四百六十四、花やしき訪問記


平成25年
八月七日(水)「百六十周年」
本日は花やしき百六十周年で入園料が無料である。花やしきは小学生か中学一年のときに級友たちと行つたことがある。トロリーバスに乗りまづ「新世界」に行き、次に「花やしき」に行つた。その後昭和四十三年にトロリーバスが廃止になり、四十四年には新世界が閉館した。花やしきは昭和六十年に風俗営業法の兼ね合ひで入園が有料になつた。
子供連れならともかく大人がわざわざ入園料を払つて入らうとは思はないから、その後四十五年が経過した。今日を除くと永久に入園の機会はない。だから休暇を取り浅草まで行つてきた。

八月八日(木)「思ひ出」
入園して驚いた。周りを見ても記憶がまつたくない。普通は何かしら記憶が蘇るものだ。それほど四十五年間は長かつた。
日本風のお化け屋敷(三百円)に入つた。日本風の屋敷のお化け屋敷で、これはなかなかよいことである。前半はお経が流れてゐた。不思議なものでお経が聞こえると何を見ても全然怖くない。日本人はやはり仏教徒である。後半はお経が聞こえない。
お化け屋敷を見たあとは三階の屋上から風景を見て、模擬神社を見て、休憩室で展示写真を見て建物を出た。
十一時から中央のステージで世界の人たちに扮した劇団員六名くらいによる踊りと百六十周年認定状を劇団員が浴衣すがたの職員に手渡し風船を百六十個飛ばす式典があつた。NHKがテレビカメラを持つて取材に来てゐた。

八月九日(金)「弁天、鳥居、池」
いろいろな乗り物が所狭しと詰め込まれてゐる。日本の遊園地はこれくらいの密集度が丁度良い。中央に弁天、池があり、建物の三階には昨日紹介した模擬の神社がある。日本の遊園地はこのように日本らしく作るべきだ。
四五年前に来た時は花やしきは無料だつた。しかし新世界が廃止され跡地に場外馬券売り場が出来てからは、花やしきの園内に競馬新聞を持ち酒を飲みながらベンチに座る人がゐたり、高校生の溜まり場になつたりして警察からの指導もあり、昭和六〇年に有料になつた。このときは大人百円だつた。一昨日行つたときは大人九百円である。園内の乗り物は別途料金が掛かるから、九百円は高い。三百円が適正価格だし、五百円くらいなら払つてもよい。

八月十一日(日)「新世界」
花やしきが無料だつたのに対して新世界は有料だつた。正しくは新世界五階のマジツクランド・プレイランドが有料だつた。新世界はその後なくなつたがインターネツトで調べると店内案内図は次のようになつてゐる。
七階 ビヤホール、大食堂、バイキング料理
六階 新世界飯店、ローラースケート
五階 海底20000マイル、マジツクランド・プレイランド
四階 劇場キャバレー、和風料理街
三階 劇場キャバレー、アメリカンゲームセンター
二階 劇場キャバレー、音楽喫茶
一階 観光案内、店内案内所、名店街
B1 温泉飲食街、演芸大広間、貸切部屋
B2 大宴会場、温泉大浴場

八階以上が建物の上に伸びてゐた。その上に更に五重の塔が伸びてゐたらしい。しかし五階以外には行かないから全く記憶にない。写真を見ると確かに五重の塔がある。
十一階 展望台、新世界観音
十階 日時計、ビヤガーデン
九階 売店
八階 プラネヌリウム

八月十二日(月)「馬道観音」
トロリーバスが停留所に着いたとき車掌が「馬道観音」と言ふのを聞いたことがある。昭和三十年当時の停留所名を鴬谷から順番に並べると
鴬谷駅前
坂本二丁目
中入谷
入谷町
芝崎町
浅草観音
馬道
隅田公園
言問橋
馬道では北側からトロリーバスの浅草行きが右折して浅草観音まで並行しここで左折して一周して馬道で交差して池袋に戻つた。このうちの浅草観音と馬道の停留所を合併して馬道観音と称したのかも知れない。私は小学生だつたから、浅草観音の他に馬道観音があるのかと思つた。

八月十四日(水)「ハヤミズ家具センター」
今から十年前に地下鉄の入谷駅の近く、トロリーバスでいふと浅草観音から四つめの坂本二丁目で驚くべきものを見た。それはハヤミズ家具センターと書かれた廃墟のビルだつた。
昭和四十年代にエレベーター嬢がエレベータの扉を開けるCMがラヂオでよく放送された。
「1階、家具売り場でございま~す」
「2階、家具売り場でございま~す」
「3階、4階、5階、10階まで、ぜんぶ家具売り場でございま~す」
インターネツトで調べるとテレビでも放送されたらしい。或いは私もテレビでも見たかも知れない。東京近辺に住む五十歳以上の人にとつてハヤミズ家具センターとはそれほど有名な存在だつた。あのハヤミズ家具センターが倒産したとは驚くばかりであつた。
インターネツトで調べると平成十年に倒産、平成十八年に解体とある。私が見たのは解体される三年前であつた。
浅草の新世界も廃業し跡地は場外馬券売り場になつた。国際劇場も昭和五十七年に廃業した。私は国際劇場には行つたことがないが、トロリーバスで車掌さんが「次は芝崎町、国際通り」といふのを聞いたことがある。あと浅草の仁丹塔を見なくなつた。あれはなくなつても言はれなければ気が付かないが昭和六十一年に取り壊されたさうだ。(完)


メニューへ戻る 前へ 次へ