六百八、左翼から民族派まで

平成二十六甲午
九月五日(金) 名物執行委員
分裂前に引退したが、組合の大会で「民族派も一人はゐたほうがよいので」と挨拶する名物執行委員がゐた。 外資系に勤めてゐて退職勧奨を受けて争議になつた。外資系に勤めると民族派になるよと語つてゐた。左翼から 民族派まで共存する。否、共存だけではなく連帯する。これが必要である。米ソ冷戦のときはこれが不十分では あるが出来てゐた。だから社会党左派が急増したり、全国に革新知事、革新市長が誕生した。

九月七日(日) 自由とリベラルは中間ではない
左翼から民族派までだと日本全体ではないか思ふ人も多いだらう。しかし両者の中間と思はれてゐる自由派とリベラル派 は本当は中間ではない。国民のことを考へない悪魔のような連中である。自由とは相対である。無制限に自由でよい訳がない。 自由が行き過ぎれば規制を強化するし、規制が行き過ぎれば自由を強化する。いはばアクセルとブレーキ、交感神経 と副交換神経のようなものである。ところが自由を叫ぶ勢力は無制限に自由を要求する。まづは経団連といふサラリーマン 社長ニセ経営者団体連合会である。さかんに労働規制を緩和させようとする。次に新聞やテレビ業界である。反日(自称 朝日)新聞の慰安婦捏造記事に見られるように偏向報道ばかりを繰り返すくせに言論の自由を叫ぶ。
次にリベラルである。リベラルとは自由といふ意味なのにそれをごまかして社会派のふりをする。ふりはしても前原や野田と 組んでシロアリ民主党に所属するから本質は新自由主義、社会破戒勢力である。
私が左翼と右翼は連帯し国民のための政治を取り戻さうと主張する所以はここにある。

九月十四日(日) 社会党と共産党は民族独立政党だつた
日本における社会主義への道・平成版(その一)正当な国民感情の発露に書いたが、社会党 が左右に分裂したときに、左派社会党の綱領を巡り綱領委員会の案に総評出身中執の清水慎三委員が異なる意見を持ち、 その違ひは前者が独立と独占資本との闘ひを同時に進めるのに対し、後者はまず資本家と連携して独立を主張した。つまり どちらも民族独立である。私は民族といふ語をほとんど使用しないがここでは民族の優越や差別とは無関係なので使用した。
共産党も同じである。ベトナム戦争の最中だつたこともあり民族独立を掲げた。スターリンの政策は後に粛清が明るみに出るが 民族政策は悪くはない。民族を移住させる過ちはあつたが当時は住み慣れた土地や気候を変化させることが民族にどのような 影響を与えるか判つてゐなかつた。科学の進歩のほうが大きいから無視できると考へたのだらう。少なくとも日本のアイヌ政策や アメリカの先住民滅亡政策よりは優れてゐる。
若い人は知らないが、昭和四十年代後半までは社会党と共産党の革新知事、革新市長が大都市に次々と誕生した。自民党の 対抗軸は社会党と共産党で、自民党は国民政党と資本主義政党の合体したもので独自憲法を掲げる。つまり自民党の半分は 民族独立派である。
社会党右派はそのほとんどが後に民社党として独立するが、民社党は自民党以上に右翼と言はれるほど防衛政策などがタカ派 だつた。つまり昭和四十年後半までは日本全体が民族独立派であつた。

九月三十日(火) 中間は悪魔の思想の巣窟
亜倍(自称安倍)を右翼、タカ派といふ人がゐるがそれは間違つてゐる。反中反韓反ロの菅野田政権を継承しただけだ。なぜ 菅野田の路線が醜い路線を取つたかといへば根底に拝米がある。判り易くいへば向ふ三軒両隣とは敵対する。しかし町内を 流れる太平川の対岸に極悪非道のヤクザには取り入る。「親分、組長、合州国大統領」と叫んで作り笑ひを浮かべる。
しかしこれは前原や枝野だけではない。学生運動を転向し左翼崩れとなつた男や裏切り女やニセ労組シロアリ連合まで寄つて 来る。ここで国民は気づかなくてはいけない。中間のふりをしてリベラルを叫ぶ連中こそ国民のことを全く考へない(1)悪魔の 手先、(2)社会破戒勢力、(3)新自由主義である。かう云ふ連中を撲滅しない限り日本は二極化が進み大変なことになる。 昭和恐慌の二の舞を防ぐには中間のフリをした連中を撲滅するしかない。これこそ本当の平和運動である。(完)


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