七百三十四 最近のテレビ番組は途中でスヰッチを切る内容が多い(「花燃ゆ」「こころの時代」批判)NHKは民営化せよ

平成二十七乙未
八月二十三日(日) 花燃ゆ
前回の「花燃ゆ」賞賛から批判へで、今後観るのは椋梨藤太の失脚か赤禰武人の処刑辺りまでだと書いたが、予想どおりだつた。先々週は出だしから女主人公の美和(旧名、文)が興奮して小田村の助命を椋梨藤太に願ふといふ当時では絶対にあり得ない脚本である。まづ嘆願するには冷静さが必要である。あんな金切り声で嘆願されたら誰だつて逆に「早く処刑せよ」と命じたくなる。この番組には前例がある。吉田松陰が江戸に送られるときも牢役人が好意で一晩帰宅を許可したのに半狂乱になつて逃亡を勧める。あの時代にそんなことは絶対にあり得ない。井上真央といふのは半狂乱しか演じられない大根女優だと云ひたいが、悪いのは脚本である。前回の「花燃ゆ」賞賛から批判へでは演出といふ云ひ方をした。あの程度だと原作を出演者にアドリブでやらせればできる。あとは演出が助言するだけでよい。脚本は不要である。ところが脚本が二人ゐて一週ごとに交代するさうだ。
これまでもつまらないので途中でスヰッチを切ることはあつた。先々週は出だしが井上真央の半狂乱なのですぐスヰッチを切つた。しかし土曜の再放送のときに気を取り直して観た。半狂乱を除いて何とか観れたので前回も引き続きスヰッチを入れた。しかしひどい内容だつた。そして椋梨藤太が失脚した回でもあつたので、四ヶ月前に予想した通りこの回で観るのは終えることとなつた。

八月二十三日(日)その二 こころの時代
本日朝五時からの「こころの時代」は出演が帝塚山大学教授西山厚氏である。聖武天皇が奈良大仏を発願し、財力によらず「一枝の草、一把の土」で手伝ふ者があればそれを受けいれて造立した。人だけではなく、すべての人とすべての動物の幸せのためといふ目的は立派である。この時代は飢饉、疫病が蔓延し、聖武天皇は自分の責任と考へてゐた。大仏は源平合戦と戦国時代に焼失し、一回目は重源が 一尺の布、一寸の鉄でも寄進を受けいれて再建した。二回目は公慶が一針、一草の喜捨を求めて再建した。有益で立派な内容であつた。
せつかくよい内容だつたのに、放送の制作がよくない。まづ西山氏の大学での授業風景が極めて退屈な内容だつた。西山氏は奈良国立博物館に長く勤務し学芸部長で定年退職し昨年帝塚山大学教授になつた。だから教へ方が下手だといふのではなく、NHKが内容の希薄な部分を意図して放送した。すべての人、すべての動物の幸せのために大仏を発願したのに、西山氏に「人は幸せを求めて殺し合ふ」と筋違ひなことを云はさせたのもNHKである。仏教は悲しみ、苦しみから生まれた、も変である。そもそもNHKの番組紹介を観ると
「仏教は悲しみから生まれ、悲しみから新しいものが生まれる」と語る帝塚山大学教授・西山厚さん。奈良を足場に30年余り研究に取り組んでたどり着いた仏教の神髄を聞く。

とある。どんな人でも「心の時代」に出演すると駄目に放送されてしまふ。

八月二十六日(水) 民放の内情
数日前の新聞に、民放のある番組の視聴率が低いといふ記事が載つてゐた。民放は外注が多く、ほとんど自社では作らないさうだ。そのためプロデューサやディレクタの質が低くなつた。そんな内容であつた。一方でNHKは外注が多いか少ないか判らない。しかし職員の質が低くなつたことは大河ドラマの出来具合から考へて当然である。

八月二十七日(木) 菅直人と野田の嘘つき増税を許すな
我が家では私以外はNHKをほとんど観ない。その私は大河ドラマを数年に一度、それも途中までである。半年前にみつけた「こころの時代」のなかでよかつた「日本仏教のあゆみ〜信と行〜」は来月で終了する。「こころの時代」の他のシリーズは出来が悪すぎる。つまり来月以降は例年と同じようにNHKを観なくなる。それなのになぜ受信料を徴収するのか。
菅直人と野田の嘘つき増税の際に、国民に負担を強いるのだから政治家や官僚も負担すべきだといふ議論があつた。衆議院と参議院を統合して一院にする。この程度はやるべきだ。或いはNHKを民営化する。民営化だけでは駄目である。テレビ電波使用税を上げて、数年に一回は撤退する企業と参入する企業が出るようにすべきだ。民間ではこれが当り前である。公務員も民間と同じ離職率になるまで人件費を下げるべきだ。(完)


(消費税反対その八十)(消費税反対その八十二)

メニューへ戻る 前へ 次へ