五百十二、ニセ新聞東京パンフレット批判12(偽善記事が社会を滅ぼす)


平成25年
十二月八日(日)「国のかたちを変へるなといふ既得権派」
ニセ新聞東京パンフレットの十二月七日の一面先頭に「特定秘密保護法が成立」といふ白抜き見出しが載つた。それは事実だから何ら問題はない。しかし副見出し「国のかたち 変えてはいけない」はいつたい何だ。国のかたちを変へる変へないは国民が決めることだ。ニセ新聞は国民に偏向意見を押し付ける気か。
だいたい菅や野田のようなペテン政治屋を生んだのは欠陥憲法のせいだ。まづ憲法で業界団体、労組等の推薦は禁止すべきだ。憲法で自己の利益のために投票することを禁止すべきだ。憲法に国会議員は無報酬、最低賃金、平均収入(対数正規分布)のうちどれかあるいはこれらの中間にすることを書くべきだ。

十二月九日(月)「一面記事の誤り」
一面の記事を読むと
日本の安全保障の要はもちろん日米同盟だが、この同盟は二〇〇五年十月の日米安保協議委員会(2プラス2)で、極東の安全確保から世界の課題へ対処する同盟へと質的な転換がはかられている。米軍と自衛隊の一体化もうたわれた。

この文章の後半は賛成である。このような指摘をするのが新聞だが前半を付けたため読者にはほとんど印象が残らない。副見出しのせいで更に印象が残らない。
安全保障環境の厳しさや日米同盟の重要さは理解するし、防衛も重要課題だろう。しかし、そのためにこの国が「戦争ができない国からできる国へ」「戦争をしない国から戦争をする国へ」と向かっているなら、その進路は誤りだし、国民への裏切りだ。

後半は賛成だがこれも前半に余分なものがついてゐる。日米同盟を重要と理解するかしないかは国民が判断することだ。ニセ新聞のいふことではない。
戦前の歴史は、新聞が満州事変でそれまでの権力監視を放棄、翼賛報道に転じてから敗戦までわずか十四年足らずだったことを教える。

これは一見何でもないように見えるが現在のマスコミが社会の監視を放棄したことを隠蔽する極めて悪質な文章である。先の消費税騒ぎのときに日本の新聞はさんざん財政危機を煽つた。その前の鳩山政権のときに鳩山叩き、小沢叩きを繰り返した。現在の新聞は拝米や既得権派の工作を受けた極めて悪質な存在なのに過去に視点をずらして誤魔化す。
当時の新聞は世界大恐慌のときに政府が有効な政策を採らなかつたことを報道したのか。更には日本が帝国主義の道を歩み始めたのは第一次世界大戦のときと言へる。ドイツの権益を引き継いだからだ。このとき新聞は政府を有効に批判したのか。
あまり昔から新聞が社会の監視を放棄したことになると今でもその批判が波及だからまずい。いかにも短期間だけ悪かつた風に見せ掛けて今に波及しないようにした。

十二月十日(火)「偏向写真」
写真の偏向も見逃してはいけない。七日の朝パンフレット(自称朝刊)には特定秘密保護法に反対するデモや集会の写真が八つも掲載された。反対を表明する一般の人の写真も五つ、国会内の写真が三つ掲載されてゐる。私自身も特定秘密保護法には反対である。しかしこれだけ偏向がひどいと逆に賛成したくなる。
まづ民主、共産、社民の埼玉県会議員が共同で街頭演説する写真がある。シロアリ民主の支持団体は連合であり、これは必要のないところに存在するユニオンショップ労組が中心であり、自分たちだけいい思ひをしようとするとんでもない連中である。共産、社民はそんな連中といつしよに演説してよいのかといふ気もするが、これまでの埼玉県議会の経緯を調べないと一概に批判はできない。東京パンフレットの写真は意図的にそこをぼかした。
「秘密」と書いたお面をかぶり「全体主義おことわり」といふ紙を持つた写真もあり、これはグロテスクだから目立つ。全体主義と個人主義を両極端とすればどちらも間違つてゐる。調和が必要である。勿論私も全体主義には反対である。ところが全体主義だけを批判することにより個人主義が正しいように読者は誤解を受ける。思へば反日(自称朝日)新聞とニセ新聞東京パンフレット(自称東京新聞)は西洋の一部だけを猿真似して過度な個人主義に偏向を続けて来た。今回の特定秘密保護法は自衛隊と外務省のアメリカ下請けを加速するから反対しなくてはいけないのに、自由を守るなどと正反対の理由を挙げる。その偽善が社会を破壊する。

十二月十二日(木)「やはりパンフレットだつた」
ニセ新聞東京パンフレットはパンフレット以外ではあり得ない。八日の朝パンフレットを見て改めてさう思つた。前日のパンフレットと同じ語調で見出しを書き連ねる。「秘密法案参院委で強行可決」「民主主義の否定」「議論尽くさず、ごり押し」等々。そしてこれも前日と同じく写真の羅列である。中日パンフレット東京本社はスイカに塩をつけると一層甘くなることを知らないらしい。スイカにこれでもかといふくらい砂糖を振り掛けたものを読者に食はせる。ずいぶん読者をバカにした話である。

十二月十四日(土)「賛成のふりをして運動を骨抜きに」
七日の夕方パンフレット(自称夕刊)にも「秘密保護法成立与党強行」「やりたい放題許すな」「『無責任』『どさくさ』原発ゼロ撤回」と空虚な見出しが並んでゐる。もしかして東京パンフレットはわざと空虚な見出しを沢山付けて反対運動に賛成のフリをして反対運動の評判を下げようとしてゐるのではないか。そんな嫌味も言ひたくなる。山口二郎氏が駐日アメリカ大使に会ひながらそのことを隠して辺野古基地反対運動の代表者に会つたのと同じ手口である。

十二月十五日(日)「第二の宮崎監督事件」
七面(所謂三面)の「平和憲法 守り抜こう」といふ大見出し、「秘密保護法成立」「駄目だと思ったら負け」の記事にも問題がある。脚本家の小山内美江子さんが登場する。私は小山内さんの意見には賛成である。しかし東京パンフレットに載ると途端に偏向してしまふ。宮崎監督のときと全く同じである。
記事のどこが悪いかと言へば、十五歳で終戦を迎へ戦時中は動員されて軍需工場で働き
「当時は『お譲ちゃん、何をつくってるの?』と周囲に聞かれても、答えてはいけなかった(以下略)」と振り返る。
だからこそ秘密保護法の怖さが分かる。
国民が反対すべきは開戦である。更には開戦に至る過程である。戦争が一旦始まつたらあとはだう停戦に持ち込むか、もし日本が勝つた場合だう敗戦側に遺恨を残させないかを思考すべきだ。だから開戦の後に何をつくつてるか答へてはいけないことは枝葉の問題である。しかしこの問題を知らないのはニセ新聞のパンフレット製作者(自称、記者)だけで小山内さんはまともである。その直後に次のように続くからである。
「戦争に向かっていることが分かるような大切な情報でも、秘密にされてしまう。こんな法律ができる世の中になるとは思わなかった。」と嘆く。
私は小山内さんの意見に100%賛成である。強いて問題点を言へば、戦争に向ふことが判る大切な情報が判つたとしてもそれをニセ新聞が解析批判できないことだ。新聞がここまでひどくなつた理由は次の文章に表れてゐる。
ヨルダンなどで難民支援をした際、現地の若者から「日本に、戦争をしないと宣言する憲法があるのは素晴らしい」と言はれた。
もしヨルダンの若者に「ベトナム戦争のときや、今でもイラクやアフガニスタンを攻撃する米軍は日本から出撃するのですよ」と言つたらだうなるか。小山内さんがさう言つたか言はなかつたかは不明だが、言はなかつたとしても問題ない。私だつてさう言ふかだうかは状況によるからだ。しかしニセ新聞の偏向の理由は判る。護憲を叫ぶことで既得権或いは拝米を続けたい。だから出演者が醜く書かれてしまふ。

十二月十五日(日)その二「西洋列強の帝国主義を無視」
六面の「戦争責任 覆い隠すな」といふ記事に偏向の本質が現れる。大阪国際平和センター(ピースおおさか)といふ博物館のリニューアル構想に反対する市民団体が
「構想ではあの時代は『世界中が戦争していた時代』と表現され、日本の戦争責任が消える。過ちを反省して二度と繰り返さない決意がなければ日本は信用されず、世界と共存できない」と話した。
私はこのような偽善記事には絶対に反対である。世界中が戦争をしたからといつて日本がしてよい理由にはならない。だからあの戦争は正義の戦争だつたなどといふ主張がもしあればそれには絶対に反対である。しかし今は世界の非西洋地域のほとんどを植民地にした英米仏蘭は正しいといふ奇妙な主張が国内にまかり通つてゐる。そのようなときに日本の責任だけを展示したらだうなるか。日本の社会はますます崩壊する。
多くの国民はそのことに気が付いた。だから橋下氏や石原氏が大阪や東京の知事に圧倒的多数で選ばれた。日本がもし将来戦争になるとすれば、アメリカの起こした戦争に巻き込まれるか偏向記事が原因である。この市民団体は「世界と共存できない」と発言した。だつたらリニューアルの後に二十年くらい見てみようではないか。世界と共存できないことは絶対にない。

十二月十五日(日)その三「醜悪記事の後は口直しを」
あまりに醜悪な記事が続いたので最後に口直しを紹介しよう。八日の朝パンフレット(自称朝刊)の「おーい栗之助」といふ四コマ漫画である。
二人の長老が、今年もいろんな言葉が流行つた、若い連中はいいが俺らが使ふとまわりが凍りつく、しかし言ひたかつたと話す。突然一方が
甲「いつ言うの?」「今でしょ」
乙「いわれたらいいかえす」「倍返しだ!」
甲「じぇじぇ」

これは本当に面白い。(完)

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