四百十、大川周明
平成25年
五月四日(土)「たまたま図書館で見つけた本」
たまたま開架式の図書館で大川周明の著書を見つけた。大川周明にはこれまでよい印象は持つてゐなかつた。といふのはA級戦犯で裁判中に発狂し免訴された。あれは狂気のふりをしたのではないか、いや演技ではなく脳梅毒だつた等の主張がいろいろな人から出されてゐるからである。
この本は大川の著作を幾つか抜粋したもので最後まで読んでもそれほど大した内容ではなかつた。大川は英語、ドイツ語、フランス語、アラビア語、サンスクリツト語に堪能なので、語学をやりすぎるとこのように低級な内容しか書けなくなるといふ悪い例に挙げようと思つたほどだつた。
しかし別の本も調べるうちに石原莞爾や辻政信と同じように大川周明も戦後に意図的に悪い噂を流されたのではないか、調べる必要があると考へ直した。
五月五日(日)「アジアのアイデンティティ」
別の本とはまづ石井米雄編「アジアのアイデンティティ」である。この中に収録された大塚健洋「復興亜細亜の戦士、大川周明」によると大川は
ふと古書店の店頭に並ぶヘンリー・コットンの『新インド』を手にした。(中略)大英帝国のインド官吏、コットンの書は、彼のイメージを完膚なきまでに打ち砕き、植民地支配にあえぐインドの実相を、彼の眼前にまざまざと突きつけた。(以下略)
これ以後、彼は国外退去処分となったインド人革命家グプタをかくまい、(中略)インド人革命家タラマナート・ダスと提携して、全亜細亜会を結成し、「全亜細亜主義」、言い換えれば、「亜細亜に於ける欧州人の横暴を挫(くじ)き、日本が盟主となりて全亜細亜を結合且指導すると云ふ主義」を唱道した。
私の主張は、日本は亜細亜の一員として他の亜細亜各国とともに欧州人の横暴、現在でいへば地球温暖化を挫くことであり、大川の「日本が盟主となりて」「結合且指導」とは異なる。しかし日本は西洋の一員だと叫ぶ国内の拝米新自由主義者どもに比べればはるかに近い。
五月六日(月)「大川周明の大アジア主義」
関岡英之著「大川周明の大アジア主義」には昭和三十二年にネール首相の秘書から大川周明に宛てた手紙が紹介されてゐる。
拝啓 私はジャワハルラル・ネール首相が一九五七年十月十三日日曜の午前九時から九時十五分の間に喜んで貴下と会見し度(た)き旨をお伝へ申し上げます。(以下略)
一九五七年十月九日
第三秘書ヒレマート
大川周明博士殿
このとき大川とともに葛生能久が招待された。葛生の兄は玄洋社の来島恒喜が大隈重信に投げた爆弾を手配した。
戦前大川はインド独立運動のグプタと知り合つた。グプタとともに新宿中村屋にかくまはれたのがビハリー・ボースである。ビハリ・ボースはデリーでイギリス人の総督に爆弾を投げ重症を負はせ、イギリスの追求を逃れて日本に来た。日英同盟の日本はグプタとボースを国外追放にしようとする。玄洋社の頭山満と黒龍会の内田良平は警察にマークされ動けなかつた。そこで中村屋、大川、葛生が二人をかくまつた。葛生は戦後A級戦犯で四年間巣鴨拘置所に収容された。
大川は昭和十六年十二月の日米開戦直後にNHKラジオで開戦の大義について連続講演を行なつた。その速記録を単行本にしたものが「米英東亜侵略史」である。
岡倉天心の「アジアは一つ」は有名である。しかしあまりに単純過ぎると学者たちから軽視される傾向にあつたといふ。
神道の日本、儒教の中国、ヒンドゥー教のインドとのあいだにはあまりに径庭があり、ギリシャ・ローマ文化とXX教を共有するヨーロッパのごとき統一性など、アジアにはどこにも見いだせないではないかと揶揄されてきた。
これについて関岡氏は大川の「大東亜秩序建設」から次の一文を紹介する。
誰か亜細亜に同一性なしと言ふか。全亜細亜はいま一面には欧羅巴の支配を覆し、他面には自己の腐敗せる社会的伝統を倒して、独立国家建設のために高貴なる血を濺(そそ)ぎつつある。何はさて置き亜細亜は先づ共同の政治運命の下に立つ。
この大川の主張には一箇所同意できないところがある。それは「腐敗せる社会的伝統」の部分である。腐敗したものが伝統ではない。腐敗は亜細亜でも欧羅巴でも起きる。欧羅巴は変化が大きかつたから腐敗が一掃されたように見へる。しかし帝国主義といふ新たな腐敗が当時は生じたし、現在では地球温暖化と西洋文明の他地域への押し付けといふ腐敗が生じた。
五月七日(火)「イスラムの重要性」
関岡氏の著書は第7章まであり現在第二章まで読んで良いところはイスラムの重要性を説く部分である。
日本ではほとんど認識されていないが、イスラム圏は世界でも最も親日的な地域なのだ。(中略)イラン人からかく語りかけられたことがある。
日本は元寇でモンゴル帝国を追い払い、日露戦争でロシア帝国を打ち破り、第二次世界大戦で米国と互角に戦った偉大な国だ。しかし一度たりとも我々イスラム教徒を迫害したことがない。だから我々イラン人は日本が大好きなのだ」(中略)
このような日本への思い入れは、イランだけではなくトルコなど多くのイスラム圏に共通するものだ。
しかし平均的日本人にイスラムへの正確な理解や親近感が存在しない。それは日本のマスメディアが流布するイスラム報道に米国寄りのものが多いためだと関岡氏はいふ。同感である。
五月十二日(日)「米国主義への警告」
関岡氏は大川の次の文章を紹介する。
明治天皇の御製にも『善きを取り悪きを捨ててとつくにの』とある通り、吾々は決して異国のものを排斥せず、その善きものは欣んで之を学び取る。それは日本の国家を一層高貴ならしめ、日本の文化を一層豊富ならしめるためであり、取捨選択の主体は日本自身である。
然るに日本の全国家・全文化を徹底して米国化することは、日本の国家と文化とを一顧の価値だになきものとして、全面的に之を否定し去るものであり、結局日本そのものを地球の表面から払拭しようとするに等しい。魂を米国に売れる者を除けば、日本人は決して斯くの如き無理非道に屈従するものではない。若し米国が占領下日本のジャーナリズムに氾濫せる米国礼讃論や自国嘲弄論を読んで、それが真実の日本人の考へであると早合点するならば、それは甚だ危険なる誤解である。意識的にせよ無意識的にせよ、善意にせよ悪意にせよ、日本を米国より劣等なるものとして、日本を米国化せんとする米国主義は、日本の独立自存に対する朝鮮なるが故に、かような主義を捨てざる限り、真実なる日米親善などは望むべくもない。何となれば斯かる米国主義は、必然独善排外の日本主義を誘起するからである。
これはその通りである。魂を米国に売れる者がシロアリ民主党や拝米猿真似ニセ学者、売国官僚に多いし、当時も今も売国ジヤーナリストが存在する。このような状態で日米親善など望むべくもない。
五月十二日(日)その二「左翼と右翼」
大川は五・一五事件に連座して逮捕された。このころから右翼の頭目と呼ばれるようになる。このことについて
世間は私を右翼と呼ぶ。時には右翼の巨頭などとも呼ぶ。左翼に対しての言葉である。左翼とは何か。それは共産主義者又は社会主義者のことである。共産主義と最も極端に対立するものは何か。それは資本主義である。果して然らば資本主義者又は財閥こそ、まさしく右翼と呼ばるべきではないか。私は年少のころ社会主義に傾倒したことはあるが、未だ曾て資本主義や財閥を謳歌した覚えはない。従つて私を右翼と呼ぶことは正当でない。
これは正論である。
五月十九日(日)「西洋かぶれとイスラム熱中の共通点」
大川周明について一通り本を読み終へ感じたことは、なぜこの程度の学者がA級戦犯なのかまつたく理解できない。開戦後にラヂオでさかんに大東亜戦争の正義を主張したためであらう。東京ローザが有罪になつたのと同じである。
大川と丸山真男には共通点がある。もちろん丸山は西洋かぶれ、大川はイスラム熱中といふ違ひがある。しかし今風にいへばグローバリズムに反対して自国文化を保持せねばならぬ理由の欠如である。もちろん大川にはイスラム圏は西洋列強の植民地になつてしまつてゐるといふ事実がある。しかしなぜ西洋同化ではいけないのか。もちろん西洋に同化したからといつて西洋が植民地を解放する訳ではない。
西洋に同化してはいけない理由は同化することは過去と不連続になり、世の中が不安定になり、弱者が犠牲になる。丸山も大川もそんなことにも気が付かない。外国語を勉強し過ぎると頭が悪くなる典型である。(完)
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