七百四(その二)、1.自由詩が不確定な時代、2.曼荼羅と大乗非仏説を合はせると大変なことになる

平成二十七乙未
五月二十八日(木) 定型詩と自由詩
作家Xは「雨ニモ負ケズ」で一瞬のうちに有名になつた。一瞬といふと誤解を受けるが本当に一瞬である。作家Xが生前に出版したのは「注文の多い料理店」と「春と修羅」だが、どちらもほとんど売れなかつた。詩集「春と修羅」に掲載された代表作品「春と修羅」は定型詩だが、それ以外のほとんどは自由詩である。明治後半から昭和始めに掛けて自由詩が不安定だつた時代にこれを志向したが認められず、定型詩「雨ニモ負ケズ」で一気に逆転したといへる。

草野新平が詩集「春と修羅」を賞賛し、草野に勧められて一読した高村光太郎も絶賛した。「雨ニモ負ケズ」の手帳が発見されたのは草野新平や高村光太郎の声に答へて戦後に開かれた作家Xの遺品原稿の研究会で古びたかばんからだつた。この点からも自由詩で芽が出て定型詩で一気に逆転したといへる。

六月六日(土) 自由詩が不確定だつた時代
日本では長いこと定型詩しかなかつた。明治維新以降自由詩が入つたが、今でも定着したとは言へない。もし気に入った自由詩を尋ねられたら、私は金子みすずしか思ひ当らない。金子みすずは昨年山口県を旅行して偶々見つけたから、もし昨年旅行をしなければ今でも気にいつた自由詩はないと答へるしかなかつた。おそらく九割の国民が同じであらう。
そのようななかで作家Xは自由詩を目指した。しかし心象スケッチと名付け詩集とはしなかつた。これは謙遜ではあるが自由詩の定着しない時代の現象であつた。心象スケッチを読むと、風景をスケッチしたものが多い。心象をスケッチしたものもある。陽ざしとかれくさのように童話をスケッチしたものもある。別のことで有名になつた人の詩集であれば大いに売れる作品である。例へば草野新平か高村光太郎の詩集であれば、もちろん大変な人気になつたことだらう。作家Xは「雨ニモマケズ」で有名になり、そして心象スケッチも大変な人気になつた。

六月六日(土)その二 曼荼羅と大乗非仏説を合はせると大変なことになる
釈尊は仏で、僧Xは上行菩薩といふのが一般の解釈である。しかし曼荼羅を拝観すると中央に南無妙法蓮華経と大きく書かれ、その右左に釈迦、多宝如来が脇士として小さく書かれてゐる。ここではまだX経が釈迦の説いた経といふことで釈迦本仏が保たれてゐる。
明治以降、大乗非仏説は定説になつた。ここでX経は釈迦滅後の作だとするとどうなるか。久遠実成の釈尊が釈迦や多宝如来を生み、釈迦入滅の後には本仏の使者がX経を創つた。正法、像法時代を過ぎて、末法には本仏の上行菩薩である僧Xが曼荼羅を広めた。ここにX寺本来の法門が復活する。X寺はその後、僧X系各派から評判の悪い日寛を始め、福重照平の僧X本仏論、六十六世妻帯準僧侶Xの法主本仏論、更には信徒団体のXX会内に会長本仏論まで飛び出した。しかし妻帯準僧侶XがXX会と大喧嘩の末に亡くなり、次期法主は親XX会派だつたのにたまたま布教隊長X氏が海外から帰国した直後にお目通りして口論となりXX会を破門にした。そのため今ではX寺派は、僧Xを久遠実成の釈尊が成仏するための本物の上行菩薩といふ位置付けに戻つたように思はれる。
大乗非仏説を認めれば、僧X系各宗派とX寺派は釈迦本仏僧X本仏論を巡つて争ふ必要がなくなる。僧Xが大乗非仏を知つてゐたかどうかだが、膨大な経文を勉強した僧X聖人が釈尊一人で説いたにしては量が多いから久遠実成の釈尊が説いたと考へたかも知れないし、もし考へないとしても末法で教へが完全に形骸化した時代で実質は非仏説と同じ効果をもたらした。
題目の下に書写した僧の日号を書く件は身延池上系の伝統といふことで尊重すべきだ。

六月六日(土)その三 その他の問題
大乗仏教が上座部仏教を批判するものとして、上座部仏教は自力の修行だといふものがある。しかしこの批判は大きな間違ひである。もしさうなら上座部仏教の比丘は釈尊や同時代の六人の仏教以外の修行者と同格になつてしまふ。比丘は釈尊の説かれたことを守つて阿羅漢(成仏)に達するのであつて、だから釈迦仏を拝する各宗派と変はらない。及びを拝する各宗派と変はらない。といふことで僧X系各派の相違に続いて僧X系と上座部仏教の相違も統一が可能になつた。といふことでそれらの中間に位置する浄土系、禅系も統一が可能である。

たまたま昨日、X寺に正本堂を建立したときの式典をYoutubeで見た。昭和四十五年である。布教隊長X氏の挨拶を聞くと、XX会と妻帯準僧侶X師の不仲はこのとき既に回復不可能だつたことがよく判る。それよりも外交団団長(外国政府の駐日大使の団長)が挨拶したのには驚いた。国際化といふ名の伝統破壊である。しかし挨拶がスペイン語だつたのにはまだ安心した。朝日新聞の船橋洋一ではあるまいし英語公用語論の現れる前の話であつた。
布教隊長X氏がX寺の第二の時代と述べたことに、今後はX寺を変へて行くといふ布教隊長X氏のよく言へば宣戦布告、悪く言へば伝統破壊を感じた。或いは前に述べたが海外布教といふ名のミイラ取りがミイラになつてしまつたことを感じた。ここも昭和四十年代に広宣流布(すべての国民がX寺系の信徒になる)といふ予め決めてしまつた路線が原因であることを考へれば、それを元に戻せばXX会も統一が可能である。

そもそも宗教は人類が必ず創るもの(樹木や電信柱は洗つても必ず犬が尿を掛けるのと同じで本能)と考へればすべての宗教は統一できる。そればかりではない。マルクスの弁証法的唯物論はそれまでの伝統文化、特に宗教が崩壊したことの対策と考へれば共産主義も統一が可能である。

追記六月二十八日(日) X経は文上も捨ててはいけない
日寛の教義で信じられないのは、方便品の読誦は所破と借文のため、寿量品の読誦は所破と所用のためといふ主張である。ここは僧X宗の主張のように、寿量品の文底の鎮めたとしても文上を捨ててはいけないといふのが正しいのではないのか。X経を読誦するときは有り難く読まなくてはいけない。そもそもX寺の勤行では末寺や信徒を含めて朝は五回、夕は三回お経を読む。お経とお経の間は引き題目といつて延ばした題目を三回唱へる。この形態はどう見ても所破、借文、所用のためではない。因みにXX会とX会はX寺を破門になつたあと上からの重しがなくなつたためか1回しか読まなくなつてしまつた。
引き題目は、今回の特集を組むにあたり僧X宗新聞を読んだら興味深い記事があつた。中央檀徒研修道場が持ち回りで平成二十四年は北山本門寺で開催された。そこで引き題目を始めて経験し、各本山の伝統と地域文化を体験したといふものだつた。別の日の新聞には同じく旧本門宗の大本山である伊豆の実成寺で晋山式があり引き題目が唱へられたといふ記事もある。


「作家X10」、大乗仏教(僧X系)その十七
「作家X12」、大乗仏教(僧X系)その十九

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