七百二十四、社会破壊拝米新自由主義反日(自称朝日)新聞批判(その五)

平成二十七乙未
七月十五日(水) 地方版偏向記事
今回はまづ七月十一日の横浜版に載つた偏向記事である。育鵬社・自由社採択しないでといふ見出しで始まる。この見出しは尋常ではない。私がニセ新聞東京パンフレット(自称東京新聞)を嫌ひな理由は、いろいろな意見のあるなかで一方だけに肩入れし、しかも同じ内容をしつこく繰り返すことだ。編集者が低能だと云つてしまへばその通りなのだが、反日(自称朝日)新聞はそれに比べて新聞合格だと思つてきただけに、地方版とはいへ編集者の程度が低いことに驚く。
今夏の横浜市立中学校の教科書採択を巡り、有識者らでつくる「横浜教科書問題市民・有識者会議」(代表=藤岡貞彦・一橋大名誉教授)は10日、育鵬社版と自由社版の歴史や公民の教科書を採択しないよう市教育委員会に求める共同アピールを発表した。現在は育鵬社版の歴史と公民の教科書が使われている。

もし東京書籍は採択しないでといふアピールを発表した団体があつた場合に、反日新聞横浜版は報道するのか。実に悪質である。更に「市民・有識者会議」とはいつたい何だ。市民は無識者だと思つてゐるらしい。

七月十八日(土) 欧米の規範をアジアに持ち込み関係を悪化させる
反日新聞の悪質なところは、アジアの親善を重視するふりをして、実際には欧米の規範をアジアに持ち込み関係を悪化させてゐる。十二日の一面には抗日戦 主役は誰だったといふ見出しで次の記事が載る。中国共産党は台湾の国民党が主張する抗日戦争のほとんどは国民党によるものだといふ主張は認めず
代わりに強調しているのが「世界反ファシズム戦争勝利」という考え方。国民党の功績を認めたことで、米英など連合国軍との共同戦線で共産党も戦ったとのロジックが生まれた。歴史認識を通じ、国際社会と連帯を強める狙いだ。

ここには読者を洗脳しようとする毒薬が二つ隠されてゐる。一つは「世界反ファシズム」を目立たせることで米英蘭仏による世界のほとんどを植民地にしたことが無視される。先の世界大戦は民主主義対ファシズムの戦ひではない。帝国主義国どうしの醜い植民地争奪戦である。二つ目は「国際社会」といふ語の誤用である。ここでいふ国際社会とは西洋社会のことだ。読者を無意識のうちに西洋が国際だと思ひ込ませる。
中国共産党にもいろいろな考へがある。そのうち日本で報道することにより読者に反中感情を植ゑ付けるものばかりを選ぶ。例へば
1949年に成立した「中華人民共和国」の共産党政権は、「抗日戦争の主役は共産党だった」と位置づけたからだ。

中国を訪問した社会党代表団に中国の要人は、日本が国民党と戦つてくれたおかげで共産党が政権を取れたと云はなた話を紹介したらどうなるだらうか。これなら読者は親中になる。つまりこの反日新聞は日中の関係が悪くなることばかりする。だから中国政権の悪口も書く。
中国で、歴史観はブルドーザーでつくられる。(中略)地方政府の役人による出世の点数稼ぎという側面もあるようだ。ある地方政府元幹部は「抗日で実績を上げれば、出世につながる。地元の経済発展より政治優先だ」と言い切った。

反日新聞にとつて日本も中国もアメリカのような国にすることが目的なのだと判る。

七月十九日(日) 今さら何を云ふか
十四日は珍しく賞賛できる記事があつた。三十三面の「文化・文芸」欄である。アンドロイドといふ人間の女性そつくりのロボットの漫画である。
作品が生まれるきっかけは、ネット世論が旧体制の崩壊につながった「アラブの春」だった。縁もゆかりもない数の力が世界を変えた。(中略)作中、多数決への不安がにじむ場面がある。ネット世論の決めたアンドロイドの行動が、人の死の遠因になってしまうのだ。「集団の熱狂は簡単に一線を超える。多数決が正しいと言いきっていいのか、という考えを投影しました」

ここまで完全に同意見である。しかし消費税増税のときに51%でも過半数なら民主主義だといふようなことを云つたのが菅と野田である。あのとき日本の民主主義は既に死んでしまつた。国民は消費税増税に反対して民主党に投票したのだから。社会破壊反日新聞は今さら何をいふか。しかも
多数決こそ民主的な仕組みと考える人は多い。「選ばれた私の言うことが民意」と言う橋下徹・大阪市長はその典型例だろう。

この偏向はひどい。橋下氏は都構想に住民投票を導入した。菅や野田とは大違ひである。せつかく記事を褒めたのにこの数行で失格記事になつてしまつた。次に
慶応大学の坂井豊貫教授(社会的選択論)は、多数決の結果ばかりが重視される状況に危機感を募らせ、『多数決を疑う』(岩波新書)を4月に刊行した。「無邪気に多数決をありがたがるのは、ただの多数決主義。『私たち』をどうにか尊重しようとする民主主義とは違う」

この部分は賛成である。
日本政治が多数決主義に傾いた転機は2005年、小泉純一郎元首相の郵政解散にあると坂井教授は考える。

この点は検証が必要である。小泉の前は森喜朗、その前は小渕恵三、橋本龍太郎、村山富市と続く。橋本を除き当ホームページが批判してきた連中ばかりである。小泉ではなくその前の四人が悪かつたのではないか。戦後まもなくの短期間を除き自民党を野党に転落させた画期的な細川、羽田政権を終らせたのが自民党と社会党の連立政権である。当時の状況では絶対にあつてはならなかつた。これを仕組んだのが森、みこしに乗つたのが村山。このときも民主主義が破壊されたが、それは小泉ではなく村山のときではないのか。

七月二十五日(土) 鶴見俊輔氏の死
哲学者の鶴見俊輔氏が亡くなつた。鶴見氏は安保条約に反対し、アメリカのベトナム戦争にも反対し、昭和三十五(1960)年から平成七(西暦2095)年までの感覚ではハト派、良識派、反拝米派である。その後、村山富市といふ悪質な政治屋が出現してこの体制を破壊した。社会破壊拝米新自由主義反日(自称朝日)新聞は記事の冒頭から
リベラルな立場で幅広い批判活動を展開し、戦後の思想・文化界に大きな影響力を持った評論家で哲学者の鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)さんが死去したことが23日、わかった。93歳だった。

この記事の悪質なところは、鶴見氏が戦後の思想・文化界に大きな影響力を持つたのはハト派、良識派、反拝米派としてだ。リベラルとしてではない。二番目に悪質なところはこの日の新聞(13版、首都圏は13版かそれ以降)の34面「文化・文明」は「鶴見俊輔さんを悼む」と称して「社会学者 上野千鶴子」がページの半分(広告を含めると1/3)を費やして文章を書いた。上野千鶴子氏についてはこれまでもたびたび批判してきたが(上野千鶴子の言論は邪悪だへ)、鶴見氏は良識派、上野氏は社会破壊拝西洋派と全然立場が違ふ。しかも追悼するには本人より格上の人にお願ひし本人を賞賛するのがよく、適任者がゐない場合は弟子なり支持者が先生を慕ふ立場から追悼する場合もある。今回はどちらにも該当しない。最初に一応後者の立場から書いてはゐるが研究室を訪ねたら不在だつた。それだけである。べ平連に言及するが拝西洋の上野氏が書いても似合はない。九条の会は平成五年に名古屋に設立されたものが最初で、このときは社会党解党より前だから平和運動はまともだつた。平成十六年に結成された今の九条の会は、平和運動があるていど変質した後だが、呼びかけ人を見ると大江健三郎氏を除きあとの八人はまともな人たちである。九条の会のホームページによると結成の記者会見で鶴見氏は
憲法9条を日本国の外交方針の支えとして生きていくということなんですが、その心構えは明治以前からの日本人の知恵を私たちの心の中に掘り起こしていかなければできないと私は思います。日本語はヨーロッパのイギリス語やフランス語を凌ぐ長い歴史を持っているんです。中国の隣にいるから短く感じるだけで、文学と原語はものすごく長いんですよ。「防人の歌」とかいろんなものがあるでしょ。「万葉集」や「古事記」など。そこからつながっていて日本語そのものを掘り起こさないといけないので、別に近代ヨーロッパの言葉を引っ張ってきて翻訳したら我々の支えになるかといえば、ならないです。

と話した。この内容なら私も大賛成である。鶴見氏はこののち
個人の歴史としても生まれたときからの問題です。生まれたときに日本語を教えてくれたのは女なんです。女の協力なくしては(9条を護ることは)できないですよ。

とも語る。これも賛成である。その後、平和運動は米英仏は正しく日本は間違つてゐるといふ奇妙なものに変質した。上野氏はその流れと同時に社会と男女関係を破壊することを主張してきた。なんでそんな女に投稿させるのか。反日(自称朝日)新聞は本当に偏向がひどい。

七月二十六日(日) 永久二等兵の誕生
次に大江健三郎の結成の記者会見を見てみよう。
私は教育基本法をだいたいそらで言えますが、本当にいい文章なんです、内容があります。悲惨な戦争をしてアジアに悲惨を撒き散らして、世界的にも断絶して、日本国内にも大きな損害をもたらした。

世界的にも断絶とはいつたい何だ。欧米列強がアジアとアフリカのほとんどを植民地にしたことがすつぽり抜けてしまつた。鶴見氏も欧米列強に言及した訳ではないが、戦争は悲惨だと万国に共通のことを述べた。それに対し大江は日本が悪いとはつきり言つた。もちろん日本は悪い。しかしあの戦争は欧米列強を含めたみにくい植民地争奪戦である。そのことを抜かすと単なる社会破壊反日運動になる。平和運動の変質である。
この日の反日新聞にはもう一つ偏向記事がある。ウォッチ安保国会 二等兵だった元首相「暴挙だ」と題し
法案に反対する国会前集会に、村山富市元首相(91)が大分から駆けつけた。(中略)学徒動員中に徴兵検査を受け、二等兵として宮崎県都城市に。

村山は終戦後も永久に二等兵を続ければよかつた。下手に社会党委員長になるから党が消滅してしまつた。平和運動が変質してしまつた。(完)


朝日新聞批判、その四(マスコミの横暴を許すな33)朝日新聞批判、その六(マスコミの横暴を許すな35)

メニューへ戻る 前へ 次へ