六百十四、社会主義の衣を纏ったリベラリズムは排除し、闘う保守を貫く(1.次世代の党の綱領を読んで、2.主義といふ単語は使用を止めよう)

平成二十六甲午
九月二十一日(日) リベラリズムの衣を纏った社会主義思想の排除
次世代の党といふ政党が八月一日に誕生した。綱領を読むと、「リベラリズムの衣を纏った社会主義思想は排除し、闘う保守を貫く」とある。今の 日本を見ればこの様に主張することは理解できる。しかし本当は「社会主義の衣を纏ったリベラリズムは排除し、闘う保守を貫く」とすべきだ。 その前にこの文章を見て気付いたのだが「主義」といふ単語は日本に合はない。「社会派の衣を纏ったリベラリズムは排除し、闘う保守を貫く」。 これが一番よい。

九月二十二日(月) 社会主義の衣を纏ったリベラリズム
旧社会党はマルクス式社会主義を目指す勢力と西欧式社会民主主義を目指す勢力があつた。それなのに民主党に合流すると今までの主張は 言はない。それは民主社会主義を目指した旧民社党も同じである。シロアリ民主党でよくないのは野田、前原など新自由主義勢力を抱へることだ。 両者の共通項としてアメリカ化を進めれば自由と民主主義が達成できるといふ欺瞞に満ちた結論に達した。アメリカが自由だの民主主義だのと 叫んでゐられるのは野生生物と先住民の土地を奪つたからだ。更には貧困者を切り捨ててゐるからだ。黒人で刑務所に入つたことのある人が どれだけゐるか調べるとよい。
社会主義の衣を纏ったリベラリズムの誕生である。

九月二十六日(金) 資本主義は永続できない
社会主義をどう解釈するかで、リベラリズムの衣を纏った社会主義が悪いのか、それとも社会主義の衣を纏ったリベラリズムが悪いのかといふ 違ひが出てくる。社会主義を資本主義の更に進んだ思想と捉へると社会主義は悪いことになるし、資本主義の弊害で悲惨な時代だつたときに その改善策と捉へるなら、社会主義はよい思想になる。時代は下りスターリンの弊害が明らかになつたのに共産主義国はその対策を取らなかつた。 この時点で共産主義は少なくとも西欧では受け入れられなくなつたが、なぜ日本ではその後も革新系知事、革新系市長が続々と誕生したのか を考へる必要がある。
まづ資本主義は人類が長い年月を掛けて作つた永続の知恵を破壊しカネを回してそれを増やすことを主目的とする極悪な唯物論である。だから 戦前の西欧では社会主義が起きた。日本では戦前は財閥に反対するテロやクーデターが続発したし戦後は社会主義の人気が高かつた。その後、 地球資源の浪費で所謂先進国では生活が贅沢になつた。日本でもプラザ合意以降のの生活は江戸時代の大名以上である。大名は家来が廻りに ゐても夏は暑いし冬は寒い。我々は冷暖房完備でテレビインターネット携帯電話スマホ付きである。大名が籠で東海道を往復するが我々は新幹線 で往復する。
しかし資本主義の繁栄は砂上の楼閣である。地球温暖化で永続はできない。

九月二十九日(月) 左翼崩れ
今の共産党、社民党、シロアリ民主党のうち前原派野田派を除いた部分(この部分こそシロアリである。これまで前原派野田派をシロアリと称して きた。その理由は鳩山政権退陣後に民主党をシロアリ化した元凶だからである。しかし本物のシロアリはこの部分である。それはニセ労組シロアリ 連合の言ひなりだからである)を見て、次世代の党は「リベラリズムの衣を纏った社会主義思想」と称したのだらう。私もその考へに反対ではない。 しかし彼らは社会主義を目指してはゐない。社会主義を目指さないのに進歩派でゐたいからリベラルになる。社会主義の衣を纏ったリベラリズム の誕生である。
左翼とはかつての共産党や社会党左派のように、日本の独立を掲げることだ。日本はアメリカの属領状態なのだから米帝国主義に反対することも よいことである。かつて憲法第九条を巡り、社会党左派から安保条約の永久化に繋がるといふ反対意見が出た。これが正解である。

十月九日(木) 主義といふ言葉は使はないほうがいい
主義といふ言葉には二者択一のうちの片方に固執する印象を受ける。だから主義といふ言葉は使ふべきではない。社会主義は社会派。あるいは 社会責任派。これがよい。資本主義はなぜ資本主義でもよいかといふと、世の中が資本主義だからだ。今の世にあるものは後世からみればひどい 話だつたと思はれても不思議と受け入れてしまふ。だから資本主義は主義を名乗つても受け入れられる。(完)


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