七百八十四 地球温暖化を停止させるため全宗教の連帯が必要(子供の通園した幼稚園の基督教会礼拝に参列)

平成二十七乙未
十二月二十日(日) イスラム教
日本では仏教が広まつた(特に江戸時代は強制された)から、私のホームページは仏教の記述が多い。しかし仏教だけが広まればよいとは考へてゐない。キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、儒教・道教・神道を始めその他の少数宗教もそれぞれの地で繁栄してほしい。
そしてどの国にも海外の宗教を信じる人も共存する伝統があるから、日本でキリスト教、イスラム教、ヒンズー教を信じるのも良い事だ。私自身、日本にあるミャンマーのお寺にときどき参拝する。上座部仏教は日本の大乗仏教と異なるところもあるから、海外宗教と云へなくもない。
地球温暖化を防ぐには、全宗教、各国の伝統主義者、アジア共産主義の連帯が必要だ。しかし共産主義は本来は労働価値説によつて無欲になれるはずなのに、実際は権力闘争が絶へない。だから今回は除外をした。各国の伝統主義者が連帯する方法は既に明らかだから、今回は全宗教の連帯の道を探ることにした。

まづはイスラム教である。イスラム教の本を四冊借りた。読み終へた感想は、難しいの一言に尽きる。イスラム教がまづ広まつたアラブと日本は気候があまりに違ひ過ぎる。勿論方法はある。日本と比較的近いマレーシアやインドネシアを介してイスラム教と接触することだ。といふことでイスラム教については、一旦保留にすることにした。
イスラム教の本を読んだ効果は既に私のホームページに現れた。今まで教祖と書いたところを預言者とした。予言者ではなく預言者である。

十二月二十日(日)その二 キリスト教の日曜礼拝に参列
今から十五年近く前の話だが、私の二人の子供は近所の単立キリスト教会付属の幼稚園を卒園した。その後、牧師が亡くなり、新しい牧師を迎へるとともに日本基督教団に加盟した。かつてはクリスマスのときにトランペット、アコーディオンなど三名程の楽隊が近所の公園など五箇所くらいで数曲づつ演奏したが、これも加盟したあたりから教会内で一回演奏するだけになつた。

その教会からクリスマスの礼拝とコンサートの葉書が来た。わざわざ葉書を出された布教の熱意に敬意を表し、クリスマス公同礼拝に参列した。教会に着いてまづ思つた。イスラム教の本を読んだ直後なのでキリストを預言者に入れたがそれでよいのか。インターネットで調べると神の子にして救世主だが預言者と呼ぶこともある。といふことで修正せずこのままにすることにした。

十二月二十四日(木) 公同礼拝
教会は三十人入ると満員になるくらい建物は小さい。式次第を受け取ると「週報」と書かれ、前週の礼拝出席者数などが書いてある。今回は「待降節(アドヴェント)第4主日」「クリスマス・公同礼拝」とある。前奏、紹詞、讃詠、交読詩編、信仰告白-日本基督教団信仰告白-、讃美歌、聖書までを司式者が主催され、続いて説教、祈祷、聖餐式を牧師、献金・感謝ののち、主の祈り(天にまします)、頌栄ののち祝祷を牧師、後奏で本来は終了だが、クリスマス・平和の挨拶をしましょうで「クリスマス、おめでとうございます。主イエスの平和が、あなたにありますように。」と云ひながら周りの人たちと握手し終了した。

十二月二十五日(金) 初めて参加して感じたこと
付属幼稚園教会の礼拝に初めて参加して、感じたことは新鮮だから書き留めて置きませう。まづ讃美歌がたくさんあつた。次に主の祈りだつたか頌栄だつたか、世界で戦争に怯へる人たちのために、といはれた。ここに良心を感じた。教会は良心再生の組織と云へる。そしてこれが西洋では社会を安定させるコミュニティとなる。
聖餐式でパンとぶどう酒を食するのは信者だけで、私のほか数人が非信者だつた。私以外は幼稚園の教員のようだつた。信者だけといふことは牧師が説教の中で云はれたが、キリスト教の説教の口調は独特のものがあり、耳に心地よいからうつかり聞いてゐると馬耳東風で中身が素通りする。私はカトリックもプロテスタントも信者以外は聖餐式に加はらないことを知つてゐたから、「あ、今その話をしてゐるな」と判つたが、知らない人が聞くと聞き逃す。
説教の独特の口調は仏教にないから、僧侶の説法は上手下手がすぐ現れ、あげくは葬儀で説法抜きの僧侶が現れるのか、と考へた。バスガイドやロープウェイのガイドが独特の口調で話すから、上手下手が出ないのと同じ原理だ。しかし僧侶にも僧侶の口調はある。まづお経なり宗祖の文章を拝読してから話を始めれば、自然とその口調になる。
教会は初めてと思つたが、家に帰つて暫く経つと、一回入つた記憶がある。子供が通園したときはまだ幼稚園の建物しかなかつたと思ふ。下の子の卒園間際に建てられたのだらうか。十五年前だからほとんど思ひ出せない。

十二月二十六日(土) キリスト教を日本に布教するには
私は聖書と讃美歌集を所持しなかつた。前の席の夫婦が、聖書と讃美歌の度にページを開き一冊貸してくださつた。教会全体が暖かい雰囲気で溢れてゐた。そのため帰宅したあとで、キリスト教を日本に布教するにはどうしたらよいかを考へた。これが難しい。新訳聖書に該当する仏教の経典は遊行経と涅槃経など、旧約聖書に該当するのが典尊経などだ。しかし仏教にはそれ以外に膨大な経典がある。
まづ大乗経典は後世に作られたことを主張する方法があるが、これは成功しない。明治以降さういふ議論が為されたが、仏教に影響を与へなかつた。それより大切なことは、布教は仏教徒に対してではなく唯物論者に対して行ふべきだ。ここで唯物論者とは共産主義者のことではない。共産主義者は資本主義が従来の社会規範を破壊することに対抗して、弁証法的唯物論と労働価値説を作つた。これで人間は無欲になれて政府さへ眠るように消滅すると説いた。実際はさうはならなかつたが、それは別の理由による。

今回礼拝に参加して思つたのは讃美歌の多さだ。明治期に多くの文化人がキリスト教に改宗したのは讃美歌が理由といへるだらう。しかし今の日本は西洋音楽が入り過ぎた。だから逆に讃美歌に魅力を感じない。学校の音楽の授業に多くの人は悪い記憶を持つ。教会で音楽の授業の続きみたいなことはやりたくない。これが多くの国民の率直な気持ちだ。キリスト教関係者のすべきは、文部科学省に働きかけて音楽教育の廃止、または日本音楽へ転換させるとよい。すると西洋音楽を学びたい人が教会に集まる。

一昨日まではここで今回の特集を終へる予定だつた。ところがよく考へると寺請け制度が一番の障害になつてゐる。寺請け制度は熱意ある仏教僧にも障害になる。布教しようとしても地域の寺は協力しないからだ。とはいへ、今では寺の消滅が経済誌に載るようになつた。今回は寺請け制度に触れずに終了したい。暖かい心を維持するためにも。(完)


仏教(九十一)全宗教(九十三)

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