三百三十二、福沢諭吉と中江兆民


平成24年
十二月十六日(日)「松永昌三氏の著書」
昨日労働組合の有志で松永昌三氏著「福沢諭吉と中江兆民」について勉強会を行つた。松永氏の描いた福沢諭吉像と中江兆民像で分類するなら、私は100%中江兆民派である。松永氏は
利益追求には節度が求められ、利益は社会に還元されるべきであるとの考えは西欧社会になかったわけではない。ベンサムが快楽追求を是としながらも「最大多数の最大幸福」を問題としたのは、私利と公利との調整を考えていたからにほかならない。

とまづ述べる。
しかし日本が西欧思想を摂取する場合に、功利主義に限らず、一九世紀のできあがった果実のみを受け入れ、その歴史的背景までは学びとることができなかった。利益の追求は善、欲望の解放は善ということだけが受けとめられ、なぜそのような思想が生まれたのかまで深く理解する余裕がなかったのである。したがって日本では、自己抑制機能なしの功利主義が蔓延し、それは利益至上主義へと走っていくのである。
功利主義の果実を受け入れた典型が福沢諭吉である。

十二月二十一日(金)「最大多数の最大幸福といふ欺瞞」
福沢は「天は人の上に人を作らず」といふ言葉でずいぶん得をした。この言葉は幕藩体制の既得権者に向けられたものなのに、明治維新後の政治屋、政商にも当てはまると戦後の国民は錯覚するからだ。
福沢は功利主義者であった。「政治の目的は国民の最大多数をして最大幸福を得せしむるに在り」と功利主義の要諦をつかんでいる。

福沢の引用した言葉は実に欺瞞である。最大多数の幸福を得ようとすれば最大幸福は多少我慢すべきだからだ。ところが福沢は無批判に西洋思想だといふことで取り入れる。丸山真男の大先輩と言へる。

十二月二十二日(土)「近代化・西欧化、資本主義」
昨日引用した直後には次の文が続く。
近代主義と資本主義の発展は功利主義に負うところが大きい。日本の近代化・西欧化、資本主義の進展に意欲的であった福沢が功利主義を支持したのは自然である。

資本主義が日本に受け入れられるのは、社会主義と比べれば資本主義のほうがよいと多くの国民が考へるからだ。しかし日本の経済発展を支へた昭和六十年辺りまでは、本当の資本主義ではなかつた。日本に適合させた資本主義といつてもよい。本物の資本主義は新自由主義に至る。その原動力こそ功利主義であり福沢の思想であつた。

十二月二十三日(日)「左翼は中江兆民に戻れ」
松永昌三氏は「四 功利主義の功罪」といふ章の冒頭に次のように書いた。
近代社会は、人間を封建社会にみられたさまざまな抑圧・束縛から解放したといわれる。そのもっとも大きなものは欲望の解放である。(中略)功利主義(Utilitarianism)は人間の欲望を肯定し、この欲望が社会の進歩に役立つ主張する思想である。

人間と社会制度には常に下向きの力が働く(「百十七、動的社会科学のすすめ(資本主義以前、資本主義、社会主義を超えるには) へ)。そのことを考へると、封建主義が悪いのではなく、封建主義の堕落したものが悪いと考へるべきだ。堕落しない封建主義なんてあるのか、といふ人もゐよう。遺産相続しない領主、或いは世代を経るごとに1/4に領地が減る領主が考へられる。武家社会の前の天皇親政も平和な社会を願ふといふ国民の総意で出来たものが堕落し貴族社会になつたと考へるべきだ。だから近代時代と封建社会を比べると近代社会がよく見へる。それだけではない。自然資源を浪費して生活して贅沢三昧なのだから近代がよく見えるのは当り前である。
その前提に立てば功利主義に極めて批判的な中江兆民が正しい。頭山満と中江兆民が左右の分裂しない時代の最後で二人は仲が良かつたが、その後頭山の後継者たちの右翼と中江の後継者たちの左翼に分裂したとよく言はれる。中江兆民の流れを汲む左翼が功利主義に陥つたのは正しくない。中江兆民の思想に戻るべきだ。

十二月二十八日(金)「進歩史観」
「四 功利主義の功罪」の最後から二番目の節に進歩史観についての記述がある。
進歩ないし進歩批判は西欧近代、一八世紀から一九世紀の所産である。(中略)進歩=善、遅滞=悪・不良という見方も当然のように定着していった。
それまでも現状批判とか現状批判ということはあった。しかしそれは歴史や社会は未来へ向かって進歩するものだとして、現状を改革し進歩の速度を高めるというような観点からなされてはいない。


ここまでは10割賛成である。しかし松永氏はそれを古い時代を理想とするからだといふ。私は、進歩が平衡状態に達してゐないことによる強者の弱者への圧迫だと考へる。
古い時代を理想とみて、旧に復す、復古という観点から、現状を批判するのが普通であった。つい最近では、明治維新を王制復古と称した。儒教では、尭、舜、禹という古代聖人の辞世を理想とみて、それへの復帰が現状改革のバネになった。仏教では、時代が下るにつれて仏の教えは守られなくなり、世の中は堕落していくという考えがある。

人間と社会は何もしないと常に堕落するといふことを考へれば、古い時代を理想と見ることに反対ではない。しかし理想とした古い時代にも既に堕落はあるからどこが堕落した部分か精査が必要である。仏教に時代が下るにつれ仏の教えが守られなくなるとする節には反対である。大乗仏教の出現した時代は部派仏教の堕落した時代だつたからそのような教へが大乗経典にはあるが、その後、部派仏教の一派の上座部仏教が今日まで続いてゐるし、大乗仏教も堕落したことを考へれば、時代が下るにつれ世の中が堕落するといふ考へが大乗仏教にあるといふことには反対である。

十二月三十日(日)「三酔人経綸問答」
「四 功利主義の功罪」の最後の節では、中江が進化論や進歩史観の影響を受けてゐたことを述べてゐる。
『三酔人経綸問答』には、進化の理を説明してつぎのようにいう。
「進化とは、不完の形よりして完全の形に赴き、不粋の態よりして精粋の態に移るを謂ふ」と。続いて動物の進化を具体的に説明した後、人事の進化について次のようにいう。(中略)政治社会においては、無制度の世、君相専擅制、立憲制、民主制へと進化していくという。


中江が進歩史観の影響を受けながらそれに感化されなかつたのは「五 西欧文明をどうみたか」の
日本と英仏(欧米)とでは道徳倫理の綿では優劣は認められず、日本が英仏に学ぶべきは技術(自然科学)と理論(社会科学)であるとし、かつ科学技術の進歩は高度微細へと流れ、人間性に立つ視点が失われが地であると指摘している。

今でもこの主張は当てはまる。そして岩倉使節団に対して
明治四年我全権大使の欧米諸国を巡回して制度風俗を採訪せらるるにあたり(中略)智嚢(ちのう)の空虚なる者、意馬の軽ひょう(手偏に票)なる者もまたこれなかりしとはいふべからずして(中略)始は驚き次は酔ひ終は狂して(中略)彼の希臘神代記の女魔に傚(なろ)ふて、一夜の中に我日本国を変じて純然たる欧米となさんと欲せし者もまたこれなかりしといふべからず。その外形に眩してその精神を忘るることは平庸動物の持ち前なればなり

今の日本の政界を見渡せば、民主党新自由主義派のみならず、自民党にも拝米派が入り込み、平庸動物が多くなつてしまつた。

十二月三十日(日)その二「六 アジアをどうみたか」
中江は、訳書『非開化論』を通して、文明の進歩が決して人間の善・美と対応していないことを承知していた。(中略)攘夷といわれている諸民族の性質は純厚であるとの見方、その制度はプラトンその他の学者の創意した制度よりも秀れている(とのモンテーニュの見解をふまえて)という見方は、中江によれば、天巧と人作との相違ということでもある。(中略)中江は蛮夷はむしろ自然で純朴、文明は人為で邪悪だとの見方があることを学んでいたのである。そしてそれは中江の思想となった。

私もまつたく同感である。長い年月を掛けて創られた伝統は天巧、最近作られたものは人作である。
中江には、人間・民族・人種を通じて、その同等性・同権性を認める思想があった。これが日本社会をみる場合にも発揮されている。

日本で左派が消滅同様になつた理由が判る。西洋のものも日本古来のものもどちらが優れるかではなく、それぞれ先祖伝来の方法を保つべきだ。その同等性・同権性を社会にも広めるなら皆が賛成する。ところが冷戦の終結後は、西洋の自由、民主主義は正しいと振りかざすから社民党は消滅寸前、共産党も弱小勢力になつてしまつた。

一月五日(土)「中江兆民は劣等感を持つたか」
今回の勉強会で、中江兆民はフランス語で劣等感を持つたために反西洋になつたのではないかといふ問題提起があつた。これに答へて私が、私自身アメリカに八ヶ月、ドイツに一ヶ月、タイに二ヶ月、小さな出張を合はせて一ヶ月、合計一年海外出張したが私自身の英語は大したことはなくとも劣等感を持つたことはない、ましてや中江兆民は日本でのフランス語の最高権威といつてもよいから劣等感は持たなかつた、例へば英語で英語を母国語としない人と話をして意思疎通できた場合に、英語は世界共通語だと騒ぐ人と、このままでは英語を母国語とする人が有利になり文化侵略も起こると考へる人の二種類がゐて、中江兆民は後者だつたのではないか、と述べた。
文化を無視することが唯物論であり、資本主義の祖福沢諭吉は唯物論、左派の祖中江兆民は伝統文化重視。今の日本に当てはめれば、自民党の半分は伝統文化重視、残りは資本主義重視。中江兆民の流れであるならば伝統文化を重視する自民党の半分と連携し、資本主義が拝米新自由主義に行かないようにすることが国民のためになる。(完)


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