四百五十九、正しい平和運動と偽善の平和運動(東京パンフレツト批判6)
平成25年
七月二十八日(日)「宮崎監督を貶める東京パンフレツト」
偏向意見東京パンフレツト(自称東京新聞)がまた宮崎監督を貶める偏向記事を書いた。七月二十七日の朝刊である。「憲法 いまこそ役立つ」といふ大見出し、宮崎監督 重ねて改憲反対の白抜き見出し、「日本、歴史的な感覚失う」といふ1cm四方の見出しが縦横に置かれる。今回は韓国のマスコミ向けの記者会見の記事である。
新作「風立ちぬ」は零戦を設計した堀越二郎が主役の一人である。これに対して
「日本人であるというだけで、あの時代に加担したことになる」
「一つの仕事を一生憲明れば、マイナスの部分が生じることもある。それでも精いっぱい力を尽くして生きるしかない、ということを描きたかった」
といふ答には私も賛成である。それを東京パンフレツトは強引に見出しをつけて改憲反対にしてしまつた。宮崎氏は平和主義であり戦争を認めるやうな改憲には反対だが、拝米主義者の改憲反対とは異なる。次に
「日本はバブル崩壊以降、歴史的な感覚を失い、経済の話しかしてこなかつた」と批判。
これも同感である。ところが東京パンフレツトによると「日本、歴史的な感覚失う」といふ見出しに化けてしまふ。宮崎氏の発言を紹介する最後の部分で
「この困難な時代に中国、朝鮮半島、日本が仲たがいをしては駄目です」と訴えた。
これも同感で、かういふ発言こそ見出しにすべきなのに東京パンフレツトにはできない。拝米がこのパンフレツト会社(自称新聞社)の基本路線だからである。
このページには埼玉の私立高校の生徒がニユーヨークで行方不明になつた記事も載る。三日前に中高生二十一人とスタツフ四人でメトロポリタン美術館を見学し地下鉄を乗り換へたときに、はぐれたさうだ。小さな記事だがもし中国で行方不明になつたら大々的に載せるだらう。欧米で起きたことは止むを得ないとし、中国で起きたことは非先進国で共産党政権だからと大騒ぎし、イスラム諸国で起きたことは前近代的だと非難する。東京パンフレツトは日本だけ西洋列強の仲間入りをしたといふ戦前の政府や軍部と何ら変はらない。
七月三十日(火)「筆洗といふ新聞を真似したコラム」
同じ日の一面の「筆洗」といふコラムみたいな欄を見よう。パンフレツトのくせに新聞のまねをしてコラムを書くとはじぇじぇと驚くばかりである。あ、じぇじぇは同時進行中の朝のテレビ小説「あまちゃん」の話題だつた。あまりに驚いたので間違へてしまつた。「筆洗」は
「あなたは、法王になりたかったの?」。小さな女の子のあまりに単刀直入な質問に、フランシスコ法王は笑いながら答えた。▼「法王になりたがるような人は本当に自分自身を愛してはいないんだ。そんな人を、神さまは祝福しない。私は法王にはなりたくなかったよ」
パンフレツトのコラムにしてはなかなかよい出来である。しかし後が悪かつた。イギリスのエリザベス女王について
最近の金融批判についても「(金融界の)人々が少しだらしなくなっていたのですね」と、さりげなく批判していた。
ここまでは問題ない。しかしその次がひどい。
▼グローバリズムで1%の富裕層と99%の貧困層に二分しつつあるといわれる世界。まるで中世のように野放図に貧富の差が広がる社会の危うさを、法王と女王は、よくよくご存じとみえる。
まづ1%と99%に二分するなら選挙で貧困側が勝つ筈だ。さうならないのは一つには議員が特権化することだ。自分は特権階級だから現状を維持しようとし、それでゐてニセ労組のやうな圧力団体には従ふ。二番目にマスコミの偏向である。鳩山政権時代の鳩山叩き、小沢叩きはひどかつた。消費税を増税するため財政危機を煽る記事もひどかつた。消費税反対勢力が増へないやうに維新の会の持ち上げ方も尋常ではなかつたが、その後維新会叩きに走つた。
次に法王と女王を同列に扱ふが、発言の内容が全然違ふではないか。法王の発言を全国紙だとすれば、女王の発言は怪しげなパンフレツト紙並みだ。単に「少しだらしなくなっていたのですね」と言つただけなのだから。
七月三十一日(水)「敗戦嫌悪症候群と軍国主義は紙一重だ」
二十七日の夕刊には僧形の怪しげな男が一面トツプに載つた。宮崎監督の例も有るから或いは良心的な人なのかも知れない。偏向パンフレツトに載るとどんな人でも軽蔑の対象になつてしまふ。
まづ記事に書かれた「僧侶」とはいつたい何だ。日本では仏教は宗派に分かれてゐる。しかもかつては各派が対立を繰り広げた。だから宗派名をきちんと名乗るべきだ。政党の役員が新聞に載るときは「政党役員」ではなく「何々党役員」を名乗る。それと同じである。
次に記事を見るとこれは平和主義ではない。敗戦嫌悪症候群である。
小金井駅に停車する直前だった。低空飛行する米軍機が見えたかと思うと、突然、列車を銃撃する「バリバリバリッ」というけたたましい音が響く。
敗戦は悲惨に決まつてゐる。敵機に進入され反撃もできない。それでゐて列車を運行させる。敗戦しなければ起きなかつた。敗戦嫌悪症候群と軍国主義は紙一重である。勝つた場合に彼らの取るであらう行動は予想がつく。小金井駅近くの列車が銃撃されることはなかつたのだから。
八月一日(木)「二種類の平和運動」
平和運動には二種類がある。まづは(1)戦勝国側の平和運動である。勝つても負けても戦争は悲惨である、だから止めやうといふものだ。
次に(2)敗戦国側の平和運動がある。占領軍に出て行つてもらはうといふ運動である。これには忍耐が必要である。なぜなら軍隊の占領は既得権である。一旦手に入れると手放さない。日清戦争や日露戦争がいい例といふか悪い例である。日清戦争に勝利したから朝鮮半島は手放さない。日露戦争に勝利したから満州は手放さない。アメリカも第二次世界大戦に勝利したから日本から撤退しない。
日本の平和運動はかつての総評社会党ブロツクの時代は(2)であつた。しかし冷戦が終結するや拝連合国運動になつてしまつた。敗戦嫌悪症候群である。西洋列強の植民地支配は容認し原爆といふ人類史上最悪の犯罪さへ容認する。こんな偽善を認めてはいけない。
八月四日(日)「東京パンフレツトの本質は捏造だ」
宮崎監督の記事では本人の意図とは別のものを捏造して見出しに付けた。捏造が東京パンフレツトの本質である。三日の夕刊には「ゲンの心は国も世代も超え」と題してイランで出版されたペルシヤ語版の漫画「はだしのゲン」が紹介された。今回の記事で捏造したと思はれる部分は
母国はイラン・イラク戦争を経験し、多くの人が悲しみの記憶を共有している。一方で、核兵器を開発しているとの指摘もある。
の部分である。イラン・イラク戦争はイラン革命の混乱に乗じてイラクのフセインが一方的に起こしたものだ。そして欧米はフセインを支持した。
原爆は人類史上初めてアメリカが用いたものだ。その後、各国が原爆を製造しインドやパキスタンまで持つに至つた。それは世界唯一の被爆国である日本がアメリカに抗議しないからだ。そのことを棚に上げ、しかも欧米が原爆を持つのはよくてイランは駄目だといふ。更には先進国だと思ひ上がり上からイラン・イラク戦争を見る。根底が丸山真男と同じである。(完)
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