七百三十三 社会破壞拜米新自由主義反日(自称朝日)新聞批判(その八)

平成二十七乙未
八月十八日(火) 最悪の見出し
十六日の一面の見出し平和 今こそは最悪である。昭和二十年以降今に至るまで平和ではなかつたといふのだ。こんなでたらめな見出しは始めて見る。次に、戦没者追悼式は戦没者を追悼するものだ。だから報道はその厳粛な雰囲気を伝へなくてはいけない。それなのに
歴代首相が繰り返した「不戦の誓い」は、2年前から言及していない。
それは大変だとその次の行を見ると
ただ、過去2年の「世界の恒久平和に能(あた)うる限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう全力を尽くす」という表現より、直接的に不戦の決意を示した。
と読者にとり意味不明になる。これ以外も、どの言葉が有つた、あの言葉は無かつたとくだらない比較を繰り返す。戦没者を追悼する厳粛な雰囲気がまつたくない。さすがは戦没者をバカ呼ばわりし米軍戦果発表を務める新聞社だけのことはある。

八月十九日(水) 売文業の鉄則「社説は曖昧に」
私は新聞の社説はほとんど読まない。子供のときから五十九歳に至るまでに読んだのは数回である。その理由は社説は両論併記であいまいに書くから、読んでも意味がない。本来両論併記は公平だからよいことだ。ところがボツになつたり修正されることのないために曖昧に併記するから無意味である。給料を貰ふだけの目的といつてもよい。私が売文業と呼ぶ所以である。紙資源保護のために廃止が望ましい。
さて偏向のひどい反日新聞の場合はどうだらうか。16日の社説は
終戦の年の秋、連合国軍司令部(GHQ)が、日本政府の敷いていた言論統制を解いた。/作家の高見順は、日記にこう残している。/「自国の政府により当然国民に与えられるべきであった自由が与えられずに、自国を占領した他国の軍隊によって始めて自由が与えられるとは」

世の中には作家以外にも色々な職業がある。作家にもたくさんゐる。その中の高見順のしかも都合のよい文章だけを選んだ。この事実に読者は気がつかなくてはいけない。それでは両論併記はどこにあるかといへばはるか後方に
権力とはそもそも暴走するものであり、防御の装置は不可欠だという歴史の教訓からだ。/戦後日本に人権感覚をもたらしたGHQも例外ではなく、自らの占領への批判は封じる権力の姿をあらわにした。

せつかくの両論併記なのにはるか後方の目立たないところに書いた。これでは意味がない。それよりたくみに洗脳工作を忍ばせた。「人権感覚をもたらしたGHQ」の部分である。朝鮮戦争のときにも原爆を使はうとし、ベトナム戦争では大量の枯葉剤を撒いた。米軍に人権感覚なぞない。

八月二十日(水) 西洋崇拝
昨日の「権力とはそもそも暴走するものであり」の前に次の文章がある。
今年は、いまの英国でうまれ、各国の立憲主義の礎となったマグナ・カルタ(大憲章)から800年の節目でもある。/巨大な権力を誇る王であれ、法に縛られる。貴族が王に約束させ50年後に議会も開かれた。/その後、権力者間の闘争や戦争を経て

に続いて昨日紹介した文が続く。貴族が王に約束させ、しかもその後も権力者間の闘争があつた。つまり今の民主主義とは直接の関係はない。そんなものが今の議会政治と関係があるなら聖徳太子の作つたと云はれる十七条憲法こそ民主主義の根本である。根本の精神は政治はともかく今の日本の社会に連なる。西洋被れもいい加減にすべきだ。多数決に問題のあることは
第二次世界大戦に至る過程でドイツ、イタリアでは、選挙で選ばれた指導者が全体主義、軍国主義を進めた。多数決が間違えることもある。

議会制は経済に余裕がないと機能しない。だから日本においては世界大恐慌の対応をきちんとやらない政党政治を国民は嫌悪し五・一五事件では犯人の青年将校たちに対する助命嘆願運動が起きた。議会制が経済に余裕がないと機能しない理由は議員たちは貧困ではないことと、議員たちの目的は当選することだけ、与党の場合は出世することだけだからだ。そしてこれらの弊害を是正することに尽力しないマスコミの責任である。「多数決が間違えることもある」なんて曖昧な表現でごまかしては駄目である。(完)


朝日新聞批判、その七(マスコミの横暴を許すな36)朝日新聞批判、その九(マスコミの横暴を許すな38)

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