五百六十一(甲)、ミャンマー経典学習会(その五)

平成二十六甲午
四月二十一日(月)「新中野から中板橋へ」
消費税増税で交通機関は紙切符の便乗値上げをした。電子カードは一円単位だが回数券は違ふ。だから今月のミャンマー経典学習会は新中野から中板橋まで歩くことにした。どうすればそんな発想が出てくるのか。それをまづ説明しませう。
池袋から千川まで乗り越すと三十円高くなる。それは今までどおりだから構はないのだが消費税増税前に購入した回数券は額面との差額を徴収される。これは地下鉄側の不当利得である。だから4Km歩き四十円不払ひしようと最初は考へた。しかし計画を見直し新中野から中板橋まで歩けば7Kmで154円(土日券運賃114円〔160÷14〕+乗り越し30円+不当利得10円)を不払ひにできる。1Km当りの効率が2.2倍である。図らずもタイのかつての水掛け祭り会場(新中野の慈眼寺)からミャンマー寺院までを歩くことになつた。
新中野から中板橋までは都道420号線の一本道である。交通量は少なく歩くに快適である。十数年前に哲学堂を見学のため歩いたことがある。その距離を二倍に延ばすだけで中板橋に到着する。だからゆつくり歩いたのに1時間半で到着した。420号線は道路の名称が「中野通り」から途中で「千川通り」に変はる。千川通りもかつて玉川上水との分岐点から板橋駅まで歩いたことがある。地図には練馬区の旭丘集会所に赤い丸が付けられ千川駅の南で少し都道から外れそのまま赤い線が板橋駅まで続く。千川通りの古い木造の商店や民家を見てかつて来たことを思ひ出した。今回初めて歩くのは哲学堂から千川通り合流点までの800mに過ぎなかつた。
420号線はかつて千川駅先の水道タンクのところで通行止めになり、左に分岐する道で川越街道に連結してゐた。私がミャンマー経典学習会に参加を始めて3年目くらいに直進の道が開通した。
午後1時に開始なのに12時には着いた。だから少し手前の日大医学部と付属病院を建物の外から見学した。国際興業のバス停が構内にある。

四月二十一日(月)その二「開始前」
30分前に寺院に到着した。かつては開始前にミャンマー人男性の通訳や他の参加者と仏教の話や雑談をするのが楽しみだつたが、昨年ミャンマー人は帰国した。しかも他の参加者は時間ぎりぎりか少し遅刻する人が多い。この日は子供数人と話した。
ミャンマーの子供は人懐つこい。そこが日本人の子供と大きく異なる。このことはミャンマーの社会は健全、日本の社会は崩壊し個人主義であることが判る。最初来た子供は日本生まれで両親はミャンマー人。ミャンマー語は少ししか話せないさうだ。日本語は得意だが仏像のことを神様と呼ぶ。私が仏像といつても判らず本堂の三体の像のことだと説明した。なぜ両脇の神様は黒いか質問されたので金色が剥げたことと古い神様で貴重なものだと説明した。
三体の前に高さ20cmほどの仏像もある。家にあれくらいの神様を祭つてゐるか質問したところもう少し大きいさうだ。私はタイの寺院で2cmほどの仏像を頂きお守りとして鞄の中に入れてゐるのでそれを見せると小さいと驚いてゐた。
仏像の前に果物とたくさんの花がお供へしてある。誰かが持つてくるのか質問されたので皆が少しづづ持つてくるからたくさんになると答へた。後でよく考へると数日前までミャンマーの正月であつた。

四月二十二日(火)「二人の新規参加者」
今回は二人の新規参加者があつた。一人は男性でミャンマー関係の仕事に数十年従事し、ミャンマー語は聞き取れないが読むことと辞書を引くことはできる方である。もう一人は昨年十二月に来られたミャンマー語教室の女性だつた。
瞑想と経典学習会が終了の後、一階の集会所で皆でお茶を飲んだ。これに参加すると帰りが遅くなるので私は一年近く参加しなかつたが、今回久しぶりに参加した。だから終了後家に着いたのは七時四十五分だつた。
新規参加の男性からミャンマー語は日本語と文法が同じだといふ話があり、ミャンマー人通訳ともう一人のミャンマーの女性も日本語にするのは簡単だといふ。ミャンマー語の難しいのは母音、子音が日本語よりたくさんあり声調もあること、日本語の難しいのは漢字と敬語といふことで皆の意見が一致した。
日本語の漢字はすべてルビをふるべきだ。昔の新聞や書籍はさうだつた。私の祖父(母方)は家の中の張り紙にもルビをふつた。読むのは家族だけだからふる必要はないのだが昔の人はさういふ習慣があるのだらう。

四月二十三日(水)「宗教の必要性」
僧侶の説法を聴いて、宗教はよいものだとつくづく感じた。今回ほど感じたことはない。それは上野千鶴子批判が同時進行中で私の心が濁るからである。上野千鶴子の唯物論フェミニズムでは世の中が悪くなる一方だし世の中を永続できない。
吉祥経(マンガラスッタ)八節目の尊敬、謙遜の説明を聴いたとき特に感じた。尊敬は仏法僧親兄弟先生年長者。尊敬すべき人に尊敬しないと来世は悪い家庭に生まれる。謙遜は自分を低く見る、同僚や後輩に優しくする。自分が年長になつても尊敬される。サーリポッタラは7歳の僧の話も聴いたので尊敬の心が判る。そんな内容であつた。なほ妻は夫を目上と考へるべきだと考へる訳ではない。夫婦は対等である。尊敬、謙遜の話と上野千鶴子を対極に感じた理由は社会の安定を目指すかどうかにある。
目上の者を尊敬するのはよいことだ。しかし権力は上下が均等ではないから下への圧力になる。それを防ぐ方法が必要だが宗教なしにはできない。マルクスは弁証法的唯物論で当時は確実と思はれた無神論を克服しようとしたが、レーニン、スターリン、ポルポトで無理なことが明らかになつた。吉祥経では尊敬、謙遜の平衡で保つた。

四月二十四日(木)「第八節適時に法を聞く」
第八節の適時に法を聞くについて、適時とは五日に一晩、自分の心が舞ひ上がつたり集中できなかつたり悪い方向に向ふとき、法を聞く利点は(1)聞いたことのない仏法を聞ける(2)聞いたことがある仏法でも理解が深まる(3)迷ひがなくなる(4)正しいことを信じることができる(5)心がきれいになる、といふ解説があつた。
第十一節の世間の法について世の中の幸福と不幸(1)利益がある(2)利益を貰へない(3)好かれ人が集まる(4)人が集まらない(5)批判される(6)誉められる(7)心も体も豊かに(8)心も体もまずしい、といふ解説があつた。

四月二十六日(土)「質問の時間」
第十節に戒律の修行、止観の修行とある。休み時間に経典学習会の中心者の日本人に止観とは天台宗では座禅の事だと質問したところ、サマタとビパッサナと両方あるうちの観がなくなつてしまひ、天台宗や真言宗の古文書には両方あると回答してくれた。
質問の時間にこの日本人が僧侶に戒律の修行、止観の修行について再質問し、僧侶よりパーリ語のTapo(苦行と直訳にある)は貪瞋癡がなくなる修行で五戒を守るが八戒に近いといふ解説があつた。
吉祥経はどういふときに読むのかといふ質問に、新築、結婚、仏壇、誕生日、仏像、新年、合格したときといふ説明があつた。合格前かといふ質問に前はない、つまりご利益希望ではなく合格の祝賀といふ意味合ひである。

四月二十七日(日)「水祭り」
ミャンマーの正月は水祭り(日本語に訳すと水掛け祭りともいふ)と時期が同じである。僧侶や寺に行く荷物には水を掛けてはいけないさうだ。ここ数年で変つたものとして髪を染める人が増へたがそれは水祭りの間だけといふので安心した。
ミャンマーでは日本語通訳が足りなくて、ミャンマーから毎年お呼びする僧侶の通訳が今年は仕事で来られないのでどうするかといふ話もあつた。日本にゐながらミャンマーのことが判る。このお寺は貴重である。
トイレは一階の集会所と二階の本堂にある。三階の僧侶居住区にもあるがここは使はない。二年ほど前にトイレが混んだときに、建物を出て右に行くと公園がありそこに公衆便所があると皆に言つたが誰も行かなかつた。私は今でもそこを使ふ。休憩時間に往復するから運動にもなる。先ほど地図で距離を測つたら片道200mある。先週瞑想が始まる前に行つたら昔の汲み取り便所の臭ひがするので水洗ボタンをよく押した。僧侶の法話が終はり質問の時間までの休憩中に行つたらやはり汲み取り便所の臭ひがする。皆が流さないから尿の固形化したものが溜まりそれが腐敗したのかも知れない。昔の汲み取り便所の雰囲気を味はえるこの公衆便所も貴重である。
かつては千川駅近くのライフといふスーパーで昼食を買ひこの公園で食べた。半年ほど前にサミットといふスーパーも出来た。最近はここで買ふことが多い。(完)


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