八百十 一番話の多い説法(増上寺大殿説教、奥田昭應師)

平成二十八年丙申
二月七日(日) 二週間ぶりに増上寺へ
今日は二週間ぶりで増上寺の大殿説教に参加した。前半は、これはすごい説法だと感激した。しかも始める前に、若輩ですがと挨拶されたため、その謙虚な姿勢に好感を持つた。後半、熱弁は疲れを見せずますます弁舌に熱が入るのに反して、私の耳はだんだん疲れてきた。
最後に善導大師の著作を和訳したものに節を付けて読まれたとき、再び私の耳が回復し、これはすごい説法だつたと感嘆して終了した。ところが茶話会で再び一時間熱弁を振るはれたため、私は耳と頭が疲れてしまつた。

二月八日(月) 説教の内容
今回は資料が配られなかつたためメモを取らなかつた。私はもともと話を聴くときに、よほど重要なときにだけ手帳を手元に置く。しかし紙があるとメモを取ることがある。だから今回も取らなかつた。記憶に頼つて記すと、次のようになる。

本堂右側面に涅槃図が掛けられてゐる。二月十五日が涅槃会で節分から掛けられる。普通は猫がゐないが、この図には描かれ、すべての生きとし生ける物は平等、お互い。
増上寺の近くの日本女子会館に和宮様の像がある。義務教育は最初は長男だけだつた。その後、次男以降にも広がつた。和宮様は女子教育に力を入れられ、財閥も協力した。貯金の習慣ができた。江戸時代は借金を棒引きにする政策を二回行つたため、貯金せず畳の下に隠したりする習慣がついた 。
増上寺と総持寺で社会運動を始めた。チューリップの歌は、生きる物はお互い様といふ意味。命を大切にすることが歌の説明に入れたが、戦後は春の季節の歌になつてしまつた。
鳩摩羅什は最初に仏説阿弥陀経を訳した。畳三畳。後に三蔵法師が解説書を著した。畳十畳。
新年のお年玉は、一年を反省してから与へる。最初に与へるのは駄目。
戦時中より、戦後の昭和二十一年から二十三年に幼児の死者が多かつた。戦時中は不足した食べ物を皆で分け合つたが、戦後は闇市で弱者から栄養失調になつた。あと兵隊さんが外地から戻つてきてこれらなどが流行つた。安国殿の地蔵。
インドでは右手は食事、左手は便所。その左右の手を合はせて合掌。僧は左手を布で覆ふ。
説教のときは以上のお話があつた。最後の善導大師の和訳の節回しは、西洋音楽でいへば半音づつ三つだつた。

二月九日(火) 茶話会
茶話会では次のお話があつた。

昔は元日の午前一時には参拝者がゐなくなつた。我々はお酒を飲んでゐた。浅草寺は賑はふのになぜだといふことで、安国殿での祈祷を宣伝した。今は多くなつた。本来一月七日までは慎むとき。大晦日までにおせち料理を作つておき、この期間は調理せず慎んだ。
無量寿経の十二節までは瞑想について書かれる。しかしさういふ事を瞑想するのではなく生活が瞑想。
浄土宗だけは江戸が中心。江戸時代までは僧侶になるには知恩院ではなく増上寺に来た。他宗は京都が中心だからスポンサーの貴族の影響を受けた。


二月十日(水) 話の速度
話す時間と内容量が合つてゐるかどうかを香山リカの講演以降気にするようになつた。大殿説教の前半を聴き終へた段階で、時間当りの内容量は適正だつた。ところが後半に耳が疲れたのはなぜだらうと、ずつと今日まで考へ続けた。
速い話し方は嫌ひではない。私が中学生か高校生のときに、月の家圓鏡(後に橘家圓蔵)といふ落語家をテレビで観て、速さが合ふので好きだつた。しかし専門家がテレビで、うるさすぎると評したことがあつた。別の専門家はテンポが良いと評したことがあつた。私はなぜ前者の意見が出るのか理解できなかつた。
今回、増上寺大殿説教を聴いて、初めて早口の欠点が判つた。なぜ今まで気が付かなかつたかといへば、私も六十歳になつて、少し衰へたのかと自問した。或いは八年前から特別支援学校でコンピュータを教へるようになつて、話す速度が遅くなつたのかとも自問した。しかし先日の授業で自分の話す速度を気にしたら、それほど遅くなつた訳ではなかつた。

二月十一日(木) 後半と茶話会で耳が疲れた理由
説教の後半と茶話会で耳が疲れた理由は何だつたのだらうか。前半は涅槃会、和宮様と別の話題に移るときに、聴者は気分転換ができたことと、説教者も間が取れた。
後半と茶話会は語源の話が何回か出て、語源を話すことが目的ではなく別の話に敷衍して話された。そのため一つの話題が長くなり、熱も入つたので間が無くなつたためかなどといろいろ思ひ起こすものの、結論が出てゐない。
語源で、「働く」は「はた」を「楽」にさせるところから出たと云はれたが、それは違ふのではと即座に思つた。私は「働く」の語源を知らない。しかし違ふと感じたのは、自分を含む全体が楽になるといふ意味ならあり得る。しかし自分を除いたはた(傍)を楽にすることが語源のはずがない。また楽にするのではなく役立たせなくてはいけない。本日、語源を調べるとやはり語源は「はた」を「楽」にさせることではなかつた。
類似した例として、今回の説教ではないが、「いただきます」は他の生物の命を「いただく」からだといふものがあり、その話を数年前に又聞きで聞いたとき、私は「そんな筈はない」と即座に返答した。私は語源を知らないが、もし他の生物の命を「いただく」からだとすると、今回は間に合はないにしても次回からそれを食べなければ解決する。そんな語源の筈は絶対にない。
実は「いただきます」の話も今回あつたのだが、多くの人の労力に感謝してと解釈されて、他の生物をいただくとは話されなかつたのでよかつた。
大殿説教には型があり、これは如法と言ひ換へることもできる。型を保つと、過去八百数十年間の僧侶や信徒たちが説法者の背後で応援してくれる。特に最後に声明を入れたことで、より一層その御利益が現れた。
茶話会も、茶話会といふ型があるので、これに従ふとよりよかつたのではないかと思ふ。とはいへ茶話会のときも一時間熱弁をふるはれたその熱意に、世の中にはこれほど熱意のある僧侶もゐるのだと感銘を受けた。(完)


固定思想(百三)次、固定思想(百五)

メニューへ戻る 前へ