五百五十九、あまり気が乗らなかつたがアジアの催し物二つ

平成二十六甲午
四月十五日(火)「水掛け祭り」
タイの水掛け祭り(ソンクラーン)が東京で行はれないかインターネットで検索した。2006年の「諸般の事情により、開催ができなくなってしまいした」といふページを見つけた。98年から00年は新中野の慈眼寺、01年は目黒区の田道広場公園と区民センターホール、02年と03年は都立葛西工業高校で開催され写真が載つてゐる。いづれもタイから僧侶もお呼びした。
更に検索するとタイとは別にミャンマーの水掛け祭り(ダジャン)が日比谷公園で開催されるらしい。しかし「ビルマ水掛け祭り」とビルマを名乗るし主催がビルマ民主化同盟である。ビルマとミャンマーは「にほん」と「にっぽん」程度の違ひしかない。しかしイギリスはBurma(バーマ)と呼び続けた。ミャンマーを植民地にしたくせにその傲慢な態度には驚く。もちろん軍事政権の国内弾圧には絶対反対だつたがその後民主化を進めて経済発展が著しい。私はミャンマー問題では政府系と民主化同盟系の双方を批判的に見て来た。しかし他に開催されないから消極的ではあるがビルマ民主化同盟の水掛け祭りに行くことにした。

四月十五日(火)その二「かわさきアジアンフェスタ」
かわさきアジアンフェスタといふものがあり、こちらは更に気が乗らないがついでに見ることにした。「アジア食べ物祭り」なら喜んで参加する。しかしアジアンフェスタは軽薄過ぎる。「アジア」は日本語だが「アジアン」は日本語ではない。
実際行つてみると二つの商店街に屋台が並び、それは賑やかでよいが展示がある訳でも僧侶を呼ぶ訳でもなくそれだけだつた。
同時開催で「アジア交流音楽祭」があり川崎駅前、商店街など10箇所にミニステージを設置して一人または一団体が四十五分づつ出演する。これが日本のポップスばかりである。アジアとは名ばかりで普段駅前などで勝手に歌つてゐる人たちがよくゐるがこれらの人たちに場所を提供した。そんな印象を持つた。

四月十六日(水)「パンフレット」
パンフレットを見ると十ヵ所のうち幾つかではインド、モンゴル、中国、韓国、ベトナムなどアジア各国の音楽を演奏するようだ。しかし数が少ないし何よりパンフレットをほとんど配布しない。私もポップスに併せてベトナムの高校生くらいがアクロバットみたいなものをやるところに募金箱の横に置いてあるパンフレットをもちろん募金はせずパンフレットだけ受け取り、帰宅した2日後に見て判つた。
これは当然である。ポップスといふ西洋退廃文明に併せて単にでんぐり返しみたいなものを高校生が繰り返すものにカネを払ふ訳がない。阮愛国(グェンアイコック、別名ホーチミン)が聞いたらさぞ嘆くであらう。あの反仏闘争、反米闘争は何であつたのかと。
パンフレットは別の場所では単独で置いてあつた。

四月十七日(木)「西洋かぶれではない普通の在日ミャンマー人」
次にミャンマーの水掛け祭りに行つた。小音楽堂と噴水の間に出店に囲まれた一画があり多数のミャンマー人で賑はつた。スーチー女史の写真を掲げた店や昔の国旗を掲げた店が多く反政府の色合ひが濃かつた。しかし参加したミャンマー人は身なりや態度から西洋かぶれではないミャンマー人といふ印象を持ち安心した。
白人男性が二人ゐたのが気になつた。ビルマ民主化同盟はアメリカとイギリスの介入を当然受けたと見られるからだ。連合会館(旧総評会館)内にビルマ日本事務所といふものがあつた。今もあるのかと思ひインターネットで検索すると昨年三月に閉所式を行ひ連合会長の古賀やシロアリ民主党の落選中議員が挨拶したさうだ。公務員と大企業のユニオンショップ組合員に支へられた組織のくせに呆れる。

水掛け祭りとは名ばかりで水を掛け合ふ訳でも僧侶を呼ぶ訳でもなく、出店ばかりで小音楽堂ではミャンマー人のグループがビートルズを歌つてゐた。これには不満だつた。 会場に来たミャンマー人は西洋かぶれではないが、主催者は西洋かぶれだらうといふ印象を持つた。

四月十八日(金)「明治維新の失敗」
幕末の末期に坂本龍馬は幕府、反幕府が共存できる方法を提案し、その直後に暗殺された。あまりの時機の一致に薩摩が幕府見廻り組に居場所を密告したのではないかといふ意見がある。私もこの説に賛成である。
幕府を倒すまでは純粋でも政権が見えてくると不純になる。長州と薩摩は私憤と私欲で国を危うくした。それが神仏分離であり僧侶妻帯であり文明開化であり最後は先の戦争であつた。
ミャンマーは改革が進んだ。このまま穏やかな改革を進めるのがよい。日本の明治維新の真似をしてはいけない。(完)


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