八百十四 最後の授業

平成二十八年丙申
三月一日(火) つひに最後の授業を迎へた
八年前から或る学校でコンピュータのセキュリティを教へてきた。授業のときだけ学校に出張した。しかし会社の方針で今年度限りで終了すると半年前に話があつた。そして昨日、最後の授業を終了した。

三月六日(日) 石原都知事時代に開校
この学校は石原都知事時代に開校し、教室に国旗が東京都旗と並んで飾られてゐる。これはよいことだ。教育には神聖さが必要だ。江戸時代には藩校に孔子が飾られたり、剣術道場に天照大神や八幡大菩薩が飾られた。今の世に孔子や仏像を飾ることは政教分離からできない。だから国旗を飾るのはよいことだ。
先日、授業が終り会社に戻らうとすると、校門の内側に教員が十名ほど並び、車の到着を待つてゐた。私はそのまま下校し次の授業日に、都知事か文部科学大臣が来られたのですかと質問すると、舛添知事が来られたさうだ。安倍首相も前に来られたさうだ。
財務省の事務次官が来られたこともある。午後といふ話だつた。私の授業は午前中なので会ふことはないと思つたが、私の授業を熱心に見学された方がゐた。財務省の別の方か、或いは事務次官が時間を繰り上げて私の授業を見学されたのかも知れない。

三月七日(月) 公務員の義務
私は非常勤の特別職公務員といふことになる。だから憲法を遵守する義務があるし、過去に暴力で政府を転覆しようとする団体を結成もしくは加入したことはないし、業務上知り得た秘密を他に漏らしてはならない。
憲法を遵守とは憲法に従へといふことで、憲法改正を主張することは構はない。一年ほど前までは、新聞によく公務員は憲法を守る義務があるのに安倍首相は憲法改正を主張してゐるといふ奇妙な記事があつた。今でもニセ新聞東京パンフレット(自称東京新聞)はあるだらうが、新聞を変へたから判らない。憲法に従ふ義務はあるが、憲法改正を主張することは構はない。日本の新聞は競争がないから、質が低下した。

三月九日(水) 東学臨労の話
私が昨年二月まで所属した労組が五年前に分裂する前は、執行委員に都立高校の常勤臨時教員の女性がゐた。公務員は労働組合とは分けて職員組合にしたほうがいいといふことで、東学臨労といふ組織を作り、その女性が委員長兼書記長として活躍した。一人ですべてをこなすのは大変だから、労組からも応援で執行委員を兼ねる人が二人ゐて、組合大会で「民族派も一人はゐたほうがいいので」と挨拶する外資系に勤務するあの名物執行委員もその一人だつた。
私は普段は会社に勤務して非常勤で学校に行くだけだから東学臨労とは無関係だが、都立学校で教へてゐると一言話しておいた。その女性が労組のセクハラ防止委員長になり、私は委員だつた。そんな関係で、応援執行委員とともに私も東学臨労の大会に呼ばれた。
挨拶のとき「セクハラ防止委員をしてゐる関係から、本日の大会に来るようにといふ、(ここで少し空けて)副校長命令がありまして、参加しました」で、参加者が笑ふ。なぜ校長命令ではなく副校長命令なのかといふと、話の中で突然「こうちょうめいれい」と云つても聞くほうは判らない。学校の運営の話で云へば判るが大会の挨拶だと判らない。副校長命令なら教員ならだれもが判る。この話し方はずいぶん高度に見えるが、本当は難しくはない。普段から相手に判る単語を使ふことを心掛ければ、自然に出て来る。
委員長兼書記長の女性は卒業式で国歌を起立して歌ふのは嫌だといふことで、前もつて校長などと話し合つて場外整理に回つたりした。私は、教育には神聖さが必要だから国旗の掲揚と国歌の斉唱は良いことだと思ふ。しかし過去に歌はない時代もあつたのだから、さういふ教員も寛大に扱ふのがよい。敗戦後遺症といへる。しかし歌ふ時代になつてから採用された人は、生徒の模範となつてほしい。民族派の執行委員が応援することでも明らかなように、民族派と左翼は対立はしない。

三月十二日(土) 時間が止まつて見える
二十五年前に池袋のコンピュータ専門学校で教師をしてゐたときに、授業中に後の席と雑談をする生徒がゐた。後を振り向くのではなく完全に後ろ向きに座つた。それを見て「そこ」と指さして一瞬間をおいた。そして「高崎線ではないのだから、向き合つて座るのはやめよう」と注意した。一瞬の間に考へたことは、まづ「東北線ではないのだから」と云はうと思つた。当時は池袋から東北線の宇都宮行きや、高崎線の高崎行きが始発で発車した。今は新宿や大崎に直通するが当時は池袋始発だつた。しかし東北線といふと、福島や仙台の列車を連想するから、それなら高崎線にしようと思つた。
一瞬のうちにそんなに多く考へられるかといふと、実は誰でもやつてゐる。スポーツの選手なら球がどつちに来るか一瞬のうちに判断するし、車を運転する人なら、対向車がどう走るか一瞬のうちに判断する。対向車が突然右折してもすぐブレーキを掛けることができる。普段から授業をしてゐると、授業自体は無意識のうちにできるから、一瞬の判断をする余裕ができる。
昔、川上哲治が「ボールが止まつて見えた」と云つたが、普段から練習で素振りをし、しかも次の球種の予想が的確ならば、あり得る話だ。

三月十四日(月) 生徒を退屈させない授業をするには
私は、授業で生徒に退屈させないことについては自信がある。百人の教員を集めて順番を付ければ、一番か二番くらいだらうと自負してきた。ところが先日の朝会(同じコースの二年と三年の生徒が集合)で或る教員が「昔はお天道様が見てゐる、と教はつたが最近は監視カメラが見てゐる」と話され「私より話が面白い」と感心したことがあつた。
監視カメラに対する思ひは複雑だ。正直者が馬鹿を見ないために、監視カメラはよいことだ。一方で管理社会が強まるから、それには反対だ。だから「お天道様が見てゐる」といふのはよい話だが、「監視カメラが見てゐる」といふことを私は云ひにくい。自分が云はない話し方は余計面白く感じる。
その先生は、三年生はもうすぐ就職なのに生徒が何かやらかして、せつかく決まつた就職先を退職或いは取り消しになつてはいけないといふ心配から話された。授業は寄席ではないから全員が笑ふような話でなくてよい。生徒を思ふ熱意があれば、生徒に退屈させてはいけないといふ気持ちから自然に話が面白くなる。熱意があれば誰もが、生徒を退屈させない授業ができるといふ模範になつた。

三月十六日(水) 「衆生本来仏なり」を実践
伝統派と左翼は社会を構築するから有益だ。保守崩れと左翼崩れは社会を破壊しリベラルを蔓延させるから有害だ。私が昨年二月まで所属した労組の専従Aさんは、分裂前は連合加盟の弱小単産の事務局長だつたが分裂後は左翼性を取り戻した。Aさんは学生時代は第4インターに近かつたが、ここ数年間は中核派から分離した人たちと仲良くしようといふ戦略を立てた。
元中核派系と云はれる杉並区議と親しくし、その紹介で何人かの労働相談を受け入れた。これらはAさんが担当したがAさんが病気で倒れたあとは、私が引き継いで労働相談や団体交渉を行なつた。区議から新たな労働相談を紹介されて区議とも会つた。杉並区内の都立学校で教へてゐるのに杉並区議に云はないのは不自然だから、そのことも説明した。
八年前にインターネットで学校を検索すると、国旗に抗議する集会をカトリック系の団体が行つたといふページが出てきた。元中核派系だとその点は気になるだらうから、国旗がどうのと書かれたこともあるが、クリスマスのときに職員室入口外側にクリスマスツリーが飾られるなど、全然問題はないですよ、と説明した。
私が右翼、左翼、各宗派、キリスト教、儒教道教神道とどの人たちとも仲良くすることは「衆生本来仏なり」といふ精神があるからだ。衆生とは人間だけではなくすべての生物だ。まづ人間どうしを思想で差別してはいけない。それすらできずどうして肉食動物を含む一切衆生を仏と認めることができようか。但し、既得権者と外国の都合のよいところだけを猿真似するリベラルを除く。

三月十八日(金) 最後の授業
いよいよ最後の授業を迎へた。これで最後だと思つたが、いつもと変はらずあつけなく3時間10分が過ぎた。最後の起立と礼のとき、これで最後の授業になります、皆さんもあと一ヶ月で社会に出ますが、私は今月から定年で第二の人生に入るので、入れ替はりで私の分まで頑張つてください、と挨拶すると、期せずして拍手が起きた。情報処理室を退出するときも「ありがとうございました」と云ひながら出ていつた。心の温かい生徒たちだ。

三月二十一日(月) 卒業式
教へ始めて三年目だと思ふが、卒業式の招待状が来た。我々は非常勤だから来賓として出席する。一人ひとり名を呼ばれ起立して「おめでとうございます」と挨拶するのが普通だが、人数が多く単調になるので、私は「皆さん、入力のときは全角と半角を間違へないように、おめでとうございます」と挨拶した。卒業式が終了の後に或る都議会議員が、あの挨拶をした人は誰ですか、と質問があつたさうだ。
人数の関係で一年おきに招待状が来る。二回目のときは、就職指導を兼任する二人の非常勤講師の先生も、一言づつ付け加へられた。この場合、全体の調和が必要だ。一言付け加へる来賓が多い場合なら、私は「おめでとうございます」しか云はない。しかし二人だとまだ大丈夫なので、私も一言追加した。
その次に招待状が来たときは、「一人だけ午後出社するのか」と会社から云はれ、上層部が協議の結果、欠席することになつた。土曜の午前に卒業式があり、午後会社に戻り仕事をする。後日代休を取る。私が一人だけ会社に来ることを会社が嫌つた。中労委で審議中のこともありやむを得なかつた。その次に招待状が来たときは休日時間出勤の制度が出来たため、その申請を出したが留保され欠席を余儀なくされた。
今年、最後の招待状が来た。会社には届けず個人で参列しようとも思つた。最後まで迷つたが欠席の返信を出した。授業の職人は授業中に活躍すべきだ。授業の職人は最後の授業を最終登校日とすべきだ。(完)


追記三月二十八日(月) 「夜回り先生」の講演を聴いて
夜回り先生の講演を聴いて、私自身を百人の中で一番といふのは過大評価だと思つた。私くらいの話し方の人を何人集めると水谷修氏は一番になるか、普通の人を何人集めると水谷氏は一番になるか、の二つから逆算すると私は三十人に一番か、と築地本願寺の本堂で考へた。


メニューへ戻る (その一)へ (その三)へ