六百三十三、ミャンマー經典學習會(その九)
平成二十六甲午
十一月十日(月)
宝経(ラタナスッタ)
昨日の経典学習会は宝経の二回目であつた。うつかり図書館に寄る時間を忘れたため、急行通過駅の千川ではなく、小竹向原で降りて
歩いてみた。各駅停車に乗り換える時間の節約である。しかし歩くとき南側に寄りすぎて給水塔のあたりで従来の道に合流したため、
着いた時刻は同じ(10分の遅刻)だつた。遅刻したのは今回が初めてだがまだ瞑想は始まつてゐなかつた。今回初めて参加する人が
ゐて、まとめ役の人が三拝の方法を教へた。暫く雑談の後、今回は久しぶりに瞑想を行なつた。
学習会自体はまづ新しい僧侶が来日した。セヤドーの弟子で難解な試験にも合格した。今回は一番難解だつた。ウ・ウェープッラ長老の
訳だと
この人間界、他の竜などの世界におけるいかなる富でも、あるいは天界におけるいかなる勝れた
宝でも、我々にとっては如来に等しいものは何もない。仏におけるこの宝こそ勝れた(宝で)ある。この真実話によって幸福があれ。
道によって心を統一された釈迦牟尼が得られた煩悩の滅尽、離貪、不死、最勝の(涅槃の)法に等しいものは何もない。法における
この宝こそ勝れた(宝で)ある。この真実話によって幸福があれ。
文章をそのまま読めばそれほど難しくないようだが、エカガタは心が一つに張り付く、禅定はエカガタのほかに四つが特に難しかつた。
涅槃は欲望などがなくなるから循環がなくなる、死ななくなる、病気やけがの人が症状がなくなるといふ話があつた。涅槃といふと生まれ
替はらないことに重点が置かれる。しかし死なない。こちらのほうがありがたみが伝はる。
ヴィパサナはルパとナマ。苦集滅道。果定。カヤはすべてがなくなり、ウィラカーは欲がなくなる。これらはメモを取るのが精一杯だつた。
十一月十一日(火)
終了後のお茶を飲む時間
今回の学習会は在日ミャンマー人が一人、奥さんがミャンマー人の日本人、ミャンマーの滞在が長くいつも日本語とミャンマー語で
質問をする人、奥さんがミャンマー語を習つてゐる夫婦とミャンマーと関係のある人が多かつた。仏教関係は三名で少数派だつた。途中で
真言宗の僧侶が久しぶりに来られた。
終了後に一階でお茶を飲む。遅くなるので今まで参加しないことが多かつた。参加しても途中で帰ることもあつた。しかし前回から最後まで
参加することにした。今回はいつもの通訳をしてくださる方が帰られたが、学習会に参加された中高年の女性と後から来た方二名の在日
ミャンマー人が参加してよかつた。もつとも料理の話が多くそこはよくわからなかつた。在日ミャンマー人は板橋、高田馬場、台東区など
山手線沿線に住む人が多いさうだ。
十一月十二日(水)
質問
学習会は一旦休憩になる。建物の裏側を散策してみた。小さな工場があつた。質問の時間は前回の鬼はどこに住むかについて、他の比丘
にも訊いたところ、四天界(天界の一番下)だが餓鬼にも入つてゐるさうだ。次の質問で、経の中に釈迦牟尼といふ言葉があるので誰が経を
作つたかといふ質問があり、釈迦牟尼が最初に唱へたあと、それを街中に伝へるとき釈迦牟尼となつた、ガターのルールで文字数が十二に
なるようにする、二つはブッダ、三つはバカワなど。
十一月二十四日(月)
シンハラ語とパーリ語、明治維新と日本の仏教
質問会が終つたあと一階に降りるまでの間に僧侶を交へて少し雑談の時間があつた。シンハラ語とパーリ語は似てゐるといふ話や、上座部
仏教国の僧侶どうしの話も今は英語を用いるなどがあつた。英語を用いると重用な情報が欠落してしまふ。一つは感情であり、二つには非
西洋の考へ方である。一番よいのはその国の言葉を話せる人を多数育成することである。日本ならタイ語、ミャンマー語、カンボジア語、
シンハラ語、ラオ語である。ラオ語はタイ語の東北方言とほぼ同じなのでタイ語だけでもよいかも知れない。信徒はともかくとして僧侶はパーリ
語を勉強してゐるのだからいづれパーリ語で日常会話もできるようにすべきだ。
一階に降りて明治維新後に日本の仏教が大きく変つたといふ話を皆でした。一つには神仏分離で、二つには僧侶妻帯だが今回は専ら後者が
話題になつた。とはいへ決してすぐ日本の僧侶は妻帯を禁止すべきだといふような話が出た訳ではないので、日本の僧侶は安心してほしい。出席
者のなかには大乗仏教の僧もゐる。参加者が不快になるような話は絶対にしない。他人を思ひやることができるのも信仰のおかげである。(完)
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