四百五十二、朝のテレビ小説「あまちゃん」(その一、人気の理由を探る)


平成25年
七月二十一日(日)「日経BPの三人の意見」
先週の日曜はNHK「あまちゃん」を初めて総集編で観た。視聴率が高いのも納得が行つた。今回はその理由を考へよう。なを日経BPにも視聴率の高い理由が載つてゐたのでまづ日経BPを紹介しよう。三人が意見を書いてゐる。まづライターの福光恵氏はフアンを三つの層に分ける。
・中高年男性が「あまちゃん」にはまる理由を、彼らが青春時代を過ごした1980年代の実在の歌謡曲や歌手などがドラマ内にたびたび登場する演出と、主人公の天野アキを演じる能年玲奈の天然の魅力にノックアウトされたから(以下略)
・中心視聴者である中高年や高齢の女性たちは、アキを自分の娘や孫のような目線で見ており、アキが奮闘する姿を見て目を細めている。
・アキと同世代の10代20代の女の子たちだ。この層からはアキは子供っぽく見えるようで、彼女たちが感情移入するのは、アイドルになるべくアキと一緒に上京しようとしたところ父親が倒れ、その介護に疲れて母が失踪し、アイドルへの夢を失いかけ、ぐれてしまった足立ユイの方だそうだ。


ちなみに私は六十年代や七十年代ならなつかしく感じるが八十年代には感じない。福光恵氏の分析した中高年男性より更に上の年齢である。経営コンサルタントの鈴木貴博氏は、
「あまちゃん」のヒットの理由として「つっこみどころの多さ」

を挙げる。つっこみどころとはTwitterなどで話題になつたところで翌週の場面で回答があるさうだ。
春子の元に、スターオーディション番組「君でもスターだよ!」から出場通知のはがきが届く。(中略)番組の中で松田聖子の「風立ちぬ」を歌う春子の周囲で、なぜか違和感のある男性ダンサー4人が躍っている。 (中略)それを見た視聴者はさっそくtwitterでつっこみ始める。


なるほどビデオとTwitterの発達がさういふ流行を可能にした。マーケッターの関橋英作氏は
「あまちゃん」には典型的な神話のパターンがあり、それがヒットにつながっていると指摘する。
神話には、「離別する」「伝授される」「戻る」という3つの段階があるという。「あまちゃん」では、アキは母に連れられ東京を離れ三陸の海で海女という職業を知る。そして、別の姿で東京に戻る。これが典型的な神話のストーリー展開だと関橋氏は説明する。


七月二十一日(日)その二「日経BPとは別の角度から分析」
私は以上の三人とは別の解析をした。一つ目は不景気とシロアリ民主党といふ出鱈目な政治に失望した国民の別世界願望に、東京と南三陸といふ二つの世界がピツタリ合つた。二つ目は祖父母の家の昔ながらの居間や台所の風景にプラザ合意以前の懐かしさを感じた。三つ目はスナツクで地域の人たちが雑談をするその姿は、昭和四〇年代に流行した下町シリーズと同じであり、そこに社会の絆を感じた。以上の三つである。
毎日観る時間はないので、次の四つを観た。
(1)前半の総集編
(2)後半一日
(3)一週間分を五分間にまとめたダイジエスト
(4)一週間分を二十分間にまとめたダイジエスト

以上をそれぞれ一回づつ観た感想は、(2)はテンポが遅すぎて途中で退屈だと感じてしまふ。(3)を観たときはこれでちょうどよいと感じたが、(4)を観てみると(3)は重要なところがかなり抜けてゐる。例へば若いときの春子が売り出し中の女優の歌を覆面でやり、なぜ芸能プロに反抗したかが判らない。(3)だと春子が原因だと感じるが(4)を観ると春子が怒るのも無理はないことが判る。
視聴率は20%前後だから近年では高いが同じ程度の番組もない訳ではない。これは朝の放送時の視聴率でダイジエストは含まれてゐない。中高年の男性や仕事のある女性でダイジエストを観る人が多く、Twitterなどでますます評判になる。その原因は先ほど述べた三つの理由である。これが私の結論である。

七月二十一日(日)その三「笑ひ」
笑ひも細かいところに工夫されてゐる。ユイが来れなくなつてマネージヤの水口が「じぇ、じぇ」と驚く。水口は東京に住むから「じぇ、じぇ」とは言はない筈なのに言ふから笑ひを誘ふ。もつとも関西にはかういふ笑ひが不向きなやうだ。 週刊ポスト2013年7月12日号によると
『あまちゃん』は「クスリとさせる笑い」で溢れており、それがドラマの魅力となっているが、実はこれ、関西人にとっては「大の苦手」なのだ。

関西の視聴率は東京より5%低いがそれはもう一つ理由があるといふ。同じく週刊ポストによると
方言の壁も大きいでしょう。東京には東北にルーツを持つ人が大勢いるから東北弁もすんなり頭に入ってくる。しかし大阪をはじめとする関西には東北出身者の絶対数が少ない。東北の人々の奥ゆかしい性格も本質的に理解しにくく、親近感を感じられないのではないか

東京は東北にルーツを持つ人が大勢ゐるからではなく、言語自体が近いからだ。「だべ」といふ言ひ方は神奈川や埼玉など関東では一般である。20年以上前に、東北の人が関西の漫才は何を言つてゐるかよく判らないと新聞に投書したものを読んだことがある。東京にとつては東北から関西まで、関西にとつては関東から中国地方までが範囲かも知れない。

七月二十二日(月)「日本の家屋」
昔ながらの居間や台所で人気が出るだらうか。それはコンピユータの世界では有名な「おねえさん」問題のビデオでも判る。日本科学未来館で昨年「フカシギ」の展示があり有名になつた。「フカシギ」と片仮名で検索すると10分程度のビデオを観ることができる。おねえさんと二人の小学生が1×1、2×2、3×3の点を通る経路に何通りあるかをコンピュータに計算させる話である。
9×9でも予想以上に時間が掛かり「今日はお泊りだよ」「わーい」とおねえさん、二人の小学生が畳の部屋でチヤブ台で夕食を食べる。あれが洋室だつたらここまで人気は出なかつただらう。
それ以外にも、コンピュータが計算する間に鬼ごつこをしたり、数百年後におねえさんロボツトが現れたときに髪型と洋服の前面に付けられた星印が同じなど細部に工夫が為されてゐる。「あまちゃん」と同じ思想である。

七月二十三日(火)「無意識の快適さ」
昭和三十年代後半からの高度経済成長と、昭和六十年代のプラザ合意で世の中は二度に亘り大きく変化した。しかし幾ら変化しても農業、漁業、素朴な製造業、素朴な商業など人間に合つた営みへの愛着は消へないものである。無意識の快適さとでも呼ぶべきだらう。「あまちゃん」の前半は漁村が舞台のため、まづ人気が出た。
後半は舞台が芸能界に移るが普通の人と変らない部分、中でもまだ人気が出てゐないアイドルグループの世界に我々もすんなりと入れるところに、前半の人気が落ちない理由であらう。

七月二十四日(水)「潮騒のメモリーズ」
海女カフエのステージには「潮騒のメモリーズ」の絵が掲げられ、そこには北三陸鉄道制服姿、海女のかすり姿の二人が描かれてゐる。この絵は前半の隠れた魅力である。
ホームドラマに警察官が警察官ではなく地元の知り合ひとして登場することがよくある。或いは映画「男はつらいよ」で終幕寸前に寅さんがローカル列車の車内で商品の口上売りを始めると周囲の乗客がにこにこしてそれを聴く。通りかかつた車掌までいつしよにうなずきながら聴く。「あまちゃん」では駅長と駅員がこの役を務めるが、絵により公共の範囲が海女カフエにまで広がつた。

七月二十五日(木)「潮騒のメモリーズ、その二」
調べてみると、この絵は駅前デパートの看板だつたことが判つた。私は総集編しか観なかつたから判らなかつたが、多くの人があらすじをブログに書いてくれてゐた。
私は昭和三十年代の歌には親しみを感じるが、四十年代の歌には親しみを感じないものが多い。NHKの人形劇「チロリン村とくるみの木」の主題歌には親しみを感じるが「ひょっこりひょうたん島」の主題歌には当時小学生だつたが違和感を感じた。だから「潮騒のメモリー」を聴いてもそれほど親しみは感じない。しかし背後の絵の視覚効果は大きい。あれで二人の歌唱に親しみを感じる。
「じぇじぇ」も同じである。演技や演出に問題があつたとしても「じぇじぇじぇ」がそれを打ち消す。


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