三百八十四、ベトナム(その二、日本はTPPに加盟してはいけない)
平成25年
三月二十六日(火)「交通事情」
ベトナムはオートバイが異常に多い。10年前までは自転車が多かつたさうだ。経済の発展とともにオートバイになつた。右折は信号とは関係なくできる。だから横断歩道を渡るのは大変である。
もつと大変なのはロータリーである。オートバイが切れ目なく続く。横断歩道はあるが、渡るのは大変である。せつかくたくさんの欧米の観光客が来るのに、あれで悪い印象を受ける。
三月二十七日(水)「ベトナムとタイはどちらが経済発展してゐるか」
ベトナムとタイを比べれば、タイのほうがはるかに一人当りのGDPが高い。しかし街の中を歩くと、庶民の生活はどちらも同じ程度だと気付く。それどころかバンコクに比べてホーチミン市の夜は街が明るい。バンコクは大通りを外れると途端に暗くなる。四車線の道路でも街灯が少なく歩くのが不便なことも多い。それに比べてホーチミン市は街灯が整備され、沿道の商店の照明も明るい。
バンコクは高層ビルが多数ある。その数は昭和六〇年の東京より多いだらう。外資系などに勤務する人は冷房バスか地下鉄に乗る。その他の人たちは冷房のないバスかトゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーに乗る。前者の人たちの比率がベトナムより多いから統計では一人当りのGDPが高いが、後者だけを比較すればどちらも同じ水準である。
三月二十九日(金)「東南アジアは社会主義経済だ」
ベトナムは社会主義国だ。さう感じたのはバイクタクシーを見たときである。バイクタクシーなら誰でも出来る。失業がない。同じく東南アジアのタイでは食物を売る露天が多い。タイは社会主義ではないがやはり失業者がゐない。さう実感した。
翻つて日本はだうだらうか。まづ露店をやつても客は来ない。バイクタクシーをやつたら警察に捕まる。子供は大学まで行かせないとならない。その間の教育費を考へればこれは一種の人頭税である。日本は個人商店の自由が喪失した。だから日本では失業者を吸収する公共事業が必要である。公共事業とは建築物を乱造することではない。失業者は政府が責任を持つて雇用することである。
三月三十日(土)「地球破壊経済に巻き込まれてはいけない」
ベトナムは200ドンが1円。だから日本円では20円相当のバス料金が4000ドンである。このように大きな数字になる理由はカンボジア出兵後に世界から経済封鎖され大変なインフレになつた。それがなくてもベトナム戦争の後はインフレになつただらう。そのためドイモイ政策で市場経済を認めることになつた。
ベトナム戦争は独立の戦ひだし、資本主義の不均衡を正すのがマルクスだから、ドイモイ政策は何ら問題はないのかも知れない。しかしアメリカ資本の高級店や高級ビルが街中に次々に建つ。これを放置すれば多数の犠牲者を出したベトナム戦争が無意味なものになる。
ベトナムは、資本主義が地球滅亡に向ふことをもつと宣伝すべきだ。市場経済には一定の限度があること、失業者を個人商店で吸収できる社会を維持すること、西欧の民主主義は私欲のぶつかり合ひでの多数決だから正しくないことを主張し、それを上回る制度を導入すべきだ。
四月二日(火)「統一会堂、その他の博物館」
統一会堂の地下でベトナム語、英語、フランス語、中国語のビデオをそれぞれ別の部屋で上映してゐた。フランス語の部屋の入口はフランス語/日本語と書かれ、しかし廊下の標識板はフランス語だけだつた。日本人観光客が減少したのだらう。或いはメコンなど観光地ばかりに行くから統一会堂に来る日本人は少ないのだらう。
ビデオは相当アメリカを批判するものだ。だから途中で席を立つアメリカ人も多かつたが、皆冷静だつた。
他の博物館も同じで、墜落した米軍機の写真など多数が展示されるが訪れたアメリカ人は冷静に見てゐた。翻つて日本のマスコミはだうだらうか。中国の博物館にこんな展示がある、韓国でデモがあつた、中国でもデモがあつたと、アジアに同調するふりをして日本を反アジア拝米に導くといふ手の混んだ記事を乱発する。
日本の観光客が博物館に行き日本を批判する展示があつても、偏向マスコミに踊らされるのではなく冷静に観覧することが必要である。
四月五日(金)「ベトナムの本を読む、その一」
帰国後にベトナムの本を読み始めた。一冊目は古田元夫著「ドイモイの誕生」である。ベトナム共産党はホー・チ・ミンが亡くなつた後は主席を置かず書記長のレ・ズアンが責任者になつた。その後チュオン・チン、グエン・ヴァン・リンと続くが、この本はチュオン・チンがどのようにドイモイ(刷新)を取り入れたかを紹介してゐる。
ドイモイ路線は、旧ソ連ゴルバチョフのペレストロイカの影響と考へることもできる。しかしこの本は地方の下級の共産党組織による「下からのイニシアティブ」がドイモイ路線を形成させたとする。そして書記長のレ・ズアンよりも保守的だつたチュオン・チンが一八〇度転向し改革派になつたといふ。
そして書記長のレ・ズアンが病気のため書記長代行のチュオン・チンがドイモイを進めレ・ズアンが亡くなつたあとはチュオン・チンが数ヶ月間書記長となり大会で後任のグエン・ヴァン・リンに引き継ぐ。だからチュオン・チンだけがドイモイを進めたのではなくソ連のペレストロイカとその後のソ連崩壊を見てさうせざるを得なかつたのだらう。
ベトナムではホーチミンの質素路線が定着しソ連や中国のように権力闘争にはならなかつた。古田氏の本で嫌な点は、チュオン・チンを買ひかぶつたことと、当時のベトナムの風刺画をたくさん掲載したことである。古田氏が改革路線支持といふことかよく判り、私も改革路線を支持するからその点では古田氏と同じだが、私は古田氏と異なり幾らでもアメリカや西洋に擦り寄つてもよいとは思はない。それではベトナム戦争の厖大な犠牲者に失礼である。アメリカや西洋を上回る国造りがベトナムに必須である。
四月六日(土)「ベトナムの本を読む、その二」
独立行政法人日本貿易振興機構の三人の研究員が執筆した「アジア・コメ輸出大国と世界食糧危機」を読んだ。二〇〇七年末から二〇〇八年にかけて世界の穀物価格は急騰した。このときイント、ベトナム、タイが採つた政策と国内事情が書かれてゐる。イント、ベトナムは輸出を規制した。このときG8洞爺湖サミツトの宣言では輸出禁止を非難し断固たる対応を取ると強い表現が盛り込まれた。
インド、ベトナムが輸出を規制したのは理解できる。国内が食料不足になるからである。ベトナムのコメ生産量はベトナム戦争の終つた75年から5年間は増へてゐない。その後は毎年増加した。ドイモイ政策は86年だからドイモイ政策のおかげではないだらう。しかし87年までは僅かだがコメを輸入したのに88年からは大量の輸出を始める。流通過程では大きな改善があつたと見ることができる。
この本はベトナムの政策について
現在のコメ輸出政策は、食料安全保障、外貨獲得、農民の所得向上など、多くの異なる目標を追及するものとなっている。国内市場に対する政府の介入はほとんど存在しないため、輸出総量規制という単一の政策ツールによってこれらの目標実現が図られている状況である。(中略)2008年の輸出規制で国際社会の批判を浴びたベトナムでは、同時に国内からも輸出政策の改善を求める声が上がった。国際価格が高騰していた時期に新規の輸出契約を停止したことは、機械損失が大きかったというものである。
この見解には反対である。農業の目的は国民に食料を供給することだ。その上で余剰米を輸出するのは構はない。国際価格が上昇したからと言つて輸出を無制限に行つたら国内は大変なことになる。事実、国内価格は2倍以上に高騰した。それなのにベトナムの章の最後に結論として
輸出規制を直ちに撤廃することは現実的ではないが、国際市場の変動に適切に対応でき、かつ輸出企業の公正な競争を促進する制度の改善は、今後とも重要な課題となろう
では余りに安直である。国内価格が2倍に上がつたのに輸出規制をしない政府がどこにあるか。世界を探してもアメリカに言はれたままを実行する日本くらいであらう。
四月六日(土)その二「ベトナムの本を読む、その三」
「キャパになれなかったカメラマン」は読んでゐて嫌な感じがした。上巻、下巻合せて1200ページだが、数ページ読んだだけで嫌になつた。著者はアメリカABC放送に所属し米軍と南ベトナム軍に従軍しした。だからアメリカの立場で書いてゐる。戦争は残酷だと言つてもそれはアメリカの立場である。だから戦争が終はつた後も31年間68歳になるまでアメリカABC放送に所属し、その間に米国籍を取得しニユーヨーク郊外にベトナム人の奥さんと住む。戦後アメリカに渡つたベトナム人は南ベトナムの高官や富豪だから完全にアメリカ側、南ベトナム側である。それでもページをめくるうち次の文を見つけた。
一九七一年一〇月三日、南ベトナム大統領の占拠でグエン・バン・チューが再選される。(中略)ダナンは仏教徒を中心にして伝統的に反政府運動が強い土地だ。(中略)ダナン市内にある寺院の中庭では、仏教徒の集会が開かれ、チュー大統領を象った人形を燃やして、「打倒チュー政権」の呼び声を上げていた。
別の場面で高僧に単独インタビユーする場面もある。
「サイゴンの政府は、アメリカの傀儡政権だから、アメリカが支持することを止めたら、すぐに滅びるだろう」
と言った。私も素直に彼に質問した。
「もし共産主義者たちがこの国を支配したら、貴方たちの宗教の自由はどうなるのでしょうか」
「共産主義者が権力を握ったら、多分私たちの宗教は弾圧されて、滅びるかもしれない。だが、国が滅びるよりはましである。少なくとも共産主義者も同じベトナム人だから」
この高僧の答えは私を驚かせた。
驚きでも何でもない。私もこの高僧と同じ意見である。宗教があつて文化があるのではない。文化があつて宗教があり、それでゐて文化は宗教の影響を受ける。だから南アジアには上座部仏教が栄へるし、北アジアには大乗仏教が栄へる。西洋のXX教も西アジアのイスラム教も同じである。これですべての宗教は共存ができる。
次の記事もあつた。
第二次世界大戦で日本軍が進駐していたが、フランスから替わった軍政がよかったとかで対日感情は悪くない。日本人贔屓のところがある。最初のころは日本人だとわかると、
「お前はアジノモトか?上等だ」と言われた。「味の素」が東南アジアでは大変人気があったころだったからだろう。よいことは「上等」=ジョウトウ、悪いことは、「上等ない」=ジョウトンナイとよく言われた。日本軍がいたころの名残らしい。
私が十七年前にアメリカのシリコンバレーに駐在したとき、サンノゼ市内のベトナム人医師に診察してもらつたことがある。帰りに診察料を払つた後で受付の若い女性が私をベトナム人ではないと気付き、「ごまかしてしまいましょうよ」みたいな顔付きでいたづらつぽく笑つた。ベトナム人には安い料金で診察することをそのとき知つた。あと、シリコンバレーの中間、パロアルトあたりにベトナム寺院がある。そこを参拝したとき「佛縁」と漢字で書いた色紙を頂き玄関に飾つてある。我が家に入つて最も親しい国はベトナムなのであつた。私の名前もきちんと漢字で書いたから僧侶は漢字を書けるらしい。そこの宗派では読経のときに信徒は鉢巻きのようなものを額に巻いた。
だから私は親米或いは知米だが、「キャパになれなかったカメラマン」のように拝米ではない。親米或いは知米と、拝米の間には越へられない川がある。
この本の下巻はほとんど読まなかつた。イスラエルに従軍しゴラン高原での戦闘の場面もある。ベトナムでもその他の地域でもなぜ不完全ではあつたとしても安全に取材ができたのか。それは米軍に従軍したからである。ベトナム解放戦線の桁違ひの犠牲者と違ひ米軍の死傷率は低かつた。この本には多数のベトナム人の犠牲者が忘れられてゐる。
四月六日(土)その三「ベトナムの本を読む、その四」
次いで「ベトナム/市場経済化と日本企業」といふ本を読んだ。
恒常的なモノ不足と国有企業への無尽蔵な財政投入によってインフレが悪化、80年代中頃には700%を超えるハイパーインフレに直面するなど、経済的に破綻寸前の状態に追い込まれていった。
ベトナムのインフレ時期がこの本で明らかになつた。またカンボジア侵攻について
ポルポト政権は自国民に留まらず、陸で国境を接するベトナム各省にも攻撃を加え、非戦闘員を巻き込んだ大規模な殺傷を繰り広げた。応戦を続けたベトナムであったが、78年末にはベトナム軍がカンボジアに侵攻してプノンペンを制圧、ポルポト派をタイ国境地帯にまで追い込み、79年一月にはベトナムと旧ソ連によってヘン・サムリン政権が樹立された。
あの残虐なポルポト政権を倒したのだから、ベトナムは世界から賞賛されてよい。しかし世界はポルポト政権を支持しベトナムは世界から孤立し、旧ソ連、東欧への依存を強めた。そして86年のゴルバジョフのペレストロイカ、91年のソ連崩壊を迎へる。
ドイモイ政策は86年の党大会で初めて採択されたが、本格的な始動は5年が経過した91年からである。
これが公正な見方であらう。
故人所得税を高額所得者から徹底的に徴税する厳しい累進性が採られるため、地道な経済活動をしようという経営意欲を減退させている面も指摘される。さらに、ベトナムはドイモイによって自由な経済活動が認められるようになったとはいえ、中国の小平が語った「白猫でも黒猫でもネズミを捕る猫がいい猫だ」的な発言は指導者の間からは聞こえてこない。このため、貧しさを分かち合う社会主義思想から完全に抜け出せずにいるのである。
この部分は反対である。先進国と称する国々は地球を滅亡させる行為で先を行くに過ぎない。ベトナムは貧しいのではなく普通なのである。日本の昭和30年くらいであらう。
次にハノイなどベトナム北部は亜熱帯気候で四季がある。
企業経営においても、人情や恩義のような日本人的な理屈が比較的通用し易い。共同体の一員としての自覚からか、給与の多寡だけで簡単に転職してしまうケースは他国の例と比較しても極端に少ないであろう。
このほか、大乗仏教であるとか、儒教思想であるとか、文化・思想的背景も日本と近い。ハノイを最初に訪れる日本人が決まって口にする「なんだかほっとする」とか「懐かしい感じがする」という居心地の良さは、こうしたことが背景にあるのかもしれない。
四月七日(日)「日本とベトナムはTPPに参加すべきではない」
貿易や海外進出は、化石燃料有効利用を考へれば近い国とすべきだし、文化摩擦を考へれば国柄の似ている国とすべきだ。昨日紹介したように日本とベトナム北部は共通点が多い。一方でアメリカ大陸とは相違点が多い。だからTPPには加盟すべきではない。今後地球温暖化が進むと近い国どうしの貿易がほとんどになる。それを考へてもアジア内部の貿易を進めるべきだ。
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