六百九十八(甲)、「新しい憲法をつくる国民大会」に出席

平成二十七乙未
五月三日(日) 初めて憲法改正集会に参加
今日は憲法記念日なので、岸信介元首相の創立した「新しい憲法をつくる国民会議」第46回に出席した。会場は新宿区立牛込箪笥ホール、開会は午後一時である。まづ憲法改正川柳コンクールの入選句の発表があつた。川柳には人それぞれ文章観がある。だから私は審査員とは別の印象を持つた。しかしこのような新しい企画を考へた実行委員会には敬意を表するものである。大賞一句、佳作六句が発表になつた。
国家斉唱の後、新しい憲法をつくる国民会議会長の清原淳平氏の講話があつた。憲法に国家非常事態対処規定がないのは占領下の属国憲法だといふ話に同感である。憲法第9条の戦争放棄も占領下の属国憲法だからといふ話があり、理論から言へば清原氏の主張が正しいのだらう。正しいが戦争放棄は残してほしいものである。

五月四日(月) 四人の(前)国会議員の講話
四人の国会議員、前国会議員から講話があつた。まづは自民党憲法改正推進本部長の船田元氏である。気になつたのは、改正には限度があり三原則(国民主権、人権、平和)は人類普遍だから変えられない、といふ部分である。私はもちろん三原則に賛成だが、変えられないといふのと人類普遍だといふのは疑問である。それでは西洋思想で国を縛ることになる。憲法に改正の条項がある以上、すべてを変えることができるが、国民は良識があるから三原則がなくても実質はあるのと同じ内容になるとすべきだ。また人類普遍ではなく西洋普遍である。私は人権は人間だけに特権を持たせるものだし本人の努力無く特権を持たせることに反対である。

桜内文城氏は前回、次世代の党から立候補したが落選した。その前は維新の会から当選したが、その後、結いの党と合流したとき憲法問題を明言しなくなつた。これは立候補のときの公約に反するので石原元都知事とともに次世代の党として分裂した。五箇条の御誓文の出された明治元年には自由といふ言葉はまだなかつたといふ話があつた。私と一番考への近いのは桜内氏といふ印象を持つた。

自民党秋元司氏、自民党女性局長代理宮川典子氏のあと、自民党平沢勝栄氏から、朝までテレビで或る野党議員が護憲、護憲といふから天皇について訊いたところ民営化するといふ。それでは第一条から八条までは変へるといふことで護憲はうぞではないかと言つた。これは同感である。護憲、護憲と叫ぶ連中は欺瞞だから私は嫌ひである。

五月四日(月)その二 政府の民営化
それより政府の民営化(幕府化)は構はないが天皇を民営化してはいけない。といふことで政府を民営化する場合の憲法私案を次に述べよう。
日本国憲法
(前文は不要)
第一条 日本国は天皇、国民、皇族、および国民の普通選挙による幕府から構成される。
第二条 天皇は幕府若年寄会議(一院制の国会)の指名により筆頭老中(首相)を任命する。
2   天皇は幕府老中会議(閣議)の指名により幕府最高奉行所の長たる奉行を任命する。
第三条 天皇は幕府の老中(大臣)の任免を認証する。
第四条 日本国はその配下の幕府を含めて、戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2   前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。幕府の陸海空自衛隊は自衛のための組織であり軍ではない。
第五条 天皇は筆頭老中等幕府公職者の任命並びに認証、幕府の選定した勲章の授与者、及び名誉職である内大臣、大納言、並びに地方守などの任命書の発行の際に受益者から自主的に浄財を募り宮中の独立会計に努めるとともに、幕府は天皇および皇族の経費について責任を持たなくてはならない。


以上の五箇条でよい。憲法のその他の条文のうち幕府の組織に関はる部分(老中会議、議会、奉行所など)は幕府諸法度といふ憲法級の法令にし、その他の条文は幕府基本法といふ法律に入れるべきだ。それでは労働権や信教の自由はどうなるか心配する人もゐよう。幕府基本法に入れるから大丈夫である。今までの法律もそのまま生かす。法律だと簡単に改正されるから幕府諸法度ではないと心配といふ人もゐよう。しかし本来、国民の常識や道徳心こそすべての根源である。今はバカの一つ覚えで憲法、憲法と叫ぶから裁判所も珍妙な判決をときどき出すようになる。すべての根源は国民の常識と道徳心といふことを再認識すべきだ。少なくとも昭和六十年辺りまではさうだつた。以上は政府を民営化する場合の話である。まづ憲法改正が重要だから政府の民営化はやらなくてよい。たまたま天皇の民営化を言ふ議員がゐるさうなので、それでは駄目だといふことで書いた。

五月五日(火) 万歳三唱
大会決議、閉会の辞の後、万歳三唱は陸上自衛隊で師団長を勤め平成二年に定年退職された方だつた。この年代の自衛隊は憲法違反などと言はれながら入隊したのだから真面目な人が多いと確信する。万歳は憲法改正万歳といふ掛け声でこれはこれでよかつた。といふのは天皇陛下万歳だと違和感を感じる人もゐるからである。私は今までに天皇陛下万歳を四回ほど体験したのでまつたく違和感を持たないが、多くの人が参加できるようにする運動は必要である。

それと比べて横浜で行はれた護憲運動は一体何だ。シロアリ民主党の長妻代表代行が出席した。そもそもあの野合集団には改憲派やタカ派がゐる。特に悪質なのが前原と枝野である。前原が国土交通大臣や外務大臣を努めたとき日中関係は最悪になつた。そのとき中国に進出した企業は自己責任だと暴言を吐いたのが枝野である。それなのに同じ党の長妻が護憲集会に出席する。シロアリ民主党を分裂させるとあちこちにシロアリがたかつて迷惑だから分裂を許さず、全体をまとめたままで撲滅するのが国民のためである。

五月六日(水) 大会発言者の写真・経歴一覧の最終ページ
大会発言者の写真・経歴一覧の最終ページに活動経過が載つてゐる。
昭和30年の春、左派社会党と右派社会党が合併するとの情報が流れたことから、時の自由党の(総裁名、幹事長名略)、そして日本民主党の(総裁名、幹事長名、総務会長名略)らが、社会党に天下を取られるのを恐れ、極秘会談を持ち、保守合同を検討。しかし、厳しい政争を繰り返してきただけに、政策協定ができないとの判断から、両党内にある改憲派議員同盟の考えが同じであるとして、「自主憲法制定」を旗印に合同を決意。そこで、昭和30年7月11日に両党の改憲会派がまず合併して「自主憲法期成議員同盟」を結成。所属300余名の議員が保守合同の先駆けとなり、遂に4ヶ月後の11月15日に「自由民主党」を誕生させた。

なるほどさういふ事情があるならぜひ自主憲法を制定してもらひたい。
昭和44年、上記の議員同盟を支援するべく、岸信介元総理を会長に、当「自主憲法制定国民会議」が結成され、数年は「武道館」で1万人以上の大会を開いた。しかし、当時、現憲法無効・明治憲法復元を主張する団体が多く、これに対して、岸信介会長は、戦後数十年経ては法的に無理であるとして、合法的に現憲法の改正規定による改憲を主張したため、現憲法無効派が大挙して脱会した。政界も保革伯仲時代であり、この運動も厳しい時代が続いた。

私はこの団体に100%賛成といふ訳ではない。例へば募金袋に住所、氏名、金額を書く欄があり、しかも国民大会は浄財で運営されますと司会者が言ひ、係りの数名が募金箱を持つて会場を一列づつ回り半ば強制に近くお金を集めた。私の斜め後の若い男女はそれが始まるや会場を出て行つた。その手際よさにマスコミの取材で今までも参加したのだらうと想像した。私は払はなかつたがあの雰囲気だとほとんどの人が1000円以上払つたはずだ。参加者が200名として20万円。会場費は48900円、放送設備が3000円。登壇者に謝礼は不要である。無料でも日本のため社会のため話したい。さういふ人に登壇していただくべきだ。

大会決議にすべて賛成といふ訳ではない。しかしこれは小さな問題である。実行委員の氏名と肩書きを紹介するときに勝共連合といふ肩書きの方が一人ゐた。これは少し嫌な感じがした。勝共連合が実行委員になるのは構はない。しかし肩書きで紹介すると私は少し引いた態度になる。この一件がないなら500円くらい寄付したかも知れない。これも小さな問題である。国の独立こそ尊い。紹介はしなかつたが理事に元民社党委員長の塚本三郎氏がゐる。前に塚本氏の講演を聴いて批判したことがあるが、今回は親しみを感じた。

五月六日(水)その二 もう一つの憲法改正集会
三日の同じ時刻にもう一つ憲法改正の集会があつた。砂防会館別館の公開憲法フォーラム「憲法改正、待ったなし!」である。このフォーラムを知つたのは前日だし、主催する民間憲法臨調並びに美しい日本の憲法をつくる国民の会の代表の櫻井よしこ氏の主張は拝米反中韓でかなり反対の部分があるので参加はしなかつた。こちらは900名が参加し、相撲解説で有名な舞の海秀平氏も登壇し盛況だつたらしい。

私は左翼が左翼崩れになることに反対し、一方で右翼の集会にも参加する。この二つは多くの国民の気持ちでもある。かつては全国に革新知事、革新市長を誕生させた同じ国民が、近年は東京の石原元都知事、大阪の橋下前知事現市長を誕生させた。この日は横浜で「平和といのちと人権を!5・3憲法集会〜戦争・原発・貧困・差別を許さない〜」が開かれた。もしこの集会が「これ以上日本の属領化を許さない、日本独立、平和で非同盟でアジアの一員として」ならこちらに参加した。しかし登壇者や呼びかけ人の顔ぶれを見ると社会の破壊を狙つたり日本の西洋化を狙ふ連中ばかりである。こんなものには多くの国民がそっぽを向く。(完)


(國の獨立と社會主義と民主主義、その百三十一)へ
(國の獨立と社會主義と民主主義、その百三十三)へ

メニューへ戻る 前へ 次へ