六百三十四(甲)、資本主義の終焉と新たな社会システムの構築(水野和夫氏の講演)

平成二十六甲午
十一月十二日(水) 参加したきつかけ
昨日は午前半休を取り、ASIAN AGING SUMMIT 2014といふシンポジウムを訊きに行つた。午前中の五人の登壇者 の中に「資本主義の終焉と新たな社会システムの構築」といふ興味のある題があつたためである。講演者は水野和夫氏。 多数の証券会社幹部を長く勤め、その間に埼玉大学客員教授を兼務。昨年証券会社を退職し今は日本大学教授である。 私は次のように予想した。
地球温暖化で資本主義を終焉せざるを得なくなつたといふ話なら一番よいがさうではなく、 資本主義の目的がカネであるため高齢化社会で矛盾を生じたといふ話であらう。
実際はこの予想を遙かに上回る内容だつた。

十一月十三日(木) 講演の内容
資本の自己増殖つまり利子率が西暦1200年にバチカンが認めてから8%から10%になつた。地中海資本主義で ある。しかし16世紀に利子率革命で1%に落ちた。オランダに新しい資本主義が出たからである。オランダとイギリス が七つの海を一つにして利率が6%。21世紀に日本、ドイツが1%台になり利子率革命が起きた。
今後は(1)よりゆっくり、より近く、より寛容に、(2)アンチ中央、(3)世界は三つか四つの地域帝国に。
地域帝国 とはブロック化して自給自足。閉じた帝国はユーロ圏のようにカネがベルリンなど中央に集まっても周辺に配分される。

十一月十八日(火) 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか、その一
早速「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」といふ水野氏の著書を読み始めた。第一章には、先日の 講演の内容が詳細に載つてゐる。それは
石油危機とベトナム戦争終結の中間に当たる一九七四年は、「利子率革命」が始まった年である。この時点で「近代史」 がピークをつけたと判断できるのは、資本の利潤率がピークをつけたからである。

で始まる。十六世紀に始まつた資本主義がヨーロッパ南部から北部に中心を移動させたのは
「エリートのラテン語市場がひとたび飽和し」(アンダーソン、ベネディクト(以下略)「一六世紀当時、ヨーロッパ 全人口のなかで二つの言語を使える者の割合はきわめて小さ」(括弧内略)かったのである。

第二章では七四年に出生率が2.1を下回り、七六年には農村から都会への人口流出が終つたことを示してゐる。 七四(昭和四十九)年あたりから日本が異常になつたのは私も同感である。私はこの年から貿易黒字が激増したことと この二年後にベトナム戦争が終り共産主義側の攻撃が終了し、今度はアメリカ側の工作が始まつたこと、日本でも 国労のマル生運動勝利がスト権スト失敗で総評全体が衰退に向かつたことが原因と考へてゐるが、なるほど利子率など 資本主義側の内情から考へる方法もあるのかと思つた。水野氏も
共産圏がベトナム戦争で西側先進国の外への膨張を止めたのに対して、少子化は内なる膨張に対する精神的な拒絶 反応であった。
と述べる。

十一月十九日(水) 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか、その二
新自由主義が分配比率を一方的に資本に有利にさせるのは、「新自由主義という権力は、ルールを破ることが許される 者と、それが許されない者という徹底的な不平等に基づいている」(以下略)ノーベル経済学賞を受賞したハイエクが提唱 した新自由主義がケインズ主義にとってかわったのは一九七四年だったが、新自由主義が欧米よりも日本のほうが先 だったのは、日本のほうが先に成熟化したからである。

貧困がなくなると福祉がなくなり、それは欧米が先で日本は欧米の猿真似だから後だと思つてゐたが、白石氏の理論では 日本が先である。なるほど日本の円高とバブルは日本人を先に成金にした。
日本のバブル(一九八〇年代)と欧米のバブル(一九九〇年代半ば以降)の間に一七年間のタイム・ラグが生じた理由は、 貯蓄の有無であった。国内貯蓄が豊富にあるか否かによって、バブル発生の時期の差を説明することができる。

にも現れる。結論として七十五年のサイゴン陥落によつて
「帝国主義」を背景として常に 海外市場を開拓することで利潤を高めていった、大航海時代以来のヨーロッパ型近代資本主義の時代が終わったのである。

十一月二十日(木) 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか、その三
ギャラハーとロビンソンが指摘するように、重商主義も自由貿易主義も、そして植民地主義もすべて帝国主義の範疇に 入るのであり、帝国主義とは市場原理主義にほかならない。

ここは重用である。米ソ冷戦が終結して以来、日本では反日拝西洋が平和だと勘違ひするマスコミが多い。しかし市場 原理主義こそ帝国主義である。第三章に入り
「もっと速く、もっと遠くへ」が近代社会の基本理念であり、それに基づいて利潤を極大化させるための前提条件が、安価な エネルギー、具体的には豊富でタダ同然の化石燃料の存在であった。(中略)しかし、第一次石油危機で事情が一変した。 そこで、安価なエネルギーとして期待されたのが原子力であった。(中略)三・一一でエネルギー源として原子力への依存度 を高めることももはやできなくなったことで、二一世紀になって近代の前提条件は消滅してしまったのである。
そうで あるならば、近代の理念に基づいて行動しても、先進国の一〇億人を除いた地球上の六〇億人全員が豊かになれる可能性 は低い。


可能性が低いばかりか、今でも地球温暖化で大変なことになつた。西洋近代文明を停止させなければいけない理由はここに ある。といつて大変なことではない。昭和三十年代の日本に戻るだけでよい。
名目付加価値が1%増へると雇用者報酬が何%増えるか(弾性値a)について
a=一.〇であるということは、一九世紀半ばに資本と労働が暗黙のうちに資本分配率と労働分配率を維持するという契約を 結んでいたことにほかならない。(中略)ところが、一九九九年以降、弾性値aがマイナスに転じ(中略)民主主義が経済的観点 からすればその役割を果たせなくなったことを意味している。

十一月二十二日(土) 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか、その四
利潤率が低下したり、冨の蓄積ができなくなると、資本主義であろうと、荘園制経済であろうと、支配層からすれば体制の危機 そのものである。(中略)こうした事情のもとで「大きな政府」から「小さな政府」への転換と自助努力を標榜する新自由主義が 登場する。

しかし利潤率は回復しなかつた。
リーマン・ショックで経済が大きな打撃を被った後、一部で「ケインズに帰れ」という考え方が唱えられているが、間違いである。 ケインズ流の大きな政府は「インフレがすべての怪我を治す」時代で、かつ国民が「大きな物語」を信じている近代社会において 初めて成り立つものであって、今や先進国において「大きな物語」を誰も信じていないからである。
一方、「小さな政府」の理論的イデオロギーだった新自由主義は、リーマン・ショックであっけなく雲散霧消してしまったから、個人 の自助努力を基本とする「小さな政府」も存在意義を失っている。


水野氏の優れたところは経済数値だけを並べるのではなく先進国に於いて「大きな物語」を誰も信じないといふ精神状態まで分析 することにある。水野氏はこの後、大航海時代にスペインが英国に破れた理由に中産階級の有無を挙げる。そして二十一世紀に 入り世界中で中産階級の没落が起きたといふ。確かに支配側にとつて中産階級の存在は安定に繋がるからこの説は正しいかも 知れない。しかし中産階級の存在がよいのかどうか。私はかつての日本のように一億総中流を目指すべきだと思ふ。

十一月二十三日(日) 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか、その五
一六世紀の「価格革命」は、それまでの荘園制・封建制・カトリック絶対社会が維持できなくなり(以下略)
二一世紀の「価格革命」は、それまでの国家と資本の利害が一致していた資本主義が一致していた資本主義が維持できなくなり、 資本が国家を超越した資本主義へと変貌を遂げていることを示している。ある意味では、「国民と国家のための資本主義」から 「資本のための資本主義」へと、すなわち一六〜一七世紀の資本家が建設した粗野な資本主義に先祖帰りしているのである。


水野氏はその原因を価格革命に求めるが、私は米ソの冷戦が終つて米側の緊張感が切れたためと考へる。いづれにせよ
一六世紀以来、五〇〇年かけて、一七、一八世紀の市民革命を経て、人類は国家・国民と資本の利害が一致するように資本主義を 進化させてきたが、二一世紀のグローバリーゼーションはその進化を逆転させようとしている。

ここまで水野氏の意見に大賛成である。しかしその過程で実に長い期間に亘つて帝国主義の戦争が続いたし、国家・国民と資本の利害 は一致しても大自然。野生生物とは利害が極めて対立してゐる。果たして進化と呼べるかは判らないし、逆転することにより資本主義の 重大な欠陥に人類が気付けば、それこそ進化だと思ふ。
資本が国境を越えられなかった一九九五年までは、国境の中に住む国民と資本の利害は一致していたから、資本主義と民主主義は 衝突することなく、両者はうまく機能することができた。
しかし(中略)民主主義が生き残れるかどうかも怪しくなってきた。


私は民主主義とは国民が私心を超えて議論するものとするなら生き残れるし、私欲と多数決で決めるとするなら生き残れないとみる。 経済に余裕がないと後者は機能しないからである。昭和初期の515、事件や226事件を批判しても仕方がない。経済に余裕がないと 民主主義は機能しないのだから。
これから近代化する新興国の人々が先進国並みに自動車を所有すれば、ガソリンの消費量は増加するし、電気冷蔵庫を購入すれば、 発電のために原油や原子力が必要となる。

私が小学生のころは普通の家庭には車も電気冷蔵庫もなかつた。その代はり氷式の冷蔵庫があつた。ニ扉式冷蔵庫の上に30cm× 20cm×20cmくらいの氷を入れ下の扉に魚や肉を入れる。街には氷屋があつて夏には大きな氷をトラックに積み購入する家の前で ノコギリで氷を切つて販売した。氷屋は冬には炭屋、煉炭屋になつた。先進国がこの時代に戻ることは容易である。水野氏も
「ホッブスがXX教社会以前の世俗的ギリシア政治思想を用いることによって、中世的・封建的思想を近代的思想へと転換させた 点こそ重視すべきであろう」(括弧内略)という点を今日に敷衍すれば、成長こそすべてだという近代的思考から脱しなければならない のである。

と語る。

十一月二十四日(月) 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか、その六
水野氏の引用したもののなかで貴重なのは
「ある国家が偉大であり完全であるかどうかは、領土の広さによってではなく、市民が『持続的に調和のとれた』割合で異なった階級に 配分されているかどうかによってきめられる」(エリオット、J・H[二〇〇九]三五〇頁)のであり、「この基準によると、スペインは一四九二 年に完成された状態に達していた」(前掲書、三五〇頁)のである。

これを二十一世紀に当てはめると
近代システムのピークは、米国のピークにほかならない。米国のピークは、ジョンソン大統領が年頭教書で「偉大な社会建設計画」を 発表した一九六五年であった。中世のピークを規定した基準を近代にも当てはめれば、七〇年以降、近代社会の調和は崩れていった ことになる。(完)


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