七百八十七 築地本願寺のランチタイム・コンサート
平成二十七乙未
十二月二十五日(金)
築地本願寺に到着するまで
今日は休暇を取り、築地本願寺のランチタイムコンサートを聴きに行つた。給料日だから給料を信金から郵貯に移動させなくてはいけない。妻がお金を降ろすから午前中に完了させたい。ところが築地本願寺に向かふ途中でそのことに気付いた。そこで銀座四丁目から銀座一丁目、新大橋通りの四角形の内をローラー作戦で探したが見当たらない。
この日は十二時二十分から三十分間のコンサートを聴いたあと、三越本店まで銀座通りをクリスマスの賑ひを見ながら歩き、午後三時からのコンサートを聴かうと計画してあつた。三越を中止して築地本願寺のコンサートが終つたらすぐ帰宅し、家の近くの信金で降ろさう。妻が昼休みに降ろすのには間に合はないが、終業後に間に合へば何とかなる。
さう考へて本願寺が見へる交差点に差し掛かると何と角に城北信金がある。阿弥陀仏の救ひとはこのようなものであらう。といふのは大げさ過ぎる。とにかくお金を降ろし、道を少し戻れば集配局の京橋郵便局のあることは判つてゐるが、市井の小さな郵便局を応援する意味から少し先へ進み、街路図で中央築地六郵便局を見つけて向かつた。ATMが一台しかなく少し待たされたが、無事お金を移動できた。
コンサートまでに昼食を食べなくてはならぬ。しかし買ふ場所は100円ローソンと決めてある。浅草本願寺に行く前に東大島駅前で購入したときは、たまたま駅を降りたら駅前に在つたので買つた(その結果、江東メモリアルに行つて駅に戻るまで昼食をカバンに入れて持ち続けた)が、今回は最初から決めてある。ところが場所が見つからぬ。時刻は十一時三十分だからまだ余裕がある。新大橋通から勝鬨橋西、新富町辺りをローラー作戦で探し、別に100円ローソンで買ふ必要はないから、横丁を二車線の通りに面した7イレブンで買はうと思つてその道路まで行つたところ、何と斜め前に100円ローソンがあつた。
阿弥陀仏の救ひとはこのようなものであらう。といふのは大げさ過ぎる。私が100円ローソンにこだはるのは庶民の店だ。別に7イレブンで買つても三十円くらいしか違はぬ。庶民の店を守らうといふ決意が阿弥陀仏が認めたのであらう。といふことで昼食を買ひ、聖路加国際病院の西側の築地川跡の公園で昼食を食べ、本願寺に到着した。
十二月二十六日(土)
パンフレット
本堂に入り、頂いたパンフレットは日付が2015 December 25とある。西暦で書いたのは問題ない。真宗大谷派の不戦決議のときは西暦使用を批判したのに、なぜ築地本願寺のパンフレットは構はないのかといふと、真宗大谷派は二十年前だからそれほど西暦が広まつた訳ではない。そのようなときに率先して宗祖やこれまで信仰してきた人々と異なる方法を使つてはいけない。
その後、西暦の使用が増えた。2015年を普段使つてゐてたまに和暦を使ふと平成二十七年なのに平成二十五年と間違へることがある。和暦を天皇と合はせるのは明治から始まつた。このままでは和暦は滅んでしまふ。西暦と下一桁を合はせて、大きな節目に年号を変へるようにすべきだ。
世の中がそのような状況だから今は西暦を使つてもそれほど問題ではない。日本なのにDecemberと英語を用いることは問題だが、パンフレット全体の構成と合はせたと考へるべきだ。出演者の名前は漢字の右にローマ字でも書かれ、曲目の前にPROGRAMとある。このパンフレットは音楽事務所に作らせたのだらう。出演者の企画も音楽事務所が提案し、築地本願寺は多少意見を云ふことはあつてもそれを了承するだけなのだらう。
「築地本願寺ランチタイムコンサート」といふ名称は変へたほうがよい。まづ「築地本願寺昼休み音楽会」にならすぐできる。将来は「築地本願寺昼休み西洋音楽と仏教の集ひ」と変へたらよい。そんな難しいことはできないと心配する必要はない。今回も最後に恩徳讃を一回目は演奏、二回目は全員で斉唱することで、仏教と係はつた。
十二月二十七日(日)
曲目
ヴァイオリンの演者は滋賀県のお寺出身の高岸卓人さん。25歳。東京藝大修士修了。インターネットで調べると
デビューのリサイタルは、しがぎん経済文化センター(以下略)。
演奏曲は、滝廉太郎(たきれんたろう)(山田耕筰/やまだこうさく編曲)の「荒城の月」や山田耕筰の「からたちの花」、團伊玖磨(だんいくま)の「ファンタジア第1番」といった日本人作曲家の作品と、ベートーベンや北欧の作曲家・グリーグの「ヴァイオリン・ソナタ第3番」など。
日本人作曲家の曲が半分を占めている。理由は、「日本の音楽を大切にしたいから」。
「日本の作曲家の音楽を日本人が大切に思うのは自然ではないでしょうか。海外の演奏家は自国の作曲家の音楽を大切にしていますが、日本は必ずしもそうでないのが不思議です」「滋賀ガイド」より
とある。日本の音楽を大切にしたいといふ心掛けは立派だ。今回演奏されたのは、コレッリのヴァイオリンソナタ、ヘンデルの「私を泣かせてください」、ラインベルガーのヴァイオリンとオルガンのための6つの小品から第1曲。ここまでは私の知らない曲だつた。演者は本堂後方のパイプオルガンの脇で演奏された。このあと本堂前方に移られ、プログラムを転記すると
山田耕筰の作品から ~ 没後50年にちなんで
≪からたちの花≫ ≪散華≫ ≪芬陀利華≫
を演奏された。そして最後にアンコールを兼ねて、前述のように恩徳讃を一回目は演奏、二回目は全員で斉唱した。
十二月二十七日(日)その二
パイプオルガン
パイプオルガンがお寺にある理由は、昭和四十五年に仏教伝道協会から寄進されたさうだ。仏教伝道協会で使用したものを使はなくなつて寄進されたのかと思ひ仏教伝道協会について調べた。ミツトヨの創業者沼田惠範師が設立。惠範師は浄土真宗本願寺派浄蓮寺の三男として生まれ、大正五年アメリカ開教使補に推され渡米。カリフォルニア大学大学院を修了し統計学と景気変動学のマスター学位を取得。昭和9年マイクロメータの国産化を目指して三豊製作所を創業。昭和40年財団法人仏教伝道協会を発願設立、とある。築地本願寺のために、わざわざ購入し寄進したのであつた。
せつかくの尊いパイプオルガンが、有効に使はれてゐるとは云ひ難い。勿論ランチタイムコンサートでは本堂のかなりを埋める。多くが門徒で、一部が音楽愛好者、特にパイプオルガン愛好者と見た。しかし音楽愛好者がこれを機に信仰を始めるとまではいかなくてもお寺に参詣するようになつてほしいものだ。そのためには固定思想(九十二)にも書いたが、学校の西洋音楽教育を廃止すべきだ。西洋音楽に興味のある人はXX教会か築地本願寺に集まる。
十二月三十日(水)
正信偈の節囘しと節談
二十七日から本日に掛けて、正信偈の節囘しと節談をYoutubeで視聴し、検索エンジンで調べた。法話でパイプオルガンを使ふことは、伝統に反するからやらないほうがよいと思ふ。それとは逆に、音楽会のときに、正信偈の節囘しや節談の旋律の一つか二つを紹介し解説する。そのときにパイプオルガンを使ふのがよい。(完)
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