六百五十二、1.母の入院、2.看護師と歯科医師の職域拡大を

平成二十六甲午
十二月十五日(月) 病院訪問
母が目の手術のため検査入院した。病室が一杯のため手術自体は日帰りだといふ。その後手術日も入院できることになつた。身元 引受人に署名するため昨日埼玉県まで出掛けた。帰りはミャンマー経典学習会に行つた。(そのため十二月二十六日までこのページ はミャンマー経典学習会(その十)の先頭と最終日だつたが独立させた)

十二月二十六日(金) 二回目の手術
母の手術は片目づつ行ふ。昨日二回目があつた。一回目は看護師の姪が付き添ひ今回は私が付き添つた。昨日は忙しかつた。給料日のため お金を信金から郵貯に移す。多くの企業の給料日である。地元と乗換駅新宿の郵便局は混んでゐて病院近くの郵便局で手続きした。それ以外 にも郵貯と銀行に行く用事がある。手術が終り実家に連れて帰つた後に駅前まで行き銀行と郵便局に行つた。時間外だつたがATMで処理した。
実家近くのスーパー銭湯は廃業し跡地はマンションになつた。開業して十年くらいだつた。燃料高騰の影響であらう。平屋や質素な家が減つた。 プラザ合意による輸入建材の増大である。庭や空き地の緑が少なくなつた。農地が宅地になり、それが高度化した。更にマンションが多くなつた。 今回は実家に泊まつても観光に出かけなかつたため冷静な街の観察ができた。夕食と翌日の朝食のおかずはマルエツで購入した。マルエツの 店内に入るのは四十年ぶりだと思ふ。

十二月二十八日(日) 看護師
父が十一年前に亡くなつたとき看護師の活躍は目を見張るばかりだつた。医師の存在が目立たないくらいだつた。 そのときの記憶があつたのだらう。姪が大学進学の時に看護学科を選択して特別行政法人の病院に就職した。特別行政法人とはかつての国立 病院である。今は大学卒の看護師が増へた。これはよいことである。国家試験合格者に占める大卒割合が平成十一年に5%、平成十七年に15%、 今年は30%になつた。大学の看護学科の新設も相次いで平成三年に十一校だつたものが今年は二百二十六校に増へた。これもよいことである。 AERAの八月十四日号によると、
日本の4年制大学の総数は約770校だから、実に3・4校に1校が看護系学科 を持っていることになる。入学定員の数は、558人(91年度)から1万9454人(14年度)と、実に35倍になった。

一方でAERAは以下のような心配をする。AERAは反日(自称朝日)新聞社の出版である。看護師のことより自分の会社の反社会拝米体質を心配 すればよいのに変な雑誌である。
国は06年度、高度な医療と集中看護で入院日数を縮め医療費を抑える狙いで、7人の入院患者に対し看護師1人を配置する「7対1病床」の区分 を新設。入院基本料も大幅に増額し、それまでもっとも高かった「10対1病床」の1・2倍にした。その結果、増収をあて込んだ多くの病院が7対1 病床に飛びついて病院間で看護師の争奪戦が起き、さらなる看護師不足を招いた。
7対1病床の増加は、そのまま医療費にも跳ね返った。(中略)すると厚労省は手のひらを返し、今年4月の診療報酬改定で、7対1病床を約9万床 に当たる25%減らす方針に転じたのだ。(中略)自宅に戻る患者の多い病院に対する評価を高くするほか、在宅医療に取り組む診療所にも診療 報酬を手厚く配分するとした。


その結果、病院で働く看護師が25年に最大で約14万人余るといふ。訪問看護師の需要は高まるものの「高齢者の介護」のイメージが強く、給与も 病院看護師の8割程度ださうだ。

十二月二十九日(月) 看護師の職域拡大を
昨日父が十一年前に亡くなつたとき看護師の活躍で紹介したページで、医師は西洋式に養成するのではなく看護師 を昇格させるべきだ、と六年前に書いた。今はそれより穏健になつて、西洋式に養成してもよいが看護師の昇格あるいは看護師の職域拡大をすべき だといふ意見である。石原莞爾も同じことを言つた。

今回の目の手術のように高度な治療は医学部を卒業した医師によるべきだ。しかし風邪の投薬やアレルギーの治療は看護師或いは看護師の昇格 した資格者に任せるのがよい。

十二月三十日(火) 歯科医師
大学の医学部合格者の偏差値が60以上なのに対して歯学部は50である。その対策としては歯科医師の治療範囲を医師と均衡するまで拡大させる 必要がある。風邪などは医師、歯科医師のどちらでも診察、治療ができるようにすべきだ。

十二月三十一日(水) 漢方医の復活を
明治維新の前までは医師といへば漢方医だつた。中国には中医師、韓国には韓医師といふ医師とは別の資格がある。日本では医師のなかで漢方に 興味のある者が細々と行ふに過ぎない。日本でも漢方医制度を設けるべきだ。従来の医師は高度な医療に従事し、それ以外は看護師或いは看護師 の昇格した資格者、漢方医に任せるべきだ。

十二月三十一日(水)その二 医労蓮
私の所属する労組の専従Aさんが昨年十一月に倒れ今も入院中である。本人の希望で周囲の説得に耳を貸さず一旦退院したことがあつたが、翌日 救急車で再入院した。ところがそれからも退院を頑強に主張し医師や親族の説得を聞き入れない。誰のいふことなら信用するか聞いたところ医労蓮の 役員の名をいふ。医労蓮は看護師さんを中心とした病院職員の単産である。ホームページを見ると二十四年前から看護師が執行委員長をつとめ現在 四人目ださうだ。この役員は今は共産党系の上部団体である全労連の事務局長である。病院 までご足労をお願ひし、本人もやつと退院は無理だと納得した。無事終つたあとで、全労連の事務局長を呼びつけるとはAさんも大物だなあと皆で 呆れた。この前の衆議員選挙で共産党に投票したのはそのときのお礼の意味合ひもあつた。(完)


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