三百十七、小出助教を賞賛する理由
平成24年
十一月十一日(日)「住民と原爆」
八月十二日に小出助教の講演会に参加して、私は大変な張り切りやうである。まづ会場で野次を飛ばした人に反論した。私は決して会議で野次を飛ばすやうなことはしない。準備をした人、講演する人、参加する人たちに失礼だからである。今回はたまたま飛ばす人がゐたから瞬時に反論した。
終了ののち会場周辺で或る宗教団体が新聞を配布してゐる人達がゐたから話し掛けて入会までした。これには理由がある。地球を破壊する近代西洋文明を止めるには宗教、伝統勢力、社会主義の三者が協力するしかない。原発反対の集会に参加し新聞まで配る団体があつたのだからこれに労組側が反応するのは当然である。
講演会の六日後には、個人で広野町と楢葉町を訪問し現地調査をした。
なぜここまで張り切るのかといふと、小出氏の講演に、人がたくさん住んでゐるところに米軍が原爆を落とした、といふくだりがあつたからである。ここが重要である。米軍は人がたくさん住んでゐる場所を狙つて原爆を落とした。日本の平和運動が偽善に陥る理由はここの部分を隠蔽するからだ。
十一月十三日(火)「社会主義は自由経済を目指せ」
ここで宗教、伝統勢力、社会主義の三者が協力できるのかと疑問を持つ人もゐよう。社会主義は統制経済を目指してはいけない。自由経済こそ目指すべきだ。自由経済とは資本主義が生じる前の経済である。資本主義は地球温暖化で生物を滅ぼし、原爆や原発で
地球を破壊しようとしてゐる。資本主義が誕生してから数へ切れないほどの戦争も起きた。
家族や地域を単位とした農業や工業や商業を中心とした社会を自由経済と名付ければ、資本主義や新自由主義こそ自由経済の敵である。宗教、伝統勢力、社会主義の三者は協力が可能となる。
十一月十五日(木)「アメリカは住民が多数住むところに原爆を投下した」
小出氏の偉いところは、アメリカは住民が多数住む都市に原爆を投下したことを指摘する数少ない専門家だからである。大多数の専門家は言はない。原子力ムラの暗黙のルールなのだらう。
もちろん米国の野蛮行為は戦時下のことだから、戦後は未来志向で日米友好を進めませうといふのは正しい姿勢だ。ところが日本の政治屋どもは日米友好ではなく日本属領化を進める。
私がアメリカ合州国解体論を主張するのは原爆とは関係がない。日本国内に英語公用語や大学で英語をなどと主張する国賊が存在するからである。やつらは国賊だけではない。多言語であるべき人類を英語で統一しようとするとんでもない帝国主義者である。
米帝国主義は人類と全生物の敵である、といふのも原爆とは関係がない。アメリカは人口1人当たりの二酸化炭素排出量が突出してゐる。先進国の二酸化炭素削減に唯一反対してゐる。まさに人類と全生物の敵であり、事実を述べたに過ぎない。
十一月十八日(日)「エネルギーの消費を減らせ」
人間の欲望は限りがない。しかし普通に生活すれば無意識のうちに正しい感覚を取り戻す。例へば日米安保条約反対運動がいい例である。国内に外国軍が存在することは無意識のうちに不愉快だと感じる。もつたいないといふ感覚も同じである。無意識のうちに自然との調和を考へる。
しかし長期間に亘り不愉快なことが続くと慣れてしまふ。米軍の駐留がよい例である。駐留軍とは占領軍の言ひ換へに過ぎない。自然資源の大量浪費も同じである。慣れてしまふと何とも思はない。
小出氏は、助教のままでも好きなお酒は飲めるし何不自由しないと講演で語つてゐた。まつたく同感である。根底に省エネルギーの発想がある。
十一月十九日(月)「東北大学原子核工学科」
小出氏と同じ東北大学原子核工学科修士修了といふ人が、私の会社にゐた。昨年の東北大震災のときに鉄道が止まつたので夜会社に残つた人達でテレビをずつと見た。福島第一原発で原子炉は停止した。しかし高温で大変なことになつた。テレビは原因を言はないので自分の席に戻り理由をいろいろ考へた。単発的に飛び込む中性子が核分裂を短期間再発させるのかなども考へた。しかし最後は核分裂で発生した放射性物質が崩壊する(アルフア線などを出す)ときに発熱するのではないかと思ひついた。さつそくテレビを見てゐる東北大学原子核工学科の人に質問したが「核分裂は急には止まらない」といふだけだつた。数日後これだけニユースで騒がれたのだから大丈夫だらうと思つて再度質問すると、まだ「核分裂は急には停止しない」と言つてゐた。当時の修士といふのは今の博士以上に人数が少ない。それなのにこの程度である。
小出氏はずつと原子力に従事したからそんなことはない。私が質問した人はずつとコンピユータのソフトウエアの仕事をしてきたからやむを得ないかも知れない。しかし東北大学といふのはこの程度なのかと愕然とした。
十一月二十三日(金)「英語、英語と騒ぐ大学にろくなところがない」
二週間ほど前だらうか。東北大学がすべての学生を留学させるといふ記事を見た。短期の留学は留学ではない。遊びである。そんなことをやつても意味がない。日本は古来、漢語の発音は捨てて意味だけ取捨した。先人の智慧である。英語も同じだ。読んだり書いたりできればよい。聞き取りや発音は必要になれば勉強するし必要な人だけが勉強すればよい。ここ二十年で英語のできる人が20倍に増へた。今から人の余つてゐることをやつても意味がない。
東北大学のホームページを見ると全員を留学だなんて言つてはゐない。偏向マスコミの勇み足であらう。山梨大学はすべての教科を英語で行ふと云ふ記事も載つた。これも他の新聞は載らなかつたから偏向マスコミの洗脳工作であらう。英語、英語と騒いでますます日本をアメリカの属領にしようといふたくらみである。
英語で授業を行ふ大学に税金を投入してはいけない。英語で授業を行へば効率が五分の一に下がるからだ。(完)
メニューへ戻る
前へ
次へ