四百四十六(乙)、樋口陽一氏批判


平成25年
七月十五日(月)「偏向意見東京パンフレツト(自称東京新聞)」
偏向意見東京パンフレツト(自称東京新聞)の偏向ぶりはこれまでも何回も取り上げてきた。最近では小沢潰し、消費税増税賛成、そして今回の憲法改正反対である。根底にシロアリ民主党支持がある。しかし読者から月三二五〇円を徴収しておきながら偏向意見を押し付けるその傲慢さには驚く。昨年の「実効ある有期労働規制を求める4・25共同集会」で東京パンフレツトの契約カメラマンの例が紹介された。「社説では非正規雇用を無くせと書いてあるではないか」といふと「社説とはこういふものだよ」といふ無責任な回答であつた。新聞の記事とはこういふものだよとばかり偏向記事を書き続けるのであらう。
そして本日は一面の四割を消費して「少しでもまし選ぼう 憲法学者樋口陽一さん」といふ偏向記事が載つた。
同じ一面には同じく四割ほど使つて「原子力広報まだ存続 国、事故後も「安全」PR」といふ良質の記事が載つた。読者の期待するのはかういふ記事である。中日パンフレツト東京本社(自称中日新聞東京本社)にはまともな記事を書ける人が少ないのだらう。だから偏向文を載せる。載せるうちに記者失格者の既得権になつた。これで合点がいく。

七月十五日(月)その二「自民党結成」
昭和三十年に自由党と民主党が合併し自由民主党になつた。翌年の参議院選挙で鳩山一郎内閣は議席の三分の二を確保できなかつた。そして憲法改正を言はなくなつた。これについて樋口氏は
議論がタブーだったわけではなく、票に結びつかないと判断した。つまり国民は選挙を通じて、『憲法を変えない』という選択をしてきたのです。


樋口氏は「東北大、東大、早大、パリ第2大などで教授・客員教授を歴任」「日本学士院会員」とある。それにしてはずいぶんおそまつな発言である。当時の国民意識は保守、西洋風資本主義、社会主義に三分される。このうち社会主義は社会党が左派と右派に分裂し左派が議席を大きく伸ばしたところで再統一した。これに慌てた保守、西洋風資本主義派も合同し自民党になつた。だから三分の一を超える社会党がゐる限り自民党は憲法を改正できなかつた。それだけの話である。社会党の支持者は憲法を守りたくて投票したのではない。社会主義を目指して投票したのである。昭和四十年前半まではさうだつた。社会主義にも西欧型社民主義からソ連型まで幅があり、左右が補完すればよいのに足を引つ張り合ひ、妥協点として自分の議席第一とばかり護憲に落ち着いた。これが実態である。

七月十六日(火)「戦後も続いた帝国主義とベトナム戦争を忘れた樋口氏」
「安倍晋三首相の言う『戦後レジームからの脱却』は、戦後日本が欧米諸国と共有してきたはずの価値観や社会の仕組みからの脱却だ」と警鐘を鳴らす。

欧米諸国は戦後も植民地を保持しようとした。しかしインドでは暴動が多発し統治を放棄した。ベトナムではベトミンがフランス軍をデイエンビエンフーで破つた。欧米は決して自発的に植民地を放棄した訳ではない。そんな欧米と価値観を共有したといふのか。
日本は米ソ対立で米側と軍事同盟を結んだ。それだけのことだ。樋口氏は軍事同盟を価値観や社会の仕組みにまで拡張する。その姿勢こそ帝国主義である。欧米は戦前にアジアアフリカは植民地にしても欧州どうしを植民地にはしなかつた。つまり勝手にアジアアフリカは遅れてゐると思ひ込んだ。これが帝国主義である。
戦後を見ると欧州の資本主義と米国の資本主義は同じではない。日本の資本主義も高度経済成長下ではあつたが共同体に近い資本主義を歩んだ。同じになつてきたのはプラザ合意以降である。

七月十七日(水)「西洋かぶれは西洋より質が悪い」
英哲学者ロックや仏哲学者ルソーの社会契約論では、独立した「個人」が社会の基礎となり、国家を承認する。それらの思想がフランス革命に影響を与えたとされ、民主主義の源流になっていく。

民主主義は非特権階級の生活困窮が引き金になり、新聞や交通、通信の発達により必然的に起きた。更には武力による政権奪取は非人道的だしに世の中が混乱するから多数決にしようといふことだ。ロックやルソーを持ち出す話ではない。それではロックやルソーがゐなかつたら世界は民主主義にならなかつたことになる。さうではあるまい。ロックやルソーがゐようとゐまいと民主主義になつた。
日本の戦後を見ると民主主義が機能したとは言へない。政権交代が数回だけで、しかも短期間に終つた。日本の民主主義が機能しない理由は圧力団体があるからだ。業界団体、労働組合、宗教団体の選挙介入を禁止すればよい。こんな簡単なことができないのは西洋はやらないからだ。西洋には、教会や地域の人間関係や親戚関係など西洋の社会がある。その中で今の制度になつた。人間関係の異なる日本で猿真似をしてはいけない。
もう一つある。西欧では資本経済派と労働派の政党に分かれた(アメリカは移民状態が非定常だから労働派の変はりにリベラルと同性婚だけが取り得の珍妙な党になつた)。日本では資本経済派と労働派は無理である。伝統派、自由経済派、労働派の三つがよい。それができないのは西洋の猿真似しかやらないからだ。西洋の猿真似をすれば西洋より劣化する。戦前の軍国主義がその典型である。

七月十八日(木)「憲法の争点は第九条だ」
今の憲法でも第十三条で「すべて国民は、個人として尊重される」と明記されている。
だが、自民の草案では個人を「人」と言い換え、社会の基礎単位も「家族」に変更してしまった。


冷戦時代までは第九条だけが争点だつた。それ以外は議論の対象にならなかつた。なぜなら選挙で議員を選び、議員が首相を指名する。だから政府が国民を弾圧するなどあり得ないからだ。三里塚闘争や高速道路用地強制買収反対運動などは多発したが、その場合に憲法第何条を守れといふことはまれにあつても憲法そのものの条文を変へるなとは言はなかつた。
当時は毎年春になるとストライキで国鉄や私鉄は止まるし鉄鋼やそれ以外の工場も止まつた。そんな労使対決の世の中でも、中小企業では労働基準法違反や悪質な嫌がらせ退職が後を絶たなかつた。つまり憲法の条文で大切なのは第九条と普通選挙の仕組みであとは意味がない。
ところが冷戦終結後は左翼崩れの政治屋やマスコミ関係者や不当労働行為とは無縁のニセ労組が、自由だリベラルだと叫びだした。彼らは国民の意識と大きくずれてゐる。国民にとり大切なことは安心して暮らせる社会だ。ところが彼らは社会を破壊する。左翼崩れは新自由主義である。
家族をつくれない人は基準から外れるし、血族的な国家観は排外的になりやすい。

まづ家族を作ることは人類の昔からの公序良俗である。憲法とは関係が無い。今は独身者が多いがたまたま出会いがなかつたといふ人が多い。旧社会党の土井委員長も独身主義者ではなくたまたま出会いがなかつたと語つたことがある。
家族も夫婦だけだと崩壊することもある。かつては近所、親類、勤務先がそれを補正した。今はほとんど機能しなくなつた。私が勤務する会社もかつては家族会があつたが二十年前に解散した。業績が悪くなり退職勧奨がたびたび起きたことと成果主義で人間関係が崩壊し家族会どころではなくなつた。
家族を持つ人を増やし離婚を少なくすべきで、自由の押し付けで公序良俗を破壊してはいけない。近年は年収が少なく独身の人が増へた。諸悪の根源は偏向マスコミで大企業勤務者の立場で書くからだ。これらの対策を立てれば独身者は激減する。それでも独身がよい人は無論差別してはいけない。しかし独身貴族といふ言葉があるやうに生活に余裕があり過ぎる。私も三十七歳までは独身だつたからよく判る。税金負担をもつとお願ひすべきだ。

血族的な国家観は西洋の学問から出たものだ。日本では日英同盟を結んで亡命インド人に国外退去を命じるまでは外国人を差別しなかつた。安易に「血族的な国家観」と短絡するところを見ると、樋口氏はかなり西洋学問に毒されてゐる。

七月十九日(金)「悪くなる程度をより少なくする選択では守旧だ」
樋口さんは「より良くするのが難しい局面では、悪くなる程度をより少なくする選択をしてはどうか」と提案する。「レス・ワース(less worse)」という考え方だ。

これが駄目な事はシロアリ民主党の菅、野田で実証済みである。自民党の長期政権で既得権派が拡大しその反動から民主党政権が誕生した。鳩山氏は問題はあつてもよく国民の期待に答へた。鳩山政権が倒れたのは民主党本来の姿勢が批判されたからではない。普天間基地問題で明らかなやうに不十分だつたからである。

偏向意見東京パンフレツト(自称東京新聞)は民主党がシロアリ化したあとの菅、野田に過度に肩入れするから、この記事も悪くなる程度をより少なくするのはシロアリ民主党 だと読者に思はせやうとする。しかし民主党がシロアリ化したのは背後にニセ労組シロアリ連合がゐるたらだ。更にもともと拝米新自由主義発言を繰り返し社会を破壊する前原野田派が党内にゐるからだ。「悪くなる程度をより少なく」では駄目である。
極めて悪質な政権が誕生しさうなときは、悪くなる程度がより少ない政権はあり得る。国民は菅、野田が極めて悪質な政権だと感じた。だから悪くなる程度のより少ない自民党に期待する。
一次関数と二次関数のグラフでyの値を大きくするには、xを左右のどちらかyの大きくなる方向に移動させればよい。しかし三次以上の関数でこれを行ふと、yが小さな山の頂上で止まつてしまふことがある。今の日本はこれである。だから安倍政権に憲法を改正してもらひ小さな山から脱出すべきだ。憲法改正がよい方向に向ふか悪い方向に向ふかは野党の腕の見せ所だ。最初から護憲、護憲とさけぶ九官鳥程度の議員には歳費は不要だ。

七月二十日(土)「右肩上がりの時代」
日本が右肩上がりだった時代は、国民が政治を放っておいても、ありあまる富が勝手に配分されていた。「その甘えはもう捨てなければなりません。

国民は政治を放つておいた訳ではない。社会主義を掲げる社会党が昭和四十年前半までは政権を取る勢ひだつた。毎年春になるとストライキも行はれた。あの緊張感が無くなり与野党馴れ合ひが起きてから日本は駄目になつた。
ありあまる冨といつても、日本は欧米に比べて所得が低かつた。欧米(経済状態の悪い国を除く)を日本が越えたのはプラザ合意である。その直後にバブルがあり国民の目は誤魔化されたがプラザ合意以降日本の大多数の国民の生活は大変なことになつた。戦後最大の失策である。
とはいへ昭和五十年以降の経常黒字を放置した政治屋にも責任があり、その原因は五五年体制は昭和四十五年には終つたのにそれを放置するから無能な政治屋が続出するやうになつた。ここは安倍首相や石原前都知事みたいに元気のよい人たちにがんばつてもらひ、国民の生活に悪い部分が出てきたら、生活の党の小沢一郎氏やみどりの風の亀井静香氏に頑張つてもらひ、社民党も一旦ぶつ壊してもう一度日本社会党を作ればよいではないか。(完)


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