六百五十六、資本主義の次に来るものは(NHKスペシャル「どう生きた?戦後70年タモリ・堺雅人が語るニッポン人の生き方」を観て)

平成二十七乙未
一月四日(日) NHK
駅伝の合間に各テレビ局を観たところ、NHK総合テレビでよいことを放送してゐた。二日朝八時三十五分から九時までのNHK スペシャル「どう生きた?戦後70年タモリ・堺雅人が語るニッポン人の生き方」といふ番組である。観たのは1分か2分だが、 昔の人の思想を受け継ぐといふことと、資本主義が終焉してしかし社会主義は駄目だつたから次はボランティア社会かといふ ことと、国民の七割は社会をよくしたいと思つてゐるといふ内容だつた。
私も同意見である。国民の七割が社会をよくしたいと思ふと、残りの三割はどういふ人たちだらうか。一つは社会破壊拝米反日 (自称、朝日)新聞と、それを低質化させたニセ新聞東京パンフレット(自称、東京新聞)である。二つ目は左翼崩れと呼ばれる人 たちである。左翼は国の独立を思ふから三割には入らない。左翼崩れは民主主義だの自由だのを叫ぶ。江戸時代に叫ぶなら 偉い。今叫ぶと偽善である。

一月六日(火) ボランティア社会を言ひ換へると
ボランティア社会とは何だらうか。良心に従ふ社会と言ひ換へることができる。或いは普通の社会と言ひ換へることができる。人間 には良い心と悪い心がある。普通の社会は良い心が優勢になる。さうしないと社会が崩壊する。ところが資本主義は悪い心が優先 する。人類史上始めてのことである。さう云ふと戦国時代は悪い心が優勢ではないかと反論が出さうだが、戦国時代は異常事態 であり、普通の社会ではない。
資本主義の社会にあつて資本主義以上に社会を破壊するのが反日新聞とその低質化したニセ新聞東京パンフレット、そして左翼 崩れや拝米新自由主義者である。

一月七日(水) 社会破壊勢力は三割よりはるかに少ない
社会を破壊する連中は三割よりはるかに少ないような気がする。私の感覚では一割である。FACTA Onlineといふページに2007年 の朝毎読日経と地方紙の発行部数と世帯普及率の表が都道府県別に掲載されてゐる。これによると東京、埼玉、神奈川、千葉の 国売り(自称読売)新聞の普及率は24%、39%、29%、36%である。社会破壊拝米新自由主義反日(自称朝日)新聞は20%、23%、 26%、23%である。地方紙はニセ新聞東京パンフレット(自称東京新聞)、埼玉新聞、神奈川新聞、千葉新聞が4%、6%、6%、8% である。社会破壊拝米新自由主義反日新聞の読者がすべて社会破壊者とは思へない。だから一割程度だらうか。
一方で資本主義経済ではブラック企業と呼ばれる従業員使ひ捨ての企業があり、かう云ふところの経営者と管理職は社会破壊者で その割合は5%くらいだらうか。といふことで国民全体の15%程度は社会破壊者である。

一月十二日(月) 番組を再度読んで感じた事
livedoorに載つた番組紹介は以下のとおりである。
1日放送の「NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像」(NHK総合)で、タモリが資本主義の行き詰まりを指摘し、新たな社会を日本が生み出すのではないかと展望を語った。
(中略)番組の終盤、司会の三宅民夫アナウンサーが、作家の半藤一利氏に、今の我々に1番問われていることとは?と質問すると半藤氏は、今の日本人の大多数が「合意」すべき何かがあるはずで、不用意な拡張や破壊を止めて「自然を美しいものとする優しい日本に戻れば、この国に明日はある」という故人・司馬遼太郎さんの言葉を紹介した。
すると、タモリが(中略)日本だけでなく各国とも現在の資本主義の行き詰まりを指摘したうえで「資本主義に何か手を加えて、より良いものにしなきゃいかんと思うんですよね」と、持論を展開した。
また、タモリはボランティアなど、自身も新しい価値観を模索中だと告げつつ「やっぱり、大多数がそれを合意できるような何かに手を加えて、ちょっと違う、新たな資本主義ができるのは、日本の勤勉さと、従順さ、秩序さ、それを持ってる国民の日本じゃないと、できないんじゃないかと思うんですよねぇ」と、日本が先駆けて新たな社会体制を生み出す可能性を語ってみせた。


番組を観た時はそれほどでもなかつたが、文章を読んで思つた。そろそろ社会主義とは手を切るべきだと。これまでも資本主義で変異した社会を自然経済に戻すことを主張してきたから、主張が変つた訳ではない。これまで左翼はよいが左翼崩れは駄目だといふことで左翼の再生を主張してきたが、左翼は少数である。それよりはタモリのように多数の人が思ふ資本主義は行き詰つたといふ感覚を大切にして、そこから社会を再生すべきだ。
伝統勢力と左翼と連携し、拝米勢力と新自由主義とリベラルには反対するからこれまでの主張が変はる訳ではない。(完)


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