八百四十二 法政大学准教授二村まどかの邪説を批判(反日パンフレット批判、その三十)
平成二十八年丙申
五月十日(火)
副題を変更
五月二日の社会破壊拝米新自由主義反日パンフレットには悪質な文章が載つた。法政大学准教授二村まどかへのインタビューだ。どこが悪質かと云へば、一つには戦勝国が敗戦国を裁くといふ報復劇を正当化した。二つ目に当時のアジアアフリカはそのほとんどが植民地だつたといふ事実を無視した。三つには二村のような邪論は昭和六十年あたりまではほとんど無かつた。その理由は米ソ冷戦があつたためで、つまりは西側諸国(西洋といふ意味ではなく、アメリカと西欧。それに対しソ連と東欧は東側諸国と呼ばれた。当時の日本を西側諸国とする人もゐたが、多くの国民は非同盟諸国と西側諸国の中間くらいに考へた)が冷戦の勝利国となつたため、西側諸国に媚びたと理論付けることができる。
二村はロンドン大学で戦争学の博士号を取得した。どうせならもつとまともな博士号にすればよいのにと思ふが、二村の戦争学は日本では社会に有害だ。それをこれから指摘したい。それにしてもあまりに悪質なので、メニューページの副題にイギリスを追加し「英米留学猿真似ニセ政経法学者を日本から一掃しよう」に変更した。
五月十日(火)その二
極東裁判と国際刑事裁判はまつたくの別物だ
「東京裁判のあつた46年を、どうみますか」といふ質問に
紛争や戦争の後に開かれる国際刑事裁判を、研究者は"The last act of the war,the first act of the peace(戦争の最後の行いであり、和平への最初の行いである)"とみます。46年は、敗戦国から平和国家へ一線を引いて前へ進もうとした年。その象徴が東京裁判でした
英語を引用したり極東軍事裁判を東京裁判と呼ぶところに、この人のイギリスかぶれを感じる。今のイギリスは伝統を大切にする親しみの持てる国だが、この当時は世界で一番植民地を持ち、インドなどでは独立指導者に過酷な弾圧を繰り返したり二枚舌を使つたためパレスチナの騒動に至つたことを、まづ読者は忘れてはいけない。
それよりこの発言には重大な欺瞞が隠されてゐる。極東軍事裁判と国際刑事裁判は別物だ。
東京裁判は(中略)旧ユーゴ紛争やルワンダ内戦の戦争犯罪を裁く、現代の国際刑事裁判の始まりでした。
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷とルワンダ国際戦犯法廷は、それぞれ国連安全保障理事会の決議により安全保障理事会の補助機関として設置された。極東国際軍事裁判は、戦争指導者の即時処刑を主張する者や国、アメリカ単独の裁判を主張する者などを各国が調整して設置したもので、まさに軍事裁判だ。因みにマッカーサーは裁判反対派だつた。
裁判費用はアメリカ占領下の日本政府が負担した。ずいぶんふざけた話だ。費用負担から見ても、敗戦国に負担させる軍事裁判と、国連が負担する国際刑事裁判ではまつたく異なることが判る。
五月十日(火)その三
大多数の意見を無視
「でも、戦争が終わると不満が表面化します」といふ質問に
侵略戦争ではなく欧米への自衛戦争だった、アジア解放の戦争だったと一部の人々は強く主張しています。
私は第二次世界大戦を帝国主義どうしの醜い植民地争奪戦とみるから、一部の人々とは意見が異なる。ここで問題になるのは、一部の人々ではない大多数の人々はどういふ意見を当時持つてゐたのかといふことだ。一人ひとり少しづつ異なるものの、全体では蒋介石を背後で操るイギリスとの争ひがアメリカを巻き込んで本格化してしまつた、といふものだらう。大多数の意見を意図的に抹消して、一部の人々だけを紹介する。あたかも大多数は米英が正しいと思つてゐたと読者に思ひ込ませるつもりだらうが、当時そんなことを考へる人はほとんどゐない。
五月十日(火)その四
読む価値のない資料への読まない理由を捏造
「最近の世論調査では、3分の2が裁判の中身について知りません」といふ質問に対し
無関心もあるでしょうが、背景には(中略)どうせ『勝者の裁き』だという冷笑や、触れたくないタブーがある。
裁判の中身を知らないのは、読む価値が無いからだ。読んだ後で『勝者の裁き』だと冷笑する人はゐるだらう。しかし読む前に冷笑する人はゐない。
左右のイデオロギーがぶつかりあうテーマになり、歴史感と東京裁判の是非を切り離せなくなっている。
左右のイデオロギーは米ソ冷戦時代の話だ。もちろん今でも共産主義を正しいと信じる人はゐるが少ない。シロアリ民進党には「昭和の日」の式典で司会をされた板橋区議や「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に所属する人もゐる。シロアリ民進党は社民党と共闘することもある。つまり左右のイデオロギーは既にない。あるのは個々の意見の相違だ。
裁判に不備はあっても、日本の戦争責任が無くなるわけではなく、本来は分けて考えられるはずです
それは逆だ。裁判があつたから戦争責任は過去のものとなつた。尤も裁判が無ければ戦争指導者は即時に処刑されるから、同じことだが。アジア各国への賠償も遥か昔に済んだ。あとは世界が親善を深めるときだ。それなのに過去の問題を日本側から持ち出して親善の雰囲気を壊す。あるいは二村の発言ではないが反日パンフレットはコリアンなどと在日韓国朝鮮人でさへ使はない(偏向マスコミがしつこく書くから最近は使ふ人もごく僅かだがゐるが)単語を使つて対立を煽る。
それより二村が「戦争責任が無くなるわけではなく」といふから逆に質問したいのだが、アジアの大部分を植民地にした欧米は、占領するときと反乱が起きたときに戦争をしたが、その戦争責任は果たしたのか。裁判もなければ賠償もしない。そのことをなぜ二村は指摘しない。
五月十日(火)その五
なぜ自ら裁けなかつたのか
「あのとき、日本人が自ら裁いていれば良かったのでしょうか」といふ質問に対し
国際裁判という形をとったことで、外からの押し付けという不満と、自ら追求せずにいることへのアリバイを与えてしまった
この話の悪質なところは「アリバイを与えてしまった」の部分だ。軍事裁判で裁いた以上、同じことを国内で裁いてはいけない(だから私は開戦責任、戦争犯罪、敗戦責任のうち敗戦責任は裁かれてゐないと主張したことがある)。それなのにイギリス側に立つて「与えてしまった」とあたかも損したかのように云ふ。実に悪質だ。しかしもっと悪質な発言がこのあと続く。
今年3月、旧ユーゴの国際裁判で元セルビア人勢力指導者が有罪とされました。セルビアでも『勝者の裁き』と不満が出ています。日本の一部の人々の反応は特殊なものではありません。国際法廷という外部の力で戦争責任を裁く課題を示しています
セルビアの法廷は国連が設置した。だから『勝者の裁き』と不満が出るはずが無いし、ごく僅かに出たとしてもそれは筋違ひな不満だ。日本の場合は即刻死刑にするかアメリカ単独にするかもめたあげく戦勝国側が設置した。まさしく勝者の裁きだから、刑死者への遺族年金支給に共産党を含めて全会一致で可決した。まったく異なる事情をいつしよに並べる二村の主張は悪質だ。
法政大学は二村を免職にするか、文部科学省は法政大学に補助金を支出すべきではない。言論の自由があるから、二村が個人の資格で発言するならよい。しかし二村は法政大学准教授として発言した。(完)
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