三百八十四、ベトナム(その三、ホーチミン思想)


平成25年
四月七日(日)「植民地解放の唯一の道」
ホーチミンが共産主義者になつたのには訳がある。当時植民地を否定したのはソ連だけだつた。初期の資本主義を批判したマルクスと帝国主義を批判したレーニン。だからホーチミンは共産主義になびいた。その一方で共産主義を盲信すると二つの落とし穴がある。一つは宣伝が目的となること、二つは西洋思想移入の影響である。
マルクスの時代にはマルクス以外にも社会主義者、共産主義者が沢山ゐた。マルクスの説を正当とするために科学的、唯物論、弁証法など当時最先端の言葉を用いた。これらは宣伝のための文言なのに後世のマルクス主義者は目的にした。これが一つ目の落とし穴である。
二つ目は当時のドイツやイギリスで考へたものだから現在では当てはまらない。そしてアジアには当時も現在も当てはまらない。

四月八日(月)「ソ連の功績」
第二次世界大戦ののちも西洋列強は植民地を手放す意思はなかつた。しかし次々に解放したのは米ソ冷戦のおかげである。日本で財閥解体や農地改革が行はれたのも冷戦のおかげである。一方で、朝鮮半島やベトナム、カンボジア、ラオスでは米ソの代理戦争となり、大変な被害を受けた。
ソ連もアフガニスタンでは、ベトナムに進駐した米軍と同じことをして最後は撤兵し、親ソ政権はまもなく倒れた。
独立したアジア、アフリカの各国はA・A会議(バンドン会議)を開いたが、二回目以降は開かれなかつた。西洋思想が地球滅亡に向ふ今こそA・A会議の再開が望まれる。インドの抵抗運動やベトナム戦争を無にしないためにも。

四月十一日(木)「地球温暖化」
昭和五十年頃までは、資本主義国が金持ちで共産主義国は貧しいといふことはなかつた。その後、資本主義国が贅沢になつたのは地球温暖化と引き換へである。地球温暖化を止めれば資本主義国のGDPは大きく下がる。さうすれば貧困者の比率は資本主義国のほうが高くなる。
貧富の格差はある程度あつたほうが経済は発展する。丁度温度差のない空気から熱エネルギーは取り出せないが、温度差のある空気からは発電ができるようなものである。しかし一旦これをやると経済が発展した後も格差を無くせなくなる。日本がよい例でこれ以上経済が発展する必要はないのにますます格差を拡大するようなことをやる。

地球温暖化は資本主義最大の欠点で、共産主義国は資本主義の手法で技術を発展させることは正しいが、資本主義の欠点である地球温暖化を非先進国ととともに声を大にして主張し続けるべきだ。これは資本主義対共産主義といふかつての闘ひではなく、地球が滅びるかだうかの闘ひである。

四月十二日(金)「ホー・チ・ミンとその戦友たち」
市立図書館でホー・チ・ミン他著、日中翻訳センター訳、青年出版社発行の「ホー・チ・ミンとその戦友たち」といふ本を借りた。本には日立販売専修学校が昭和五十年に受け入れた蔵書印も押されてゐる。昭和五十年といへばベトナム戦争が終結した年である。ポルポトによる虐殺が起こる前で共産主義側が頂点に立つた時である。この時を境に共産主義陣営は急激に下り坂を転落することになる。
戦争中に書かれたものだから死を恐れない戦前戦中の日本にもあつた洗脳的な内容も多い。しかしベトナムが独立すれば住み易い世の中になるといふその確信は、まさに宗教である。
しかしこの宗教は歴史が浅い。罰が当たらないことはすぐ判つてしまふ。

四月十三日(土)「マルクスの時代との相違」
マルクスの時代の人たちは、封建主義が進歩して資本主義になり、資本主義が進歩して社会主義または共産主義になると考へた。しかし今から見れば、前近代の堕落した封建主義が資本主義になつたため不平衡を生じ、それを修正する必要が出てきた。前近代の堕落したものが封建主義だから、それと資本主義を比べれば資本主義のほうがよく見へる。しかし資本主義は平衡と大きく乖離したから労働者の生活は苦しかつた。
ベトナム戦争は一つには資本主義最大の不平衡である帝国主義と戦つたことであり、二つ目には前近代の堕落と戦つたことである。だから前近代を否定するのではなく前近代を継承しないと世の中が不安定になる。

四月十四日(日)「アジア各地で共産主義の流行した理由」
欧州では前近代の堕落したものが資本主義となつたが、アジアでは欧州の前近代の堕落した資本主義がアジアに入つた。つまり二重に生活が破壊される。だからベトナムでは独立といふ言葉に人が集結し、カンボジアでは王党派に集結した。カンボジアでは指導部はポルポト派、人的資源は王党派といはれ悲劇を生むが、それは後の話である。
日本も革新に人気があり大都市の知事や市長はほとんど革新だつた。その理由は同じ原理である。アメリカ猿真似の流入で生活が不安定になる。それへの国民の反発である。しかし戦中育ちの若い人は世代の断絶で文化ではなく進歩理論で革新を支持した。それが新左翼の分離になつたし、社会党内の鈴木派と協会系、右派が民社党として分裂した後の社会党では左派と新右派(江田派)の対抗につながつた。農村部では農地改革で既に社会主義化が完成したから現状維持の自民党に人気が集まつた。財閥解体で大企業も社会主義化が半ば達成したから、大企業系労組は総評から脱退するか後に連合を結成した。
私の以前住んだ地域は元の農家が地元の実業家や市県会議員に進出してゐたが、その中に革新系無所属といふ人がゐて私はよくその人に投票した。農村文化に代表される伝統文化と革新勢力の協調こそ重要である。革新系無所属といふ言葉も平成年間に入り死語になつた。


四月十五日(月)「経済成長を止めたとき」
経済成長を逆回転させないと地球は滅びる。しかし経済成長を止めただけでも資本主義では安定した生活ができない。一方で生産力の発展を前提にした共産主義の未来予想部分も駄目である。個人商店を基本とした今のベトナムの経済こそ人類が永続できた場合の経済モデルになると思ふ。(完)


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