六百五十四、地下鉄和光市駅から浦和へ

平成二十六甲午
十二月三十一日(水) 地下鉄で浦和に行く方法を発見
かつて都バスで浦和に行くことを数年間続けたことがあつた。新宿から環七経由で王子行きの王78系統に乗り、板橋区の 大和町で降りてあとは中山道を浦和まで8Km歩く。数年間続けたあと四年前に止めてJRを使ふ方法に戻した。本日新たに 地下鉄を使つて浦和に行く方法を考へた。東京メトロの和光市駅で降りて外殻環状道路を浦和まで7Km歩く。途中の上り 下りの多い道を歩き、荒川右岸下水処理場を左に見て新河岸川、荒川、彩湖を幸魂大橋で超える。橋げたから遠くに高層 ビル群が二つ見える。一つは浦和で一つは埼玉新都心だらう。初めての道を歩くのは楽しい。「知らない町を歩いてみたい」 といふ永六輔の歌謡曲を思ひ出す。
外環道路の彩湖から西は初めてである。まづ外環道路を建設中に浦和から南稜高校までを 自転車で走つたことがある。そこから先は工事中で行けなかつた。南稜高校もその前は無かつたから開校して十年くらいのとき かも知れない。その後、結婚して横浜に引つ越した後に、今から十年前だらうか。皆で実家に泊まつたときに、一人で歩いて 彩湖自然学習センターを見学したことがある。

平成二十七乙未
一月一日(木) 実業団駅伝、見沼用水西縁、浦和市街
今朝はまづ実業団駅伝をテレビで観た。特定のチームを応援する訳ではなくかつて箱根駅伝で山の神と呼ばれた柏原がその後 どうなつたかに興味があつた。だから五区が終了するとテレビを切り散歩に出掛けた。
昨日は暖かかつたのでマフラー無しで出掛けたがこれは失敗だつた。歩けば暖かくなるだらうと見沼用水を 元西福寺前分水口まで歩いた。そこを左折して南浦和団地に行つた。今は古い建物を全て立て替へて今フォール南浦和と いふ奇妙な名前に変はつた。役所やその外郭団体が率先して奇妙な外来語を用いてはいけない。この時点でまだ寒かつた。 寒いときは走る方法があるが筋肉が冷えると走らうといふ気持ちにならない。線路の西側に戻り浦和市街まで歩いた。昨日彩湖 から見た高層ビル群を確認するためである。予想に反して高層ビルは二つしかなかつた。
駅前の浦和パルコに入つた。かなりの客だつた。体がある程度温まり、それにより今までかなり冷えてしまつたことが判つた。エス カレータで七階のシネマの階まで行つてどんな映画を上映するのかを見てまた降りた。出た後に少し走つたが眼鏡ケースの中の 眼鏡がカタカタ鳴るため走るのを止めた。この日は一日中体が冷えたままになつた。
旧中山道が通行止めになつてゐた。調(つきのみや)神社への参拝客のためである。私はこの神社が好きではない。数年前たまたま 訪問したところ境内に銀杏を取るなといふ貼り紙があつた。それはよいとしても前宮司の銅像がある。神社は前宮司の私有物ではない。 まだある。昔から調(つきのみや)神社と呼ばれ親しまれた。今はバスが廃止になつたが調宮(つきのみや)といふバス停もあつた。 ところが神社が一方的に調(つき)神社と改称した。境内裏の公園は今でも調(つきのみや)公園である。行政機関(調公園管理事務所) は身勝手な神社の圧力に負けてはいけない。いつまでも市民に親しまれた「つきのみや」を名乗つてほしい。

一月二日(金) 箱根駅伝、六ケ村用水
箱根駅伝は観ない予定だつた。ところが昨日体が冷えたため外に出掛けずに箱根駅伝を観た。実家のテレビは有線である。アナログ 放送が終了の後もアナログテレビを使用できた。ところが三月で中止になる。アナログテレビは先がないから、箱根駅伝でコマーシャル の間、別のチャンネルを順番に観た。チャンネル切替え装置の故障を気にしなくてよいためである。そのとき感じたのは、いつチャンネル を回してもNHKのEテレは漫画かテレビ体操しか放送しない。かつてはNHK教育テレビと呼ばれたが放送するものが不足してEテレと 名乗つた。民間だつたら廃止する。呆れたものである。NHK総合テレビ自身も民営放送と変わらなくなつた。
さうである以上、NHKを民営化すべきだ。Eテレはすぐに廃止されるだらう。
箱根駅伝を観たあとは、外環道路を東に向ひ伊刈消防署を左折して六ケ村用水の上流に向つた。用水が流れてゐて嬉しかつた。 この用水は芝川の水を浄化用に流すことに気付いたが、この日は見沼代用水西縁の水が流れてゐた。前回来たときもさうだつた。

一月三日(土) 地下鉄和光市駅へ
今日は駅伝の復路を観た後に和光経由で家に帰つた。もう一度幸魂大橋から浦和市街を観たかつたのと、幸魂大橋の下流側の歩道 を歩いて東京側も観たかつた。まづ東京側を眺めると、スカイツリーが見えた。浦和側を眺めると高層ビル群はやはり二つある。さうか、 一つは武蔵浦和駅周辺の高層ビルと浦和中心部の高層ビルの合体したものだと気付いた。

ここで今回、和光市駅から歩いた理由を説明しよう。かつてバスで行く方法を考案した理由は次の三つだつた。
(1)国鉄民営分割時の国労等への差別採用に抗議しての不乗車運動
(2)バス共通カード(5000円で関東21社局のバスに5850円分)は便利なのでその支援
(3)中距離の路線バスへの支援
しかし四年前に採用差別で解雇された労働者と政府の間で和解が成立したのと、バス共通カードが廃止されたため、その後 はJRを使ふようになつた。

ところが昨年四月の消費税増税は許し難い。国民は限界費用が0円(販売が増へても経費が掛からない)の物への不買運動 を起こし、経済を停滞させて嘘つき増税を撤回させようではないか。ましてや鉄道会社は回数券と電子カードとの差別(100円 未満を回数券は切り上げ)で便乗値上げを行つた。といふことで鉄道運賃の節約運動を再開することになつた。

一月四日(日) 退屈せず歩く工夫
毎回同じ道を歩くと飽きるので、いろいろ変えるとよい。私の場合は板橋区大和町から旧中山道を優先し、旧道のない場合は国道 17号を歩いた。何回か歩いて飽きてきたら次に大きな道を歩かずにきれいな空気を吸はうといふことで戸田橋を渡つたら小道を 予め調べて歩くようにした。定期券のある新中野から高円寺まで歩き国際興業/関東バスの共同路線で赤羽まで行き、新荒川大橋 を渡り左折して川口、西川口、蕨と線路に沿つて歩いたこともある。浦和からの帰路に緑川を調査のためバスで伊刈消防署前まで 乗り、緑川に沿つて川口に出たこともある。都バスを十条仲原で降りて清水坂公園の縦型風力発電機を見て、赤羽からJRで浦和に 行つたこともある。後の二つは普通にJRに乗るより運賃が高くなるが途中で別の場所を見るといふことで実施した。高くなるといへば 浦和から下笹目のバス折り返し場まで歩き、ここから成増駅行きの国際興業バスに乗り成増から地下鉄で帰つたこともある。このとき は赤羽から西側で都内と埼玉県を結ぶバスに乗らうといふ目的もあつた。かつては浦和駅から池袋駅北口、蕨操車場から赤羽駅東口 など都内と埼玉を結ぶ幾多の路線があつたが、今は下笹目から成増だけになつてしまつた。遠回りになるが大和町で降りたあと笹目橋 を渡つたこともある。今回の和光市経路は笹目橋上流2Kmだからずいぶん幅広く歩いたものである。

一月四日(日)その二 膝を守る工夫
歩く距離が長いと膝が痛くなることがある。今年の箱根駅伝で黒人留学生がアキレス腱の故障で出場できなくなり、この選手は昨年 は大会の最中に疲労骨折で棄権した。それほどではないが運動のし過ぎは注意が必要である。私は肘を曲げて荷物を持つように 気を付けてゐる。荷物を肩から下げるのは一番よくない。腰痛と膝痛の原因になる。手で持つても肘を伸ばすと歩く度に荷物の重みが 膝に掛かる。肘を曲げて荷物を浮かせると歩いても肘で振動を吸収するから膝に負担が掛からない。肘を曲げて持つには結構根気が 要る。手が疲れるから数分に一回の持ち替へが必要になる。たくさん歩くにはこの程度の努力は必要である。(完)


高沼用水(大晦日)、見沼田圃(元日)、新浦和土地改良區記念公園(一月二日)訪問記  (見沼代用水、その七)へ

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