三百八十四、ベトナム(その一、ベトナム訪問)


平成25年
三月二十三日(土)「一日目(市内遠隔地巡り)」
TPP問題が再燃した。TPPの加盟申請国の一つであるベトナムを調べる必要がある。早速今週月曜から二泊二日機中一泊でベトナムを訪問した。日曜は我々の労組と全労協全国一般東京南部が共同で高年法ホットライン電話相談を行い、私は午前中に相談員を務めた。午後は子供の予備校の説明会に二校参加した。月曜夕方から木曜の朝までベトナムに出かけ、金曜は労組の裁判のため休暇を取り、それだと休みが九日連続で長過ぎるので木曜朝の成田到着後は午後から出勤した。ここ十年間で最も多忙な一週間であつた。三万六千円といふ安い旅行のため二泊二日は止むを得なかつた。国民は生活が大変である。消費税を上げたらその分を節約するから日本経済は大変なことになる。海外旅行を節約すればいいではないかといふ人もゐよう。しかし三万六千円は国内旅行より安い。だから日本の旅館や地方のバス会社も消費税が上がつたら大変である。

月曜は深夜にホーチミン市に到着しホテルに直行した。火曜は3.5Km歩いて永厳(ヴィンギェム)寺を訪問した。日本に留学したベトナム僧が開創した寺で七重塔を初め本堂など多数の伽藍が並んでゐた。福島市の曹洞宗の寺院が昭和四十四年にベトナム戦争の停戦を願つて鐘を寄贈した。此のような平和運動なら大賛成である。しかし最近の平和運動は偽善や反日拝米といふ奇妙なものばかりになつた。山口二郎が安保反対闘争は元A級戦犯の岸首相に反対したものだと唱へたのはその典型である(二百八十四、山口二郎氏批判へ)。

次に3Km歩いてサイゴン駅に行つた。ディーゼル機関車に牽引された客車が発車する直前だつた。日本の鉄道と同じで改札がある。入場券を窓口で購入しプラットホームに入つた。一両に一人づつ車掌がゐた。最後尾は貨車でその一両前に冷房の入つた車両があつたかも知れない。曖昧な表現なのはディーゼル発電機を装着した車両があるが外から見て冷房が入つてゐるのかだうかよく判らなかつた。車両に乗つてみればいいが暑くて頭がそこまで働かなかつた。他の車両は窓が網で頭や手を出さないようになつてゐた。ホームに椅子やテーブルが並べてあり、発車前はそこで食事をする家族連れなどがゐた。発車予告の放送とともに乗る人と見送る人に分かれた。列車が発車の後、若い男女のうち男は扉付近に立ち、女がいつまでも早足にホームを歩き付いて行き列車の加速と共に諦めた。
列車が走り去つた後に、私がホームにゐるとベトナム人が話し掛けてきた。海外旅行に大切なことがある。外国人目当てに話しかける人は必ず下心がある。すべては為替レートのあまりの差異が原因で、彼らの心を狂はせる。一番よいのは無視することだ。一応話だけ聞く方法もある。そのベトナム人はバイクタクシーを提案した。ベトナムには車のタクシーよりバイクタクシーが多い。日本人は交通事故が危険だから乗らないほうがよい。最初は覚園(ヤッグヴィエン)寺まで交渉したが値段が高い。それより覚園寺に寄つた後で中華街など半日コースをさかんに勧める。怪しいから断つた。すると美しい女がゐるなど怪しいどころか違法(売春はベトナムでも違法で、社会主義国だから刑罰は厳しい筈)なことを言ひ始めたから無視したら帰つた。売春の話が出たのはこれで二回目である。歩いてゐるときにバイクタクシーや普通のタクシーがよく話し掛けてくる。そのときも一回あつたが無視した。

次に6Kmほど歩いてチョロンといふ中華街のある街へ行つた。ビンタイ市場を見た。そしてバスで市内に帰つた。バス代は4000ドン(日本円で20円)。私の前に乗つたベトナム人が5000ドン札(25円)でお釣はもらはなかつた。私も5000ドン札しかないからお釣はもらはなかつた。車掌の乗るバスがほとんどで市場前では乗る人のダンボール箱など車内に乗せるのを手伝ふ。私の乗る一系統のバスはワンマンバスだつた。ベトナムにはワンマンバスは必要ないと心配になつた。

暑い中をたくさん歩いたのでホテルでシヤワーを浴び30分休んだ。再び外出しハムギー通り、ドンコイ通り、レロイ通りの繁華街三角地帯を3.5Km歩き、途中の国営デパート内のスーパーで焼酎と夕食を買ひホテルに帰つた。このスーパーは外国人客がほとんどで、酒類、お菓子、インスタントラーメン、化粧品、その他生活必需品を売つてゐる。日本国内の価格より安いがベトナム人の感覚では高い。
これでこの日の市内巡りは終了した。バスを一回しか使はなかつたのは路線がよく判らなかつたためで、永厳寺まではバスを使へばよかつた。しかし街中を歩くと庶民の生活が判る。得るものは多い。タクシーを使はないのは外国人と判るとごまかす運転手がゐるためである。15年くらい前だらうか。タイのバンコクでほとんどの運転手は大丈夫だが一回だけ到着直前にタクシーメーターを操作して10倍近い料金をいふ運転手がゐた。私は乗車直後からメーターの金額をチエツクしてゐたから到着直前に金額を10倍にしてもすぐ判る。操作する前の額だといふと運転手が大声をだすからこちらもそれに負けず大声を出して規定額しか払はない。運転手がチツプ、チツプといふから可哀想だから一円相当くらいのタイバーツを恵んだことがあつた。タイではチツプは不要だがそれまでその運転手は愛想がよかつた。ごまかしたつて日本で考へれば高い額ではない。しかしごまかした額を払ふと運転手の将来によくない。僅かな額のために大声を出したりメーターをごまかされないか監視するのは好きではないから最近はタクシーを使はなくなつた。前にスリランカを旅行したとき、下り坂のつづら折りをバスが走ると歩行用の狭い短絡道を上から走り降りる小学生がゐて、子供がいつもバスに追ひつくから小銭を与へたりする。しかしあの小学生は学校に行かずああいふことばかりするようになつたと聞いて、諸悪の根源は為替レートにあるとはいへ、外国人目当てに暴利を上げようとする人を利することは止める必要がある。

三月二十三日(土)その二「二日目、その一(市内近距離巡り)」
次の日は帰国日だから朝チエツクアウトした。荷物をホテルに預ける方法もあるが紛失するといけないからずつと持ち歩いた。まづ統一会堂に行つた。入場料が15000ドン(75円)なのにその10倍は見応へがあつた。ここは南北統一以前の大統領官邸で、最初の大統領はゴ・ディン・ジエム。この人はカトリツク教徒でそれ自体は問題ないが、親仏親米だつた。しかも仏教徒を弾圧した。そのためクーデターで殺害された。クーデターのとき私は6歳だからニユースの記憶はない。しかし中学、高校のときベトナム戦争のニユースでゴ・ディン・ジエムの名前はよく登場したから名前は聞いたことがある。よく知つてゐるのは二代目大統領のグエン・バン・チューである。国際ニユースで毎週のように登場した。ベトナム戦争を長引かせ厖大な犠牲者を生んだ張本人といふ印象を持つ。最後の大統領はドン・バン・ミンで温厚な軍人で停戦に尽力したと記憶してゐる。インターネツトを調べるとこれ以外にも短期で大統領がゐたらしいが私の記憶にあるのはこの三人だけである。ベトナム戦争はそれほど我々の世代に大きな影響を与へた。
無料ガイドがたくさんゐる。日本語もあることになつてゐるがゐなかつた。やむを得ず英語を申し込んでアメリカ人五人のグループに付属物として付いて行つた。属国状態の日本を象徴する立場であつた。このガイドの英語が下手で聞き取りにくい。それでもガイドの冗談にアメリカ人は笑つたから英語原住民には判るらしい。しかし私だつて質問はするしガイドの質問には答へた。ガイドの質問は娯楽室にあるたくさんのテーブルのうち手前にあるのは何かといふものだつた。アメリカ人は誰も判らないから私がマージヤンだと答へるとガイドはマーサンだつたか発音が少し違うが正解だつた。大統領一家の娯楽室、晩餐室を見てゐるうちにゴ・ディン・ジエムとグエン・バン・チューへの憎しみがよみがへつた。
統一会堂の最後は地上階(建物正面に上り階段があるからそれを考へれば地下一階)で、調理場には沢山の調理器具が当時のまま配置されてゐた。Made in Japanと書かれたガスレンジなどが器具の半分を占めてゐた。

次にホーチミン作戦博物館に行つたが午前11時から午後1時半までは昼休みである。隣の歴史博物館、フンブオン廟も同じなので今後の行動計画を立ててゐると嫌な感じの婆さんが来て、ガイドブツクを買へ、昼飯を食べに連れて行くなど云ふのですべて無視した。すると初老の男もやつてきた。二対一だと荷物を盗られたとき取り戻せないので、歩き始めると男は帰つた。婆さんがまた来たが無視すると帰つた。外国人を狙ふシロアリども(といつても日本のシロアリ民主党よりは良心的だが)は無視するに限る。相手はしつこいからこちらもしつこく無視する。彼らを利すると社会のためにならない。さういふ決意が必要である。

午後1時半までは時間があるので、動植物公園に時間つぶしだけの目的で入つた。といふと動植物公園に失礼である。うちの子供は獣医を目指してゐるので動植物園を見ようと思つた。入園料は12000ドン(60円)だつた。キリン、象などいろいろな動物と動物病院の外観を見た。園内の食堂で昼食を食べた。ベトナム語で内容は判らないので、金額だけ確認して一番上に書かれたものを注文した。ご飯に野菜と肉が付いたもので美味しくはないが不味くもなくそれなりに食べられた。

フンブオン廟は入場無料で国が管理してゐる。内部は仏像などが安置され宗教施設としても荘厳な雰囲気である。しかし僧がゐる訳でもなくやはり寺院に管理を任せたほうがよい。
歴史博物館はそれなりに見られたが日本の「地球の歩き方」の説明はよくない。七行のうち三行がベトナムの50以上に及ぶ民族の衣装や暮らしの展示も興味深いと実際と懸け離れてゐる。「地球の歩き方」はそれだけではない。フンブオン廟の説明はない。十年くらい前に感じたことだが交通公社の本が一番良い。「地球の歩き方」は内容が低質である。他の出版は中間である。ところが今回のベトナム旅行で判つた。市立図書館の蔵書だけだが他社の著作に比べれば「地球の歩き方」が一番良い。プラザ合意以降にシロアリのように発生した海外旅行を食ひ物にするシロアリ民主党のような邪悪な連中に執筆させるからだ。
ホーチミン作戦博物館は入口のロツカーが小さすぎて荷物が入らない。鍵を閉めないまま荷物を入れて一階を見終り二階の半分以上を見たところで気付いた。荷物にはパスポートと大金(といつても一万円札1枚だが)が入つてゐることを。普通はそんなことはしないが国立だし受付の職員の対応から大丈夫だと無意識のうちに思つたからだ。二階の半分は急いで見て階段を降りてロツカーから荷物を取り出した。幸い盗まれなかつた。悲惨な事件が起きたのはその直後である。急いで荷物を出さうとしてロツカー扉の上部に手をぶつけて血が出て7mmくらいの傷だらうと心配はしなかつたが血は手の甲から指先まで伝はつた。ちり紙で拭けば何でもないがズボンのポケットに手を入れようとしてズボンに接触し血が付いた。結局ちり紙は取れず血の自然凝固を待つだけとなつた。血が固まつたのは国営デパートに到着する直前くらいだつた。ズボンは帰国後に洗濯しても血が消へず妻に捨てられてしまつた。
ホーチミン作戦博物館の問題点はロツカーの手が切れやすいことではない。軍幹部の顔写真と名前である。南北が統一できたのは南ベトナム解放戦線の名もない人達である。それを差し置いてきた軍幹部の紹介をしてよいのか。南北統一後四十年。ベトナムの共産党の腐敗は少ないが小さな堕落はある。さう感じた。
ホーチミン市博物館はそれほどの内容ではない。「地球の歩き方」の記事はまつたくあてにならない。これで午後4時ですべての博物館は閉館する。あとは夜八時半までだうやつて時間をつぶすか。これが今回の旅行の第一の難関である。

三月二十四日(日)「二日目、その二(夕方以降)」
午後4時になつてからはベンタイン市場に行つた。統一会堂、中央郵便局、ベンタイン市場、動植物公園の四箇所は欧米観光客が目立つた。それに対してホーチミン作戦博物館、ホーチミン市博物館はほとんど欧米系観光客はゐなかつた。私は博物館の位置付け、共産党の姿勢などを見たいから満足したが、普通の観光客に面白い内容ではない。「地球の歩き方」は載せる内容を取捨選択すべきだ。
ベンタイン市場はそれほど面白くはなかつた。一度は寄る価値があるのかも知れないが。「地球の歩き方」には「ベンタイン市場脇のナイトマーケット」といふ記事が載つてゐる。夜六時くらいから屋台や衣料品、雑貨などの店が並ぶといふものである。これも見たが10店ほどが並ぶだけだつた。ベンタイン脇ではなくそこから直角に遠ざかる道に露天が多かつた。しかしこれとても市内の随所で見られるもので特筆する内容ではない。
日が落ちてからファングーラオ通りとブイビエン通りといふ世界の安価旅行者が集まる街へ行つた。若者はそれほど多くはなく、欧米系の普通の観光客が多数、店の屋外のテーブルと椅子でビールを飲んだり食事をしてゐた。私はかういふ料金の不明のところでは食事をしないが、欧米系の観光客はかういふところでよく飲食する。金額が安いからお金を使ふところではどんどん使ふ。さういふ生活が身に付いてゐるのだらう。
安価旅行社外を出て朝チエツクインしたホテルに向かつた。電器製品のデパートがあるので中に入つた。三菱、日立、パナなど日本メーカが半分を占める。残りを韓国など外国メーカが占める。だから日本製品は一国のシエアとしては最大である。それなのに韓国に追い上げられたなど危機感を煽るマスコミにも困つたものである。
此処からが第二の関門である。二日目は遠距離を歩き回つた訳ではないから最悪はシヤワー抜きを覚悟した。空港のトイレで水で体を拭き着替へればよいと予定した。しかし博物館はほとんど冷房がなく予想以上に汗をかいた。朝チエツクアウトしたホテルで50000ドン(250円)払ふからシヤワーを使はせてくれるよう交渉した。ベトナムの物価を考へればこの程度が適正価格である。ボーイがフロント係の女性に首を振り、その女性が私に出来ないと言つた。私が、マネージヤに問ひ合わせる方法もあるといふとフロント嬢があちこち電話を掛け、シヤワーを使へることになつた。さつきのボーイといつしよにエレベータに乗つた。ボーイは英語が判らないそぶりをするが50000ドン以上は払はないと念を押した。
部屋でボーイが待機してくれるのでシヤワー室に荷物を入れ鍵を掛け急いでシヤワーを浴びた。終はつた後にエレベータに乗るとき別のボーイが来て別の部屋に入り、エレベータの外のボタンを押したまま待機しようとした。この状態だといざといふとき危ないから早く行かうとせかしエレベータに乗り、別のボーイも戻つてエレベータに乗りドアを閉めた。
フロントに行き50000ドンを払ふと、10000ドンをおつりとして返してくれた。ベトナム人は正直だと感心した。江戸時代末期に日本を旅行した欧米人が渡し舟に乗り、船長が規定額以上受け取らないので日本人は正直だと関心したといふ話を思ひ出した。これがタイや中国だと差額はフロント係が自分の懐に入れるだらう。
ボーイの行動は何だつたのだらうか。どこの国でもフロントは仕事に忠実だがボーイはさうとは限らない。二十五年ほど前にアメリカのホテルでセーフテイボツクスに預けたとき、危うくボーイに誤魔化されさうになつた。二年前にタイのホテルでも怪しいのですぐセーフテイボツクスに預けた貴重品をすべて取り出しそのまま観光に出かけたことがあつた。おそらく先ほどのボーイも料金以外の金を得ようとしたのだと思ふ。私が隙を見せないのでボーイは諦めた。
ボーイはともかくベトナム人の正直なのには感心した。この正直さがベトナム戦争を勝利させたのだとそのとき思つた。夜八時半にベトナム人のガイドが来た。あと一組がまだ来ないので10分待ち来なかつたらあとはタクシーを自分たちで来てもらはふとガイドは言つた。しかし1分遅れで来た。往路もいつしよだつた女子学生2人であつた。往路では、四年だが六年制だと話すのを聞いたので薬学か訊ねたら獣医だといふのでうちの子供も目指してゐると話をした。

空港に着くとき、ベトナム人ガイドが空港は日本の援助で作られ大林組が建設したことを説明してくれた。説明板があり日の丸があるから、そこで君が代を歌つてください、といふので車内でみなが大笑ひした。ガイドは日本語がうまく話も面白い人が多い。かういふ人をもつと有効に使ふべきだ。それが日本語を勉強しようといふ人を増やすことになる。
空港でガイドと別れた後に私は一人で説明板のところに戻り「君が代」を歌いながらを説明を読んだ。といふのは冗談で黙つて読んだ。


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