89、医師の資格はアジア方式で

平成ニ十年
七月三日(木)(猿真似はやめよう)
日本では医師が不足してきた。医学部の定員を増やすという。これはよくない。従来と同じタイプの医師を増やすだけだ。黒船が来航して以来、日本は欧米野蛮人の真似ばかりしてきた。医療技術を学ぶのはかまわない。しかし医療制度を学ぶ必要はない。アジア各国は古来の医療制度を後世に伝える必要がある。
そして今、日本の医療技術は世界の最高水準に達している。アジアは欧米野蛮人から学ぶことは何もなくなった。

七月四日(金)(欧米野蛮人)
その前に欧米野蛮人は言い過ぎだ、と思う人もいよう。日本には欧米崇拝主義者が何とか日本をアメリカの属国にしようと、10年ほど前からさかんにうごめいている。平衡を取るために、アメリカ合衆国解体論と欧米野蛮人論は必要である。ことは日本だけの問題ではない。日本は世界平和のために自らの欧米化にまず反対すべきである。

七月五日(土)(アジア方式)
医師の資格をアジア方式にするとは、アナログ方式にすることである。 アナログ方式とは医師、看護師、その他という区分をやめることである。
医師になりたい人は一定水準以上の知力と熱意があれば全員医師にすべきである。まず見習いから始める。見習いで優秀な人は看護士、医師と昇格する。

七月六日(日)(医師の息子)
前に私の職場に医師の息子が就職してきた。都内で開業する医院を継ぐため高校卒業後に何回も医学部を受験したが失敗し、諦めて別の学部を卒業したのだった。年齢が高かったため採用に反対する声もあったが、就職後は同期生の模範となって働いていた。お父さんもあのときの息子の働き振りを見たらさぞ喜んだことであろう。その後ソフト業界の大量退職の波に呑み込まれたことは残念だった。

頭は悪くない。熱意もある。このような若者こそ医師にすべきである。点数は足切りのためだけに用い、選考に用いることは中止すべきである。

七月九日(水)(日本の名医紹介1・ゲノムの最先端研究)
先週の土曜日は理化学研究所横浜研究所の一般公開日だった。かつては工場が立ち並ぶ埋立地から工場が少しずつ消え、跡地に立てられた。中村祐輔ゲノム医科学研究センター長の講演を聴いた。
薬の効果と副作用は個人差が大きいため、遺伝子を解析して患者に合った投薬を行う、という内容であった。講演は人格が現れる。中村氏が名医であることが講演の節々に現れていた。
映写したスライドはほとんどが日本語であったが、図やグラフで英語のものが数枚あった。中村氏は「英語で申し訳ないですが」と断ってから解説された。わざと英語のスライドを使って自分の講演を高く見せようとする者もいるなかで、中村氏の謙虚な姿勢は立派だった。「日本に来ればいい医療を受けられる、と思われるようになりたい」と講演を締め括った。

七月十一日(金)(日本の名医紹介2・人民による人民のための医療)
文京医療生活協同組合という共産党系の組織が昭和40年頃、文京区根津に診療所を開設した。所長は内田さんという老医だった。診療のときの患者との会話にも人格が現れる。内田氏は名医との評判が高かった。
私の祖母が脳溢血で倒れた。内田医師は谷中に住んでいたので毎日帰宅の途中に往診してもらった。あるとき診療かばんを忘れていった。小学生だった私が診療所まで届けると看護婦が「サンキュー」といった。小学生ながらなぜ共産党が英語を使うのか疑問だった。
欧米人と話すときに英語を用いるのはかまわないが、欧米人にも日本語を学ばせるべきである。東洋人と話すのに英語を使うべきではないしましてや日本語の中に英単語を入れるべきではない。
内田医師は数年して船医になるため退職した。昭和50年頃診療所に「人民による人民のための医療」という野坂参三の額が掛けられた。好い言葉である。しかしリンカーンに似ている。唯物論は文化を軽視する。欧米の猿真似は人民を不安定にする。共産党は文化軽視を克服してほしい。

七月十ニ日(土)(東洋の悪医・李志綏)
アジア最大の悪医は李志綏であろう。これほどの悪医はざらにはいない。李志綏はアメリカに移住の後に「毛沢東の私生活」という本を書き、一躍有名になった。この本によると李志綏は毛沢東の保健医の傍ら相談相手となり夜を徹しての長話や重要な会議に参加したことになっている。ところが林克(元毛沢東秘書。新華社国際部、中国欧州共同体研究会常務理事などを歴任)、徐濤(元毛沢東保健医。人民解放軍305医院長など)、呉旭君(元毛沢東看護婦長。人民解放軍305医院副医院長など)の三氏が著作し横浜国立大学教授村田忠禧氏が翻訳した『「毛沢東の私生活」の真実』により、すべてが嘘だったことが明らかになった。毛沢東とは会う機会さえほとんどなかったという。
李志綏の嘘を次々に明らかにした上で アンドリュー・ネイサンの言いたいこととは、素直な表情、柔和な笑顔に始まり、こざっぱりとした身なり、西側の訓練、外国気質に至るまで西洋が優れていて、西洋の真似をすれば東洋人でも評価してあげるよということである。アンドリュー・ネイサンはとんでもない差別主義者である。

七月十三日(日)(西洋に魂を売った男)
李によると毛の白血球がここ二年間高く、その理由が歯にあることを李が見抜き歯科医に抜いてもらって正常に戻った。毛は喜んで「きみは何年もわたしを悩ましてきた謎を解いてくれた。君は勝利したのだ。英米学派、万歳。」と言ったことになっている。ところが毛が抜歯したとき李はまだ毛の保健医ではなかった。 日中が国交を回復した直後に、中国の針による麻酔が日本に紹介された。今でも中国では西洋医とともに漢方医に診療してもらう人が多い。このことからも李のいうことが嘘であることは判る。李の西洋かぶれの話はまだ続く。
毛沢東が李に「医者はいつもあのように威張りくさっている。気に食わん」「君にはそのような様子はないかね」と尋ねた。「わたしはそこでやっとわかった。わたしは西洋医学の教育を受けた出身なので、自ずと『医者ぶり』を備えていたのであった。」
これについても 事は李が個人的に嘘つきだったという話を超えている。中国対アメリカという範疇も超えている。これはアンドリュー・ネイサンが仕組んだ西洋による東洋文明破壊工作である。

七月十四日(月)(医者と労働衛生専門家はどちらが賢いか)
日本では労働安全衛生法により、有害物質を扱う職場などに作業環境測定が義務付けられている。私も24年前までは作業環境測定の仕事をしていた。本田技研をはじめ製鉄、電機製造、製薬などの工場で測定を行った。当時はプラザ合意の円高になる前で製造業には活気があった。毎年国鉄のストライキも行われ、労使ともに元気な時代であった。
作業環境測定は空気濃度の対数平均と対数標準偏差を取り、基準以下だと第一管理区分で合格、普通の平均を取り基準以下だと第二管理区分で要注意、それ以外は不合格となる。なぜ管理区分によって、対数平均と普通平均を使い分けるのだろうか。
作業環境測定士の全国講習会で、労働衛生の専門家が種明かしをしてくれた。「医者というのは頭が悪くて普通平均が必要だと言い張るので、このようになってしまった。」
人体への影響は累積され、それは普通平均となる。医者の言い分にも一理はある。否、それどころか世間から見れば、医者は労働衛生の専門家より頭はいいと思われている。しかし医者は他の職業より頭がいい必要があるだろうか。
中村祐輔氏のような優秀な頭脳も必要である。内田医師のように人民の医療を目指す人も必要である。多様性が重要である。点数順に医師を育成する西洋流のやり方は、破綻寸前のところまで来ている。

七月十七日(木)(医師は高収入であってはならない)
昭和40年頃まで、医師は高収入という印象はなかった。庶民と同じような家に住み、診療室や待合室の分だけ一般の家より狭いくらいだった。都会の人口増加に医師数が追いつかず医師を高収入にした面もある。一番大きいのは政治の保護下にある職業(例えば医師、弁護士、議員)の相対収入は癌細胞と同じで年々増殖する。それを目当てにその職業に適さない人が流入することになる。
これを断ち切るには西洋の真似をせず、明治維新前の社会を参考にすべきである。医師について言えば看護士、その他の医療関係者との区別をやめることである。

七月十九日(土)(末期医療に見る医師と看護師)
父が5年ほど前に埼玉県立がんセンターに入院した。既に末期だったので本人の希望により延命治療をせず疼痛対策のみを行う病棟に入院した。痛みを抑えるモルヒネ類の選定は看護師のみで行っていた。今度の薬はモルヒネより強い、と説明してくれた。看護師は親切な人たちばかりで感銘を受けた。
医師は影が薄かった。今日は副院長が診察に来ます、というので家族親戚知人友人飼い犬飼い猫使用人その他一族郎党(といってもそのときはちょうど母はおらず私一人だったが)が直立不動で出迎える中を数分診察して無言で帰って行った。
亡くなったときも、連絡したら30分ほどして若い医師が来た。20秒ほど診察して腕時計を見て「8時15分」とだけ言って帰って行った。「ご臨終です」と言うものとばかり思っていたが、あれだとNTTの117番の時報と変わらない。
医療は看護師、薬剤師が行うべきではないだろうか。コンピュータとオンラインの発達がそれを可能にしている。医師と看護師の区別を止める時期である。


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