六百三十七、「中国共産党の宗教政策」或いは「産経新聞(実態は白人国崇拜KKK新聞)」を批判

平成二十六甲午
十一月十六日(日) 今朝の報道
今朝インターネットで或る記事を見た。これはけしからぬ、中国共産党の宗教政策を徹底的に批判しなくてはいけないと思つた。今日昼間 歩きながら「中国共産党の宗教政策批判」といふ題で批判内容を考へた。しかし自宅に帰つたのちに、もしかすると日本の偏向新聞の 意図的な報道かも知れないと気付いた。念のため記事の出版元を調べると産経新聞(実態は白人国崇拜KKK新聞)のホームページだつた。 事は重大なのでまづ記事を紹介し、中国共産党かKKK新聞の双方を公平に批判したい。
【北京=矢板明夫】中国の習近平指導部は、「共産党員は宗教を信仰してはならない」という原則を改めて徹底する方針を固めたもようだ。党の 規律部門を動員し、宗教を信仰する党員を全国で精査する見通しだ。キリスト教やイスラム教などの信者が増え、党中央の求心力が弱まって いることが背景にあるが、宗教を信仰する党員は少数民族や貧困層が圧倒的に多く、こうした“組織浄化”措置は民族対立などの社会矛盾を 深刻化させる可能性をはらんでいる。
14日付の国際情報紙「環球時報」によると、習近平総書記は今年9月の中央民族工作会議で、「党員は宗教を信仰してはならない。宗教活動に 参加してはならないとの規則を堅持すべきだ」と強調した。
党関係者によれば、党の規律部門は10月ごろから一部地域への「党員の宗教信仰状況」の調査チームの派遣を開始。宗教を信仰する党員に 対しては除名など厳罰で臨む方針だという。
党員の中ではウイグル、チベットなどの少数民族を中心に、イスラム教やチベット仏教を信仰する信者が急増。沿海部の浙江省などで違法と されるキリスト教の地下教会の活動に加わる党員も多いという。


十一月十七日(月) マルクスと宗教
マルクスは宗教の死滅を予想した。これは当時の急速な科学の発展を考へれば当然である。しかしその後、宗教は消滅しなかつた。マルクスの予想 はその時点での予想だから本人が生きてゐれば変更したに相違ない。弁証法的唯物論は長い目で見た人類の発展を示したもので百年や二百年 単位では変動のほうが大きいから発展を示さない。判り易い例を挙げれば九月から一月に向ひ気温が下がつて行くが細かく見ると暖かい日と寒い日 がある。一日の中でも明け方が一番寒いし午後二時くらいが一番暖かい。
マルクスの時代は今までの伝統が崩壊の時代で道徳も崩壊した。その中で新しい良心を作るには水が上から下に流れるように弁証法的唯物論で 労働力を良心の源泉にしようとした。しかし資本主義の繁栄下で一定の良心は残つた。これは人間の本能と伝統と習慣の合はさつたもので、弁証法的 唯物論は当時の科学だから確率の低い現象は把握できなかつた。例へば科学法則に従へばすべての種は統一に向かはなくてはいけないのに実際は 分化に向かふ。これは当時の科学では説明ができない。エントロピーが減少するからである。今では低い確率といふことで科学的に説明できる。だから マルクスが今を生きたら、弁証法的唯物論を多少主張はしても宗教批判や伝統文化批判にはならなかつたはずである。

十一月十九日(水) 宗教と習慣は区別できない
中国では「福」といふ時を飾ることがある。これは宗教か習慣かと聞かれれば答へられない。或いは正月は大々的に休む。これも宗教か習慣かと聞か れれば答へられない。論語を読む。これも答へられない。中華人民共和国が成立した後に漢字を廃止しようといふ計画があつた。一九五〇年前後の 漢語辞典にはローマ字や発音記号ではない中国が独自に開発した表音記号が付くものもある。しかし結局は漢字は廃止されなかつた。そればかりか 上海の郵便局に江沢民の自筆が飾られてゐるが「江澤民」と正字体で署名した。
宗教は習慣の一部であり、人類が永続する知恵である。死滅するのであれば仕方がないが、意図的に敵対してはいけない。

十一月二十二日(土) 二流国民を作つてはいけない
中国は宗教者を党員から追放するだけで国民が宗教を信じる権利は保証するといふかも知れない。しかし一党独裁である以上、党員になれないことは 二流国民を意味する。私が大連や上海を旅行した感想では、今の中国は十分に宗教が保証されてゐる。しかし一流国民が非宗教者ばかりだと、将来 必ず弊害を生じる。それよりは党内に宗教者を多数入れて、といふことは普通の国民を多数党員にすべきだ。民族解放とはさう云ふことである。

十一月二十三日(日) マルクスは資本主義による弊害の補正を考へた
当時の資本主義は残酷なものだつた。労働者の生活は悲惨で、文化と道徳は破壊された。マルクスはその補正を考へたのであり、文化と道徳を更に 破壊しようと考へたのではなかつた。文化と道徳を破壊しより新しい世の中を創らうとしても不確実度がより深まるばかりである。今は労働者の生活が よくなつたがこれは自然資源の破壊により今の世代が贅沢をしてゐるに過ぎない。
今の世代はより不確実度の高いものを求めるのではなく、しかし資本主義以前の世の中は、更にその前の世の中の堕落したものであることに気付き、 資本主義より前の世の中が堕落する前を目指すべきだ。

十一月二十四日(月) マルクス主義の良心はどこから発生するか
私は労働組合に関はつた経験から、労働運動の良心は(1)「伝統的な人間関係」、或いは(2)「総資本対総労働の意識」のどちらかからしか発生しない といふ意見を持つに至つた。これは私の所属する労組とその友誼組合に発生した金銭問題、パワハラ、男女問題を見ての結論である。しかし最近ある 労使紛争が円満に終り、或いは(1)のみが大切ではないかと考へを変へるに至つた。
労働運動ではなく政治運動ではどうだらうか。共産党にとり国家が死滅し尚且つ秩序を維持するには極めて大きな良心を持つ必要がある。その良心は マルクスの云ーふ職種のローテーションでしか発生しない。昨年は国家主席を務めた人が来年は一労働者になり、首相を務めた人が一農民になる。そこ までやるのなら伝統の人間関係は不要かも知れない。
しかしそこまでやつた共産主義国はないのだから、宗教や伝統的な人間関係を二流扱ひすると道徳が保てない。ここは宗教や伝統文化を尊重することで 国民に良心を生み、良心を持つた人たちで党員を構成すべきだ。

十一月二十五日(火) 資本主義といふ悪魔の思想をどこで止めるか
資本主義は温暖化で地球を滅ぼさうとしてゐる。こんな悪魔の思想はいつか止めなければならない。そのとき宗教者、伝統主義者、共産主義者の 連帯が必要である。共産主義は宗教者や伝統主義者と敵対してはいけない。
日本では拝米マスコミがさかんに偏向記事を流してゐる。日本国内の中国への評判が悪いのもそれが原因である。例へば中国から日本への旅行者が 増えたといふ記事は載らない。今回の産経新聞の記事もその一環ではあるが、党員から宗教者を締め出すことは共産党の将来によくない。一言意見を 述べさせて頂いた。(完)


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