六百五十八、1.ニセ新聞の批判は時間の無駄だから今後はやらない、2.山口二郎氏批判(その二十六)
平成二十七乙未
一月七日(水)
ますます暴走するニセ新聞
これまでニセ新聞東京パンフレット(自称東京新聞)の批判を続けてきた。その理由は社会破壊新自由主義拝米反日新聞(自称
朝日新聞)を拙劣にした内容なので、ニセ新聞を批判すれば日本のマスコミを半分批判したに等しい。残りのマスコミも拝米の部分
は同じだから、つまりは日本のすべてのマスコミの問題点を指摘することができた。これは日本の将来にとり有益である。
ところが最近、ニセ新聞の暴走がひどい。家庭普及率が東京でもわずか4%なのに批判を続ける
ことは時間の無駄である。今後は山口二郎氏のコラムを除いて中止することにした。といふことで一月四日のコラムを取り上げると
当たり前のことが当たり前に通る時代になってほしいと強く願うようになった。
一日八時間働けば食べていくための賃金を得られる。若い人たちは好きな相手を見つけて家庭を作り、子供を産み育てる。大学
では教師が学生と本を読みこみ、じっくり考える時間を持つ。自分の国には愛着を持つが、過去に自国が他国に対して行った悪行
については謝る。他にもいろいろな当たり前があるだろう。
まづ「過去に自国が他国に対して行った悪行については謝る」といふが、過去のことにいつまでも言及すると余計に状況を悪化させる
ことがある。文化の相違といつてもよい。例へば前の日に御馳走になつたとする。食事終了後にお礼を言つて、翌朝会つたときに再度
お礼を言ふことは日本ではごく普通である。ところが国によつては、昨夜お礼を言つたのになぜ今朝もいふのだ、何か下心があるに
相違ないと変な感情を持たれる場合もある。世界の外交は残念ではあるが西洋のやり方が普及した。アメリカがベトナムで北爆や
枯葉作戦をやつたことを今でも謝ると山口氏は思ふか。イギリスやフランスも世界中を植民地にしたことも謝つたりはしない。過去の
ことがなかつたと歴史を改ざんすることには絶対に反対である。両国の関係が悪化するからである。同じように謝罪をいつまでも繰り
返してアジアの親善を深めるふりをして関係を悪化させて日本をより西洋化しようとする丸山真男ばりの行為にも反対である。それ
なのに「自分の国には愛着を持つ」とは驚く。
一月八日(木)
最初の二つと後の二つは性質が異なる
「一日八時間働けば食べていくための賃金を得られる」は100%賛成である。次の「若い人たちは好きな相手を見つけて家庭を作り、
子供を産み育てる」も100%賛成ではあるが、それを壊してきたのが社会破壊新自由主義拝米反日新聞(自称朝日新聞)など西洋
猿真似の劣悪なマスコミどもである。
その次の「大学では教師が学生と本を読みこみ、じっくり考える時間を持つ」は自分勝手な主張である。まづ仕事として自分の任務を
果たすべきだ。その上で更に本を読んだりじっくり考へるのは休日や出勤前、帰宅後にすべきだ。多くの国民は自分の仕事とは別に
さうやつて社会のために貢献したり政治の発言をしてゐる。私のホームページも同じである。休日や出勤前、帰宅後に作る。それ
なのに山口氏は「大学では」と付けるから勤務中にやらせろといふことなのだらう。山口氏は後半で
当たり前が希少価値になると、当たり前を大事にしようとする人々が特権にしがみつくと非難され、当たり前が例外になってしまう。
と主張する。これまで北海道大学教授の肩書きを濫用してさんざんでたらめな主張を繰り返してきたが、今また
法政大教授の肩書きで好き勝手なことをやらせろと主張する。特権にしがみつくと非難されるのは当然である。(完)
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