四百三十四、襤褸(らんる)の旗


平成25年
六月十七日(月)「田中正造と幸徳秋水」
今月の労組の兆民倶楽部は映画「襤褸の旗」を見た。労組がクラブ活動をすることは大賛成である。囲碁の会や将棋の会でもよい。趣味を通じて組合員どうしの連帯意識が深まる。だから私は第一回からすべて参加した。昨日はビデオで「襤褸の旗」を鑑賞した。田中正造の映画である。三国連太郎、西田敏行、中村敦夫、志村喬とそうそうたる俳優が出演する。昭和四十九年の作品である。

映画を見て最初の感想は、映画では田中正造は社会主義が嫌いで幸徳秋水とは仲が悪かつた、天皇への直訴のときに幸徳秋水を尋ねて頭を下げ書いてもらふといふ内容だつた。私が前に幸徳秋水を調べたときには、幸徳秋水が過激化したのは万朝報を退社し平民新聞が発刊禁止になつて以降である。また反天皇になつたのは渡米以降である。その前は人道主義による社会主義だから田中正造も嫌つてはゐなかつたのではないか。
二番目にマルクス社会主義を過激としたがこの当時はロシア革命の前だから、マルクスは穏健派でアナーキズムが過激派ではないのか。さう思つた。

六月十八日(火)「経済の変動との平衡」
足尾鉱毒事件は経済が急に変動(今回は急な発展)したことに周辺が平衡に達しない時期の弊害と位置付けることができる。熊野本宮が洪水で流されて高台に移転したのも、朱鷺や日本おおかみが滅びたのも、明治以後小作農や労働者の生活が大変だつたのも同じ理由だし、欧州で参議用革命以降労働者の生活が大変だつたり帝国主義が発生したのも同じ理由である。
だから資本主義だ、社会主義だと争ふことは無意味なことである。一方で地球温暖化が現実の問題となつた今では、化石燃料の使用こそ経済変動の最大の不平衡現象だと気が付かなくてはいけない。

六月十九日(水)「正しい護憲と、怠惰で自己保身の護憲」
田中正造は護憲を何回も叫ぶ。これは政府は憲法に従へと迫るもので、今のようにマツカーサの押しつけた憲法を一言一句変へるなといふアメリカ崇拝教とは異なる。田中正造は谷中村に押し掛けた強制執行官にも憲法を守れと叫ぶ。これも憲法に従つた行政をしろといふ意味である。
田中正造は衆議院議員を辞職した。それで引退するのではなくますます政治活動を活発化させた。辻元清美みたいに議員でゐたいために有権者を裏切つて政党を変へ、しかも消費税増税のときは多くの仲間が離党したのに離党しない。そんな女とは大違ひである。

七月二十一日(日)「時間はかかつたが有意義な一ヶ月だつた」
書き込みが一ヶ月以上空いたが、これは田中正造と幸徳秋水の関係を調べようと思ひながらフランクフルト学派、歌舞伎、右翼と左翼について調べたり、デパートの屋上遊園地に至つては実際にあちこちのデパートを調べたため時間が経過してしまつた。光陰矢の如しである。
本を六冊調べたが、田中正造は社会主義や幸徳秋水を嫌つてゐたといふ事実は見つからなかつた。逆に木下尚江に注目すると解決することに気付いた。木下は社会主義協会、平民社で幸徳秋水と共に行動し、しかし明治三十九年に幸徳、堺と会談し社会主義運動を離れた。一方で田中正造とはともに行動してゐる。やはり正造と秋水は昔から知り合ひで、秋水が明治三十八年に入獄しクロポトキンを知り、しかも出獄後に渡米してから思想が変つたと見るべきだらう。

先月十九日に書いたが、護憲とは憲法を変へるなといふことではなく、憲法の条文に従へといふ意味だといふことに気が付いたのは今回の最大の習得だつた。(完)


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