って言う人は少なかったのですが、近年、衆議院憲法審査会に出席した長谷部恭男さんのように、はっきりこの立場を取るような人たちが出てきました。彼らは自分たちの解釈は正当で、集団的自衛権行使は解釈改憲だと批判する。
しかし、私はこの立場には無理があると思います。よく知られているように、一九四六年の帝国議会憲法改正委員会の席で、野坂参三が、自衛のための戦力まで放棄するのはおかしいではないか、と質問したのに対し、時の吉田茂首相は、自衛のための戦力も放棄したという趣旨だ、とはっきり答弁している。それが冷戦の深刻化、朝鮮戦争などを受けて、米政府の要請で再軍備を果たすのですが、自衛隊のような巨大な武装装置が戦力ではない、というのは、どこをどう曲げても成り立ちません。日米安保に至っては、世界最強の米軍が日本を防衛することを取り決めているわけですから。
つまり「専守防衛の範囲なら」という内閣法制局の見解自体、すでに解釈改憲そのものなのです。つまり、修正主義的護憲派は、自分たちがすでに解釈改憲を行っていながら、違った意見を持つ安倍政権にはそれを許さないと主張している。ダブル・スタンダード以外のなにものでもない。彼らに安倍政権の解釈改憲を批判する資格はありません。修正主義的護憲派の狙いは憲法と現実の乖離の是正ですが、そうであるなら、本当に取り組むべきは「専守防衛に限り戦力を保有する」と明示した「9条改正」でしょう。
完全に同感でシロアリ民進党や社会破壊拝米新自由主義反日パンフレットの云ふことがどれだけ出鱈目かよく判る(井上氏の発言は別のところで気になるところがあるので、それは別の特集で取り上げたい)。

五月十一日(水) 会津藩や小栗上野介の道を進む
9条で専守防衛を認めること自体が解釈改憲だから、9条改正反対を叫ぶ人たちは、今はよくても百年後には批判の対象とならう。丁度、幕府が倒れた後の会津藩や小栗上野介みたいなものだ。因みに私は会津藩と小栗上野介を高く評価してゐる。それは明治政府の行く末が先の敗戦といふ結論を知つてのことだ。
明治時代なら、日清戦争、日露戦争と昇竜の勢ひの日本に、多くの人は会津藩と小栗上野介を批判の目で見た。9条を改正した場合、遠い将来は判らない。しかし属国状態を脱したとき、9条改正反対を叫び続けた人たちが会津藩や小栗上野介のように批判の目で見られることは間違ひない。
遠い将来、戦争にならないためには限りなく軍隊に近づいた自衛隊を、限りなく警察予備隊に近付けることだ。防衛省は防衛庁に戻してよい。自衛隊は軍隊ではないから外国軍と共同演習をするのはご法度だ。判りやすく云ふと村の消防団が外国軍と共同演習をしてはいけない。
本当の平和愛好者ならこの程度の主張をすべきなのに、9条を叫ぶ人たちにはできない。GHQの洗脳で属国根性が身についてしまつたからだ。

五月十三日(金) 平時と戦時、戦争反対理由
石川氏は次に、昭和五十二年当時最高裁長官藤林益三を挙げる。
佐藤栄作内閣が最高裁を保守化させようと躍起になっていた時期、切り札として送り込まれた企業法務専門の弁護士だ。実際、リベラルな判決が相次いでいた公務員の労働基本権の判例の流れを「反動」化させるのに大きな勲功をあげた。
当時はまだ総資本対総労働の対決といふ意識のあつた時代で、国鉄のストライキは毎年あるし、公立学校の教員が時限ストを行ふこともあつた。国民の多くはストライキに好意的だつた。だからリベラルな判決ではなく労働側、或いは社会主義側の判決といふべきだ。佐藤栄作こそリベラルだ。
その藤林が津地鎮祭判決で、違憲の少数派意見に回つた。佐藤と藤林はリベラルだからあり得る話だが、石川氏は「反動」に分類するから、違憲に回つた理由を挙げられない。
次に石川氏は藤林が違憲意見で引用した矢内原忠雄について
矢内原は、戦後における「公」の再編終戦後も治安維持法によって投獄されたままだった哲学者・三木清の獄死という悲劇をきっかけに、連合国軍総司令部(GHQ)が45年10月に出した「自由の指令」だ。
まづ三木清が投獄されたのは高倉輝を仮釈放中にかくまったからだ。なぜ警察に判つたかと云へば高倉が逮捕後に逃亡中の様子を警察に話したからだ。高倉は昭和61年まで生きた。仮釈放中に逃げたほうが長生きし、かくまつたほうは獄死する。何とも矛盾した話だが三木清が逮捕されるのはやむを得ない。言論が理由ではないのに、石川氏の書き方だと言論が原因で獄死したみたいだ。
さてGHQが45年10月に出した「自由の指令」について石川氏は
これにより、「私」の領域における思想の自由と、一般私人の政権批判の自由を回復した。
これも変だ。戦争が始まる前に開戦反対或いは紛争の早期解決を主張するのはよいことだ。しかし一旦戦争が始まつたら戦争に協力するのは国民の義務だ。このようなことを云つたら驚く人が多いだらうが、憲法で戦争を放棄したから戦争は起きないにしても、戦争一般について論じることは必要だ。何も日本の戦争とは云つてゐない。世界の戦争の話だ。
戦争が始まつても反戦運動だとかをできる国もある。それは帝国主義の国だ。相手が弱いから戦争を仕掛ける。余裕があるから国民にあまり強制はしない。「戦争に協力するのは国民の義務だ」と主張すると偽善者どもが騒ぐだらうから予め云つておくと、だから戦争に反対だといふのが私の結論だ。それでも起きてしまつたのが先の戦争で、敗戦した場合の悲惨さを考へれば山田耕筰やその他多くの人たちが戦争に協力したのは当然の話だ。戦争はばくちと同じだからやめようといふのも、私の戦争反対の理由だ。開戦後に国民に強制を強いるとは云へ、それに便乗して権力者は堕落(各政党と陸海軍の高官)または狭量(例へば東條英機)になるからその調査も必要だ。終戦後は国民に協力を強いる理由が消失したから、投獄された人たちを釈放すべきなのにしなかつたのは官僚主義による怠慢が原因だ。
石川氏はこれらの各項目を考慮することなく、三木清が言論で(文章からさう判断せざるを得ない)投獄され、GHQが「自由の指令」を出したと短絡させる。その単純思考には呆れる。

五月十四日(土) 工事関係者の無事故の願ひを無視
私が専門学校の教員をしてゐたときに、或る学生の父親は小さな工務店の経営者だつた。突然工事現場の事故で亡くなつた。公的な奨学金があるか相談を受けて役所を回つたが、生前高収入だつたので無理だつた。無事故は工事関係者全員の願ひだ。津市の体育館を建設するとき、地鎮祭に8千円弱を支給した。最高裁の多数意見は合憲だつた。これは良い判決だ。
私は神仏分離した後の神社は好きではない。伊勢の神宮は別だ。大昔に神仏分離の歴史がありそれが今でも続く。地域の神社は神仏を集合させなければいけないのに明治政府が分離させてしまつた。だから十五年くらい前までは伊勢の神宮を除き神社にお賽銭を入れることはしなかつたが、多数の人たちの心の安らぎとなる施設は尊重すべきだ。だからその後はお賽銭を入れるようになつた。しかし今でも柏手は打たず仏教式に合掌することは続く。
その私でさへ合憲判決に賛成だ。工事関係者の無事故の願ひは尊重しなくてはいけない。もし憲法上問題があるなら憲法を改正すべきだ。国民の生活に憲法を合はせるべきで、憲法に国民の生活を合はせてはいけない。

五月十四日(土)その二 石川氏は西洋との相違を批判するだけ
石川氏は次いで次のように述べる。
35年の天皇機関説事件以前は、神道式の儀礼と皇室の祭祀によって演出された「公」と、「私」の領域における思想・信仰とは、どうにかこうにか切り分けられていた。それを支えていたのが、佐々木や美濃部達吉ら立憲主義学派の憲法学であった。
これは間違つてゐる。正しくは
35年の天皇機関説事件以前は、西洋猿真似の王権神授説で元首が宗教権威者を兼ねることによって演出された「公」と、「私」の領域における思想・信仰とは、西洋猿真似の憲法により、どうにかこうにか切り分けられていた。佐々木や美濃部達吉ら立憲主義学派の憲法学は西洋猿真似のため西洋より劣化し、普通選挙導入による副作用と世界大恐慌の対策に何ら役立たず国民の反感を買つた。
多くの人は大正十四年に普通選挙法が導入されたのは良いことだと考へる。しかしこれは奇妙な話で、結果を見ればこれ以降、張作霖爆殺事件、515事件、226事件、満州事変、日華事変、先の戦争と連続することになる。世界大恐慌への対応は普通選挙の弊害そのもので、普通選挙で選出された国会が正常に機能しないため、515事件、226事件を誘発した。普通選挙と同時に成立した治安維持法により言論が弾圧された。
なぜ普通選挙法が成立したために社会が混乱したかと云ふと、その前の直接税の支払額に応じた選挙の流れを変へられなかったことと、大衆の票の行方を心配した既得権派による治安維持法の同時成立、一旦選挙の結果が出るとこれが世論だといふことで反論し難くなること、議員でゐるだけが目的の人間が現れるなどが考へられる。大衆の票がアナーキズムや共産主義に流れることを心配する勢力とは、日本国内の問題としてこれまでの伝統を尊重すれば解決できた。それなのに普通選挙を要求する勢力は西洋と同じ方法といふやり方で導入しようとした。
石川氏は普通選挙には言及しないが、できないのではないか。国民の意思は天皇機関説を批判するものだからだ。天皇機関説のどこが間違ってゐたかといふと、天皇は歴史の長さで見れば職位だが、或る時点で見れば生身の貴人だ。人を機関扱ひすることに多くの国民は不快感を持つた。
但し美濃部が国会などで弁明した後にも国民に不快感が残ったとすれば、それはマスコミの責任だ。弁明前と弁明後は分けなくてはいけない。分けないのは石川氏も同一だ。

五月十八日(水) 石川氏はアメリカは100%正しく日本は100%間違ってゐると考へてゐるが、それは間違ってゐる
石川氏は藤林が引用しなかつた矢内原の文章にも言及する。
彼の理解によれば、自由の指令も神道指令も人間宣言も、植民地主義と軍国主義の過去を清算するためのプロセスであったのであり、これにとどめを刺したのが憲法9条であることは、いうまでもない。
植民地主義と軍国主義は西洋の猿真似から発生したものだ。自由の指令と神道指令と人間宣言を出したときのアメリカは帝国主義であり軍国主義でもあった。なぜならその後に朝鮮戦争、ベトナム戦争といふ二つの大きな戦争を引き起こすし、カンボジアではCIAの工作でクーデターを起こさせシアヌーク国王を追放しポルポトの大虐殺に繋がった。アメリカはその前にもテキサス州やカリフォルニア州、ハワイ王国の併合やフィリピンの独立運動弾圧を行った。
西欧もその後、フランスによるディエンビェンフー攻防戦など帝国主義そのものだった。そのような事情を無視し、日本の植民地主義と軍国主義だけを批判し、自由の指令と神道指令と人間宣言を有り難がる。あげくは憲法9条まで持ち出すが、今9条で問題になってゐるのは自衛権であって戦争放棄ではない。

五月十九日(木) 社会を改造してはいけない
石川氏は続けて
ここから明らかになるのは、9条がまず何よりも、長らく軍国主義に浸かってきた日本の政治社会を、いったん徹底的に非軍事化するための規定である、という消息である。それにより、「公共」の改造実験はひとまず完成し、この「公」と「私」の枠組みに支えられる形で、日本の立憲主義ははじめて安定軌道にのることができた。
まづ政治社会とは何だ。政治を変へるのはよい。社会を占領軍に変へさせてはいけない。戦後も昭和40年代までは社会に変化がなかった。戦前は軍国主義の偏向言論があり、戦後はGHQの偏向言論がある。政治を変へたのは9条だが、社会を変へたのは偏向言論だ。
それにしても改造実験とはずいぶん国民を馬鹿にした言葉だ。立憲主義がはじめて安定軌道といふ表現も同じだ。憲法があり政府がそれを遵守する限り立憲主義は成立してゐる。安定軌道などと空虚な言葉を用いてはいけない。安定と云へばいいものを安定軌道と変な言葉を使ふから、人口衛星を背後で操縦するコントロールセンターの存在が明らかになってしまつた。

五月二十日(金) 70年を分類できず同一扱ひする鈍感性
石川氏は更に続けて
結果オーライであるにせよ、70年間の日本戦後史は、サクセスストーリーだったといってよい。
70年間の日本戦後史は三つに分けなくてはいけない。まづ社会主義を目指す左派社会党が急伸し、その後に左右の社会党が再合同した。これに慌てた自由党と日本民主党が保守合同した。その後も昭和50(1975)年辺りまではまだ革新勢力に勢ひがあった。石川氏はこんなことさへ知らないのか。これで最初の30年間は別のものだと判る。
昭和48(1973)年辺りから国際収支の黒字が問題になり始めた。昭和60(1985)年のプラザ合意で日本の基盤産業は決定的な打撃を受けた。それにも関はらず、バブル経済があったから被害が先送りされた。「基盤産業が決定的な打撃を受けた」とは具体的には、技能職の仕事が激減したといふ意味だ。私は基盤産業と云ったのであって、基幹産業とは異なる。
つまり現象で見ればバブルの弾けた平成3(1991)年以降の25年間、その原因で見れば昭和60(1985)年以降の31年間は絶対にサクセスストーリーなんかではなかった。このことは、東南アジアと日本で、顔の表情を見れば判る。日本は電車に乗っても周りは不幸な顔つきをしてゐるが東南アジアでは皆が幸せさうな顔をしてゐる。このことは多くの人が指摘する。石川氏は鈍感だから気付かないらしい。
経済の繁栄だけを見ては駄目だ。あれは地球温暖化と引き換へだ。丁度、癌細胞が自由自在に分裂できて「俺たちは自由だ」と叫ぶうちに元の体が死んで癌細胞が全滅するようなものだ。平和を見ても駄目だ。戦後は、米ソ代理戦争とパレスチナ戦争を除いて平和だった。別の云ひ方をすれば米ソのどちらかに完全に付いてゐれば平和だった。朝鮮半島やベトナムのように半分づつ付くと大変なことになる。米ソ冷戦と欧米植民地支配の後遺症であるアラブ地域を除いて世界は平和基調にある。それは冷戦終了後も同じだ。日本は猿真似が得意だから、世界が帝国主義のときは帝国主義になるし、平和基調のときは平和になる。それだけのことだ。サクセスストーリーなんかではない。
このように云ふと、9条があるから平和が守れたと主張するに違ひない。アメリカの参戦要請を断る口実にはなるから効果が無かった訳ではない。しかし日本の基地から米軍が朝鮮半島やベトナムに出陣したのに、何が70年のサクセスストーリーか。他国の人が厖大な血を流して、サクセスストーリーと呼べるか。

五月二十一日(土) 言論の不自由を主張する驚くべき石川氏
石川氏は更に続けて、次のような邪悪な主張をする。
しかし、こうした段階を踏むことで、(中略)何系統かの言説が公共空間から排除され、出入り禁止の扱いになった。もちろん憲法尊重擁護義務は「公共」「公職」にのみ向けられており、国民には強制されていない。それらの言説は、私の世界においては完全な自由を享受できる。けれじも「戦後改革」から日本国憲法に受け継がれた諸条文がいわば「結界」として作用して、立憲主義にとって危険だとみなされる一連の言説を、私の領域に封じ込め続けているのは事実だ。
本来、「公」は政府や地方自治体、「私」はそれ以外といふ解釈が普通だ。石川氏の「公共」「公職」もそれに該当する。ところが石川氏は別の解釈を持ち込む。それは
ところが、私の領域に封じ込まれていたはずの一連の言説が、ネット空間という新しい媒体を通じて、公の世界に還流し始めた。

つまり、他人の目に触れるものを公と定義した。これでは言論弾圧だ。こんな傲慢な定義がなぜできるかと云へば、ここ30年ほど日本を西洋化しようとする勢力がマスコミと学界を押さへた。自分たちこそ公といふ訳だ。しかしインターネットがそれを壊した。これは私も感じてきた。船橋洋一が16年前に英語公用語を唱へたとき、あまりに政治、マスコミ、官僚が手際よく動くので、私のホームページは先頭に立って英語公用語を阻止しなくては駄目だといふ決意で反対した。或る学者が「インターネットで自分の意見を表明できるようになつたので、英語公用語に失敗した」といふようなことを雑誌で発言した。或いは私のホームページが含まれるかも知れない。またホームページ以外にNHKの英語講座に当時出演してゐた鳥飼玖美子さんや、慶応大学教授大津由紀雄氏など英語の専門家の反対が大きかった。

日本西洋化勢力がマスコミと学界を押さへたのは、それほど昔のことではない。本日の一回目に石川氏を引用した「(中略)何系統かの言説が」の「(中略)」の部分には「かつて軍国主義を演出した」が入る。軍国主義を演出したのは西洋猿真似の政治家、学者であり、マスコミである。「何系統かの言説」ではない。だから引用のときにこれを入れると意味が判りにくくなるので「(中略)」とした。本題に戻ると石川氏が「かつて軍国主義を演出した」と感じた言論は昭和五十年辺りまでは公共空間から排除されてはゐなかった。例へば「ゼロ戦はやと」「あかつき戦闘隊」といふ漫画がテレビや少年雑誌で放送された。政治家が植民地支配や先の戦争を美化することも少なくなかった。さすがに閣僚が発言すると問題になって辞任することもあったが、国会議員でゐることは不問とされた。
このころから戦前に成年に達した人たちが第一線を退き始め、世の中は少しづつ変はる。決して石川氏が主張するように憲法が結界を作っただの、公共空間から追ひ出しただのと憲法が関係した話ではない。また昭和51年までベトナム戦争が続いたから、国民のアメリカに対する反感は強かつた。

一回目と二回目の引用の間には、次の文章がある。
その意味で、封じ込められた側からいえば、日本国憲法が敵視と憎悪の対象になるのは、自然であるといえる。きわめて乱暴にいってしまえば、日本国憲法という一個の戦術的なプロジェクトには、少なくとも政治社会から軍国主義の毒気が抜けるまで、そうした「結界」を維持することで立憲主義を定着させる、という内容が含まれているのである。

日本国憲法の最大の問題点は国民性が含まれてゐない。国柄と云ってもよい。国民性、国柄には国民の大半が支持するから、石川氏は軍国主義と云ひ換へた。立憲主義とは独裁者ではなく憲法を根本に置くことだ。日本は立憲主義だ。だから「軍国主義の毒気が抜けるまで、そうした「結界」を維持することで立憲主義を定着させる」と云ってみたところで、文章が実に空虚だ。軍国主義を国民性、国柄と元に戻さう。実に意味が明白だ。石川氏の主張は単に日本を西洋化したいだけだと判る。

五月二十二日(日) 奇妙な表現
大学教授は人に教へる職業だから、判りやすく話したり書いたりできなくてはいけない。ところが石川氏は
日本の立憲主義を支える結界において、憲法9条が重要なピースをなしてきた、という事実を見逃すべきではないのである。
これでは意味不明だ。まづ「ピース」といふ外来語には「1.指のVサイン」「2.たばこの銘柄」の二つの意味がある。外来語ではないが英語の類推で「3.平和」も多くの人は理解する。しかし石川氏の文章は以上の三つではないやうだ。Pieceといふ英語には1かけらといふ意味もあるが「ピース」といふ外来語にそのやうな意味はない。例えばアイロンといふ外来語に鉄といふ意味はない。新幹線の線路はアイロンですか、と質問しても意味不明になる。石川氏はこれと同程度のことを書いた。大学教授として不適格だ。或いは平和と1かけらを掛けたのかも知れない。しかし前者はpeace、後者はpieceだ。外来語は日本語だが,英語そのものは日本語ではない。それなのにカタカナにすれば通用すると思ってゐるからこのようなことになる。
結界だってさうだ。上座部仏教では戒壇の周囲に境界の標識を置き結界とする。大乗仏教でも護摩を焚くときに結界を作る。神道や茶道でも用ゐるさうだ。その語をGHQに押し付けられた憲法に使ふから、意味が曖昧になる。そればかりか信者に不快感を与える。

石川氏の文章に戻ると、立憲主義とは最高権力者も憲法に従ふといふことだから憲法9条に限らずすべての条文が重要だ。ところが石川氏は9条が「重要なピースをなしてきた」といふ。それだと9条のやうな内容を持たないほとんどの国は立憲主義では無くなってしまふ。だから
もちろん、9条は、どんな国でも立憲主義のための標準装備である、という性質のものではない。
と一旦は否定する。だが続けて
しかし、こと戦後日本のそれに関する限り、文字通り抜き差しならないピースをなしているのであり、このピースを外すことで、立憲主義を支える構造物がガラガラと崩壊しないかどうかを、考えることが大切である。
つまり日本だけは9条を外しては駄目だといふのだ。敗戦国のドイツやイタリアは9条の内容は無いのにそれは構はないで、日本だけが駄目だといふ。或いは世界には今でも立憲主義とは云へない国も多い。それらには言及しない。これで明らかになることは、石川氏は先進国の中でアジアに位置する日本だけが9条がなければガラガラと崩壊するといふ、アジア蔑視、西洋崇拝なのだと判る。

五月二十四日(火) 石川氏の主張だと、国家の存在目的は戦争
国家の存在目的は内政にある。西洋列強の作り出した帝国主義の時代にあっては、戦争は国家の重要目的だが、今はさういふ時代ではない。西洋列強の作り出した、とわざわざ断ったのは、石川氏は日本が帝国主義を作り出したと思ってゐるやうだ。だから世界で日本だけ9条が必要だと珍妙な説を唱へる。本題に戻ると、石川氏は政府の存在目的が戦争にあると思ひ込んでしまった。それは
新しい結界のもとで再編された「公共」は、立憲主義が想定する「無色透明」なそれであるが、そうした「公共」に対して、国民の情熱や献身を調達することは難しい。ありていにいえば、そうした無色透明なものに対して命は掛けられないのである。
私は国家の存在目的は内政にあり、そのため「無色透明」では困るといふ立場だ。菅や野田のやうに国民の生活を考へずに西洋猿真似と既得権集団の圧力で消費税増税を行った連中が出てくるからだ。だからまづ国の独立を果たすことを主張してきた。石川氏は国家の存在目的は戦争だと思ひ込んでしまった。だから命を懸けられない無色透明なものにしなければならないと云ふ。

五月二十六日(木) 無色透明といふ欺瞞、その一
「独りを慎む」といふ諺がある。独りだと堕落するからだ。人間は動物の性質を持つ。反日パンフレットが絶賛した「はたらかないで、たらふくたべたい」はその典型だ。一方社会で生きることにより人間は良心も持つやうになる。そこに平衡が働く。
しかし社会が大きくなるとまた悪い心が出てくる。だから政治は無色透明であってはいけない。
それなのに石川氏は無色透明を主張し、それは立憲政治が想定するものだといふ。これは変な話だ。憲法に従ふことが立憲主義だ。政治が無色透明を目指すと、無色透明の背後に存在する、大きい社会の、醜い色が出てくる。石川氏は民主主義がそれを防ぐと云ふだらう。しかし民主主義とは半分以上が半分未満を切り捨てることだ。戦国時代のやうに大きい勢力が小さい勢力に無理強いをする社会だ。無色透明はさうなることになぜ気がつかぬ。

五月二十七日(金) 無色透明といふ欺瞞、その二
バブルが崩壊する前は、経済大国なのになぜ国民の生活にゆとりがないのかとよく云はれた。バブルが弾けた後は、依然として経済大国なのになぜ国民は不幸な顔つきをしてゐるのかとよく云はれる。どちらも生活に合はせて政治をするのではなく、西洋の猿真似で政治をするから国民が幸福にならない。それだけの話だ。
私の実感では、プラザ合意に至るまで日本と欧米は社会が異なった。しかし経済は欧米のものが持ち込まれたため、国民の生活にゆとりがなかった。このころ旅券(パスポート)と云ふと一次旅券が普通だった。欧米を実際に見た人は少なく日本と欧米で社会が異なるのは当然だった。
プラザ合意の後はバブル経済と重なり海外旅行が急激に増へた。しかしすぐには日本の社会は変化せず、平成5(1993)年頃のNHKラジオ「やさしいビジネス英会話」で講師と日本語の得意なアメリカ人が、後輩を育てるところが日本企業のよい所ですね、と日本語で話したのを今でも覚へてゐる。しかしこの後、日本の社会は急激に欧米化した。といふより企業が都合のよい部分だけ欧米化し、海外旅行で一時的に西洋崇拝となった国民がそれを受け入れてしまった。そのため国民は不幸な顔つきになった。

日本は西洋化の風を幕末から受け続けた。そのような状態で無色透明を叫ぶと、単に西洋化するだけになる。まづ私自身を含めて多くの人は西洋化しても構はないと考へるが、必ず西洋より劣化する。或いは既得権側が自分たちに都合のよい部分を猿真似する。日本の企業別労組はその典型だ。だから次の段階で西洋化しては駄目だと考へなくてはいけない。更に駄目なことがある。西洋文明は地球を破壊する。その代替主張としてアジアアフリカは重要な存在となる。
石川氏の無色透明には西洋化といふ欺瞞が隠されてゐる。

五月二十八日(土) 藤林とリベラル4人の分裂
話を石川氏に戻すと、無色透明なものに命を懸けられないことについて
この点、矢内原は、政教分離原則は「国家の宗教に対する冷淡の標識」ではなく「宗教尊重の結果」であることを強調し、むしろ「国家は宗教による精神的、観念的な基礎を持たなければ維持できない」ことを強調した。
ここまで100%賛成だ。続いて
当然ながら、最もふさわしいのはXX教、というのが矢内原の立場だ。
ここは50%賛成だ。つまり西洋にあってはXX教が最もふさわしいし、アジアにあってはそれぞれの宗教がふさわしい。もちろん外国の宗教を信仰したい人がゐることもよいことだ。続いて
近代立憲主義国家は、実はXX教による精神的基礎なしには成り立たないという。
ここは100%賛成だ。しかし石川氏は引用した以上、その理由を明らかにする、或いは反対理由を明らかにするべきではないのか。
実は藤林も無教会主義の敬虔な信者であった。
欧米の憲法史にそっていえば、矢内原らの見方は、かなりあたっている。
「かなり」なんていいかげんなことを書いては駄目だ。きちんとどこが正しくどこが間違ってゐるかを表明すべきだ。私が先ほど100%賛成したのは、XX教の精神的基礎がないと、人間による地上を統治する義務が判らない。だから日本では私利私欲の政治になってしまふ。私利とは自分に有利な政治をする、或いはさせることだ。私欲とは歳費、名誉欲、権力欲で議員になることだ。

五月三十一日(火) まとめ
石川氏は最後の13行で突然裁判とは別の教育基本法の愛国心を持ち出す。
国を愛するというのは自然な感情であり、否定のしようがない。
否定のしようがないといふ部分に、石川氏の本心は否定したいのだといふことがよく判る。私は公共を愛する、社会を愛するといふのが自然な感情だと思ふ。国を愛すると云ってもそのときの状況で異なる。江戸時代には、農民は旅から帰ると逆に郷土を愛する気持ちになっただらうし、武士は藩から身分と禄を与へられるから藩を愛する気持ちになったことだらう。黒船が現れ、しかも清国まで西洋人に負けたとなると士農工商を問はず国を愛する気持ちになった。
今の時代はリベラルと称する連中のせいで社会を破壊し公共心を破壊しようとする言論が多いから、その逆に人気が集まる。日本に過度な西洋文明が流入し生活を破壊されることへの反発から愛国心も生まれる。そのような分析こそ大切なのに石川氏は、否定のしようがない、と安直な結論で済ます。
現代版「立憲非立憲」の戦線は、ここにもあるのである。
と云ってみたところで、憲法を無視しよう、憲法に違反しようと云ふ人はゐないのだから空虚だ。憲法改正は非立憲だと主張することこそ、憲法第96条に違反するから非立憲だ。(完)


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