五百五十一、西の細道(その一、青春十八切符山口県旅行記)


平成二十六甲午
三月十三日(木)「山口県へ旅行して菅直人の出身県を知る」
月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。松尾芭蕉は東国を旅行し奥の細道を著した。私は今回青春18切符を利用し長門周防両国を旅行し先ほど帰国(?)した。そこで今回の記録を西の細道とした。
今回の旅行で菅直人が山口県の出身だと知つた。山口県出身者がどうするとああなるかも論じて行きたい。
  隼町、シロアリどもが、夢の跡
シロアリ民主党の本部は隼町の交差点横のビル内にある。

三月十四日(金)「三つの旅行法」
かつて(1)一般周遊券と寝台券特急券で旅行することが多かつた。その後、(2)指定席往復割引券(新幹線指定席或いは区間によつては寝台特急に乗れる)切符を用いることも多くなつた。往路は宮崎だつたか西鹿児島だつたかまで行き、復路は新大阪行きの寝台特急で戻りその後は新幹線で東京に戻つたこともあつた。関東の人間が大阪九州間の特急に乗る機会はないからである。或いは金曜の夜、仕事が終つた後に寝台特急で福岡或いは山形まで出掛け一泊して日曜の寝台特急で朝東京に着いてそのまま出勤したこともあつた。
ところが一般周遊券が廃止になり(3)青春十八切符を用いることが多くなつた。そして指定席往復割引切符も廃止され、今では専ら青春十八切符を用いてゐる。
十年くらい前だらうか青春十八切符で新潟県に行つた。次の年から富山、石川、福井、鳥取、島根と毎年進み、山口県を残して4年ほどが経過した。そして今回山口県を旅行し本州はすべての県を訪問した。

三月十五日(土)「倉敷まで」
青春十八切符は普通列車と(新)快速にしか乗れない。朝5時半に家を出て十二時間掛けて倉敷に到着した。乗り換へ回数は十、駅の数は百二十である。お尻が痛くならないかと質問されることがある。列車を乗り継ぐ度に今度の列車は立ち次の列車は座るとすればよい。
静岡と浜松の間が鬼門である。3両編成の上に便所がない。それは十年以上前からさうだからその前に便所に行つておく。三両編成で混むし座席が一列だからこの区間は立つ。座つても外が見えない。
農村や古い街並み、山や川や寺社を眺める。これは何時間観ても飽きない。その地域にはその地域の特徴がある。私は古い家屋を見るのが好きだから尚更である。人間には「農魚村及び伝統街並み」型人間と「近代都市」型人間がある。すべての人は前者を目指すべきだ。なぜなら後者の典型が菅と安倍である。近代、西洋、拝米、新自由主義。
長州周防出身者には吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠のような前者の人間と、伊藤博文、山県有朋、菅、安倍のような後者の人間がゐる。後者の醜い理由は長州周防出身のくせに東京で出世を目指すからだ。
安倍の悪質なところは円安で物価を上げ、消費税増税で物価を上げ、経済団体には賃上げを要請する。地元産業が抜け落ちてゐる。菅も安倍も大企業と大労組のことしか眼中にない。とんでもない近代都市型新自由主義者である。
  都市のエゴ、集めて醜し、菅と安倍
  さみだれに、悪政引き継ぎ、最悪川
最悪川に落ちたら大変である。汚水まみれで腹の中は真つ黒になる。

三月十五日(土)その二「倉敷にて」
倉敷は駅の正面とは反対側のホテルに宿泊した。駅前にアウトレットとイトーヨーカドーがあるが七年前の旅行書にはチボリ公園とある。デンマークの遊園地にライセンス料を払い開園したが業績不振で廃業した。
翌朝は五時に駅の正面側に行つた。商店街経由で美観地区の端まで歩き、県道22号で戻る途中の水路端から美観地区に戻り更に散策した。明け方まだ暗いうちは街灯がなく、しかしぼんぼりのような電灯が街の美観をより魅力的にした。明るくなると白壁がはつきり見えてこれもよかつた。
朝食はセブンイレブンで購入してホテルで食べて、朝7時台の電車で山口県に向かつた。

三月十六日(日)「山口と小郡」
小郡(現、新山口)駅で乗り換へて山口市に行つた。山口政事堂は県庁になり正門だけが残る。駅から県庁まで二回、歩道は車道の地下に降りるので歩道橋よりはましだがその人間軽視の道路構造に山口県出身は駄目な政治屋が多いのではないかと感じた。その一方で洞春寺、香山公園、瑠璃光寺、山口大神宮、一の坂川は一等観光地である。古い山門の洞春寺、露山堂と枕流亭の香山公園、池と五重塔の瑠璃光寺、伊勢神宮と同じく遷宮を繰り返す外宮と内宮の山口大神宮、遊歩道の一の坂川。
予定より30分早い列車で小郡に戻り、昔の小郡客貨車区と思はれる木造の検修庫とSL列車用の客車を道路から観た。民営化と客貨分離された後のJRに興味はないが昔の客貨車区の面影は貴重である。丁度昔の建物は多くの観光客が撮影するが今のビルや民家は誰も写真に撮らないのと同じである。このあと山陽線で防府まで戻りここに宿泊した。
翌朝は6時5分発の列車に乗らないと萩到着が四時間遅れる。山陰線の列車本数が少ないためである。ホテル近辺のコンビニを探したところ牛丼屋があつた。朝5時に開店してゐることを確認して消灯した。

三月十六日(日)その二「長門、萩、長府」
防府から山陽線、美祢線を乗り継ぎ長門駅に至る。美祢線では車内に萩まで待ち時間が28分ある。駅を出て海岸まで歩き漁港、水産市塲前を見て帰りは一部走つた。前日山口市で一の坂川を歩いたとき駅前通りを左折しようとして一つ手前の直角の道路を左折してしまつた。堅小路といふ交差点で気が付き元の道に戻つたが往復で600m。それ以来時間に余裕があつても走る癖がついてしまつた。
萩は貸自転車(一時間二百円)で松陰神社、松陰誕生地、松陰の墓、玉木文之進旧宅、野山岩倉獄跡、明倫館、木戸旧宅、高杉晋作誕生地、周布家長屋門、益田家物見矢倉を観た。明倫館は感徳門、有備館、石碑、南門、聖賢堂、水練池を観た。ここは小学校の敷地内で木造の校舎が三つあるので受付の女性に「木造の校舎は懐かしいですね。私が小学校の低学年のときは木造でした」といふと、四月からは新しい校舎に移り今が最後の授業なのださうだ。
伊藤博文旧宅、田中義一誕生地は自転車を降りてちらつと見るに留めた。ああいふ連中は好きではない。指月公園は入場の予定だつたが大きな石垣に嫌悪感を覚へ右に回つて海岸を見て帰つた。私は大きな石垣、大きな墓石、豪華なビルディングは好きではない。
自転車は三時間で返却した。この日は萩だけを廻る予定だつたが、時間があるので長府へ行つた。長府駅を降りるとバスが二時間ほどない。そのまま城下町地まで歩いた。途中、民家の土塀の表面が剥がれたものが幾つかあつた。地元は生活が苦しい。都会や経団連や大労組しか頭にない菅と安倍には困つたものである。
長府藩侍屋敷長屋と功山寺を観た。功山寺は高杉晋作が挙兵した場所である。長府駅の入口までバスがあると聞いたので国道に出た。十分ほどしてバスに乗り長府駅入口に着いて驚いた。駅のすぐ近くである。だつたら往路も国道からバスに乗ればよかつた。しかし壊れかけた土塀を見ることができた。

三月十六日(日)その三「長州ファイブといふ奇妙な言葉を使つてはいけない」
明倫館跡(現、萩市立明倫小学校)の入口に萩東ロータリークラブの建てた「長州ファイブ」といふ奇妙な看板がある。クールファイブではあるまいし長州ファイブとはずいぶんふざけた名称である。説明を読むと伊藤博文、井上馨など五名が長州から英国に密航し留学した。その五名のことらしい。
伊藤博文の女癖の悪さは有名だし井上馨は鹿鳴館といふ売国外交を展開した。残りの三名は工部卿、造幣局長、鉄道庁長官と堅実だから伊藤、井上といつしよくたにされてさぞ迷惑なことだらう。だいたい英国に派遣された翌年に伊藤、井上は帰国した。その二年後に一人が帰国し、更にその二年後に二人が帰国した。伊藤、井上については留学したとは言へない。
これはロータリークラブの勇み足だらうと思つたが、萩市観光課も「長州ファイブ」といふパンフレツトを発行した。これには井上馨について
明治12年外務卿となり、欧化政策を進めて鹿鳴館時代を現出し、第一次伊藤内閣の初代外務大臣になる。

とある。外国から技術を学ぶのは構はない。しかし欧化政策を進めてはいけない。

山口県のよいことも紹介したい。まづ玉木文之進旧宅に向ふ道路で電柱のある部分は歩道の線が車道にはみ出して書いてある。これは人間優先でよいことである。関東だと真つ直ぐに線を引く。電柱はよけて歩くから車道にはみだす。実に危険である。
二番目にコンビにで買つた牛乳が美味しい。パックの裏面に
「地産・地消」を応援しましょう!
山口県では県内で生産された農水産物を県内で消費する「地産・地消」の運動を進めています。

とある。これもよいことである。

三月十六日(日)その四「防府、岩国」
次の日は朝5時に朝食を食べて防府市内の天満宮、国分寺、国衙跡を観て廻つた。天満宮には別当の大専坊、執行の円楽坊など九坊があつた。今でも大専坊、円楽坊の址には説明板がある。国分寺は創建当時の位置に今でも金堂がある。国衙跡は西端の標識、中心部の史跡公園を観た。三つとも貴重な史跡である。
7時11分の列車に間に合ふよういそいでホテルを出て岩国に向かつた。ここは期待外れだつた。錦帯橋は勿論すばらしい。これだけ観て帰れば何の不足もない。しかし橋の向ひ側がひどい。まづ佐々木小次郎の像、吉川経家の碑、吉川広嘉の像、香川家長屋門。ここまでは問題ない。しかし吉香公園は史跡とは無縁の巨大なだけの公園である。目加田家といふ中級武士の家を見ようとすると中から名札を付けた中年女がどこから来たか、どこに泊まるか、予約はしたのか等しつこく聞く。最初は答へたが最後は無視した。ずいぶん答へたから家の説明でもすればよいのに中に引つ込んでしまつた。市の観光課はこんなホテル斡旋副業年増女を管理人にしてはいけない。さういへば香川家長屋門を観るときも30mくらい離れた反対側の食べ物屋の呼び込みがうるさくて説明を読むのに苦労した。錦帯橋の入場券の裏面の「年中行事」に「錦帯橋まつり」や「錦川水の祭典」と並んで「日米フレンドシップデー」といふ米軍基地の航空祭を潜り込ませてゐる。こんなものを書き込んではいけない。社会党が顕在なら絶対にあり得ないことだ。菅内閣で外相の前原が拝米言辞を繰り返したのも、安倍内閣が解釈改憲で集団的自衛権を目指すのも、こんなところに原因があるのかも知れない。


(その二)へ

メニューへ戻る 前へ 次へ